モガディシュ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
モガディシュ(Mogadishu, ソマリ語: Muqdisho, アラビア語: مقاديشو)はソマリアの首都。モガディシュとは英語、ドイツ語などで用いられる名称で、イタリア語やスペイン語ではモガディシオ(Mogadiscio)と呼ばれる。
[編集] 概要
インド洋に面するアフリカ東端に位置する。2000年の人口は推定で121万9千人。ソマリア最大の都市で、商業、金融、海運の中心地である。主要な産業は、食品、飲料、織物。
名前の由来は明らかではない。一説によると、「シャーの玉座」を意味するアラビア語のmaqad shahのソマリ語表現と言われているが、他にはスワヒリ語で「最北の都市」を意味するmwyu maのソマリ語表現という説もある。
交通は、ケニア、エチオピアに通じる道路がある他、国際空港のモガディシュ空港がある。
教育施設としては、国立ソマリア大学があるが、内戦により閉鎖状態である。
[編集] 歴史
モガディシュの地には、900年頃アラブ人の植民者が定住し、12世紀初頭にはアフリカ東海岸における一大商業拠点にまで発展した。15世紀には鄭和の船団の訪問を受けている。16世紀にはポルトガルの支配下に入った。1871年にザンジバル島のスルタンにより征服され、1892年にイタリアの租借地となった。イタリアは1905年にこの都市を買い上げ、イタリア領ソマリランドの首都とした。第二次世界大戦中は、ケニアを拠点とするイギリス軍に占領された。
1970年代より続くソマリア内戦では、1990年に反乱軍側がモガディシュを奪取した。その後、反乱軍内部の部族間、派閥間の抗争が激化し、都市は大きく破壊された。1992年から1995年まで内戦に介入した国連の平和維持軍が駐留したが、1993年10月には派遣されたアメリカ軍とアイディード派の地元民兵の間に戦闘が発生し、アメリカ軍兵士に19人の死者、ソマリア人にも多数の死傷者が出た(モガディシュの戦闘)。
現在のモガディシュは、人道支援者への襲撃や部族間抗争が依然として続いていることから、きわめて危険な状態にある。国際的に認知されている暫定国民政府の所在地でもあったが、2006年6月にイスラム法廷連合(UIC)がアメリカの後援をうける「平和の回復と対テロ同盟」を破って実効支配を開始した。厳格なイスラーム法を施行するUICにより治安は回復し、モガディシュ国際空港や港湾も開放され、アラブ首長国連邦との通交が行われているという。だが以前として危うい情勢であることに変わりはない。報道によれば、2006年12月28日、ソマリア暫定政府軍がエチオピア軍の支援の下にモガディシュを制圧した模様である。
[編集] モガディシュを題材にした作品
- もの食う人びと(共同通信社刊) - 辺見庸のルポタージュ集。同著中に収められている「モガディシオ炎熱日誌」の章は1993年8月のモガディシュでの取材に基づき執筆された。「食の風景がほかのなにかに押しつぶされ、壊されている」(文中より)というモガディシュの狂おしい光景が書き綴られている。
- 映画「ブラックホーク・ダウン」はモガディシュの戦闘を題材にしている。