ラジごめII金曜日の王様
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『ラジごめII金曜日の王様』(らじごめつー きんようびのおうさま)は、1991年4月5日~1993年6月25日まで愛知県・岐阜県・三重県の中京広域圏で放送された、中京テレビ制作の深夜番組。
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[編集] 概要
月曜~金曜に放送されていた前番組『ラジオDEごめん』が、1991年春季の番組改編を受けて終了するにあたり、嘉門達夫と原田さとみが担当していた金曜のみ存続することが決定。いくつかのリニューアル点を加え、新番組という形で再開された。
放送内容そのものにラジごめ金曜からの劇的な変化はなく、同様にラジオ番組的なコンセプトの番組として企画・制作された。また、名古屋市中区新栄雲竜フレックスビル内にある焼肉店の一角からの生放送という番組の特徴も継承された。視聴者層はやはり中学生・高校生・大学生が中心で、当時の常連投稿者や視聴者参加型コーナーへの参加者は殆どがこの年齢層だった。番組を一つの王国に見立てており、嘉門達夫を始めとする王国の者たち(出演者及び番組制作スタッフ)が国民(番組視聴者たち)からハガキやFAXを募り、番組が盛り上がることにより国政(放送)と財政(制作予算)が賄われて行くという主旨の下に進められる。放送は週一回で、放送時間が1時間40分に拡大された。
深夜帯・地方ローカルの番組ゆえ、番組にかかる予算はかなり限られていた。視聴者獲得を図るため、著名なミュージシャンや注目株のミュージシャン、AV女優など、毎回のゲスト出演者方面には力を入れていたが、その照り返しでスタジオ内のセットや番組投稿者に贈られる投稿特典はかなり貧相なものだった。告知用のフリップもUniポスカによる手書きという、番組内で使用されていたセットのチープさにそれが表れていたことは、当時の視聴者なら誰もが記憶に新しい。年若い層を固定視聴者へと取り込むため、新聞テレビ欄のサブタイトルに毎回いやらしいシーンが期待できそうなキーワードや最終回を匂わすキーワードなどを載せておき、実際の放送では肩すかしというパターンもこの番組ならではの「お約束」であった。
そんな中でどうにかやり繰りしていたような番組でありながら、自分が投稿したハガキ(あるいはFAX)が嘉門達夫の手で面白おかしく読み上げられるその様子がテレビに映る、ということで当番組は東海3県各地で人気を博した。また、アシスタントの原田さとみも人気の要因の一つで、そのキャラクターぶりから番組制作スタッフや嘉門、挙句は投稿者たちからもいろいろといじられていた。番組視聴者たちからの熱烈な人気を受けて、番組の公開生放送や番組関連のイベントも名古屋地区で積極的に実施していた。
なお、この番組に投稿していたハガキ職人たちは、
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など、他の投稿媒体でも活躍していた者も多い。
[編集] 放送時間
金曜
- 翌0:55~0:56 - 「王様のお告げ」
- 翌1:00~1:02 - 「寿司処五一提供 今日の天気」
- 翌1:05~2:45 - 本編
※放送時間は当時の新聞テレビ欄の表記を元にしている。実際には2分程度の遅れを伴っていた。
※ナイター中継の延長により、放送時間が大幅に遅れる週もあった。
※「王様のお告げ」は、スタジオがダイアモンドホールから蝦蟹市場(クンポー)へと移転したのを機に終了。
[編集] 出演者・番組制作スタッフ
[編集] 出演者
- 嘉門達夫
- ハガキを読んでギター片手に歌う、そのハガキを評価し景品を選ぶ、ゲスト出演者たちとのトークでわざとボケてみて場を盛り上げるなど、番組のメインパーソナリティとしての役割を担っていた。構成の小林とともに事前のハガキ選別作業をすることもある。「ハンベレケレ共和国カッチュ大統領」「画家のミケさん」「正解小僧」「扇風機の前で声を出す人」など様々なボケキャラクターも演ずるが、相方の方が天然ボケであるこの番組においてはツッコミが基本。嘉門定番のセリフ「へてからに~」「はよ止めて」「ひねりなさいひねりなさい! ググッとググッとひねりなさい!」は、この番組でも健在。
- 原田さとみ
- 言葉の誤用、彼氏とのラブラブマンションネタ等でよくいじられていた番組アシスタント。番組からの告知をする、「魚屋のおっさん」コーナーで木魚を叩く、嘉門がギターネタをする横で使用曲名を書き留めていくなど、嘉門の補佐全般をするのが「本来の」役割。「こどもでちゅからわかりまちぇん」「ゆかのあいだ」「よいど目薬」「かれこれ!! 彼・・・ヒムじゃないですよ」など、2年3ヶ月間の放送で数々の迷言を生む。お父さんの名前はトキオ。鈴鹿アクアフォレストでのロケ回では水着ポロリの場面も。
- 神浩司=現・神ひろし(放送開始~1992年3月末まで)
- 中京テレビのアナウンサーで、番組からの告知を主に担当。目の粗いセーターを着ていることが多い点をよくツッコまれていた。番組の放送期間中、ある常連投稿者が番組出演者それぞれに木製ネームプレートを制作し進呈したことがあったが、神に送られてきたものには「神助平」と彫られていた。
- 大藤晋司(1992年4月以降)
- 神アナウンサーの引き継ぎで登場した、入社3年目の若手アナウンサー。常連投稿者から進呈されたネームプレートは「大アナ」。告知中になぜか笑ってしまうことが多く、それをよく原田からツッコまれていた。番組で実施した企画の罰ゲームにより、白塗り・お歯黒姿のビッツラメイクで登場させられ、その格好のまま番組からの告知を行ったこともあった。
[編集] 番組制作スタッフ
- 協力/IMANAS亭、クラブ ダイアモンドホール、蝦蟹市場クンポーフレックス店
- 衣装協力/HARRY'S、NON-BIJOU、HAAS、TAKEZO for men、ARJ、PASHU、366日の店、せらぁむ
- 構成/すずまさ、小林仁、喰始
- テーマ曲/スペクトラム
- ジングル/河原龍夫
- ヘアメイク/津田隆司
- スタイリスト/山田智子
- カメラ/藤原茂則、竹本昌之、鹿田智樹
- オーディオ/岡野憲右(ウエルカム)、大山幸秀(ウエルカム)
- アシスタントディレクター/新井宏実、藤井洋一
- ディレクター/宇野祐司
- 制作/逆瀬川治彦、澤田健邦
- プロデューサー/苅谷隆司(中京テレビ)、小栗弘(中京テレビ)、天野正治(コックスプロジェクト)
- 製作協力/コックスプロジェクト
- 製作著作/中京テレビ
[編集] アルバイトスタッフ
- 矢部
- ラジごめ金曜の頃からいたアルバイトで、後述の近藤が退任した後も続けて在籍していた。よくお茶をこぼす。嘉門達夫から毎回「お前は矢部やないかい!」とツッコまれたりもしていた。
- 美術大臣藤井
- エンディングのスタッフロール(上記)ではADとしてクレジットされているが、本当はアルバイトの一人。番組で使用する小道具の制作を主に担当。また洋楽にも詳しく、番組内の各種BGMも彼の選曲によるものであったという(構成の小林仁・談)。
- 近藤
- 1991年6月から入ったアルバイト。登場するたびに変な髪型のことでいじられる。最後に登場した回ではエンディングでスタッフ全員による断髪式が執り行われた。
- メキシカンカマクラ
- 南山大学空手部。カメラが向けられる時は必ずコックスプロお手製の仮面を被って登場する。このアルバイトをサボってでも観戦しに行くほどプロレスが好きで、番組ではプロレスラーのウルトラマンロビンと大根のかつら剥き対決などを繰り広げた。
- 明石くん
- カマクラと同期のアルバイトで、嘉門の横でハガキと景品をせっせとまとめる役を主に担当。カマクラから借りたものと思われるマスクを被って仕事をしている時もある。放送200回記念(ラジごめ時代含む)の回ではSM女王様に鞭で尻を叩かれていた。
[編集] その他登場人物
- ハムさん
- ハムスター。「AVアッハ~ンウッフ~ン吐息選手権」での残念賞のスタッフルーレットや「STREET HAMSTER II」など、番組内の様々なコーナーで使われていた愛玩動物。放送初期には「ゲンゴロウのゲンさん」というのもいた。
- ぴっつあん2号
- 午前2時になるとピザを片手に登場するちょっと小太りなヒーローで、その正体は東海地方を代表する宅配ピザチェーン「アオキーズ・ピザ」某支店の店長。全くの素人。アオキーズ・ピザはこの番組の主要スポンサーでもあった。
- Dr.平田
- 美容外科国際クリニック(=現・名古屋美容外科)の院長。月に一度のコーナー「Dr.平田&チクワ犬の美しさの泉」にゲストとして登場し、原田とともに司会進行を担当。嘉門から「センセもフリートークの味をしめだしてきましたな」と評されていた。
- フロッピーこと風呂哲=現・風呂哲州
- 番組内の公募で嘉門の付き人になった、シンガーソングライター志望の青年。朴訥な受け答えとメガネがトレードマーク。オリジナルのフォークソングを番組のエンディングで披露したりもしていた。
- 石岡美紀
- 1992年10月に実施された2代目番組アシスタント選挙企画の公募に名乗りを上げた、新人の女性アーティスト。本当に視聴者からのハガキによる投票が行われてしまい、危うく原田はその座を追われそうになった。
- 電気グルーヴの石野卓球、ピエール瀧
- 1992年12月18日放送の回で、スケジュールの調整ミスにより穴を開けてしまった嘉門の代わりに急遽番組に呼ばれ、一夜限りのパーソナリティを務めたアーティスト。その日、石野とピエールは好き勝手に番組を進行させ、原田は彼ら2人から徹底的にいじめ抜かれた。さらには電気グルーヴに50エーネンを没収された投稿者までも出るという始末だったが、翌週の放送ではなぜか原田は彼ら2人に感謝の意を示すコメントを述べていた。なお、電気グルーヴのもう1人のメンバーまりんは、以前に一度番組にゲストとして呼ばれた時には石野らと共に出演していたが、このパーソナリティ回においては全く姿を見せなかった。
- たかし
- 収録後に出演者・制作スタッフ全員で打ち上げをする飲み屋「遊楽亭」に必ず来て待っているという、謎の人物。放送中の出演者同士の雑談の中にその名前が出てくるのみで、直接本人が番組に顔を出したことはない。そのため、それがどんな人物だったのかは最後まで判明しなかった(恐らくは当番組の放送期間中に他の部署へ異動となり、番組制作の現場から去っていった中京テレビの名物プロデューサー苅谷隆司のことであろう)。ラジごめ制作陣の毎回の打ち上げは、遊楽亭の他、「本陣」「一休寿司」「やっちゃ場」といった他の深夜営業の店でも行われていた模様。
[編集] 主な放送内容
息の長い定番コーナーからその場のノリでできてしまったコーナー、作ったものの翌週にはすぐに消滅してしまったような珍コーナーなど、実際にはここで挙げ切れないほど数多くのコーナーが当番組には存在していた。ここでは系統ごとでの大別という形で挙げていき、各コーナーについての詳細は割愛する。
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投稿・オーソドックスな替え歌系
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[編集] 投稿特典
ハガキが読まれると、嘉門達夫が座っている後ろに吊ってある「グッズ類」及び「エーネン」がその投稿者に対し贈られる。ウケればウケただけ一枚のハガキで得られるグッズとエーネンは多くなる。言うまでもないが、「スタッフたちのウケ方」と「嘉門が下す評価」に関して絶対的なガイドラインがあるわけではなく、その場の空気・流れに委ねられるところが大きかった。
[編集] グッズ類
なわとびだったり、IMANAS亭のおしぼりだったり、アルバイトスタッフが処分する目的で持ってきたようなB級品だったり、原田が表紙を飾る月刊誌だったりと殆どがこういったものばかりだったが、時折、中京テレビ制作番組のオリジナルTシャツといった掘り出し物が混ざっていることもあった。また、それらの中には「ブースカバンダナ」「ブースカトランクス」といった番組オリジナルグッズも混ざっており、投稿者たちの間ではこれら番組グッズを全て揃えることが一種のステータスになっていた(後述の“番組グッズ・出版物”の項目も参照)。
[編集] エーネン
「エーネン」とは紙幣を模した形状の一枚の印刷物で、番組に関連した様々な場で使用できる番組通貨である。1エーネン、2エーネンというようにエーネン単位で数える。このエーネンという投稿特典は「紙幣」という価値が換算しやすい形態をしているため、視聴者たちに番組への参加意欲を促進させる上で非常に有効な手段となった。紙幣は前番組『ラジオDEごめん』の頃から使われていた前期バージョンと、当番組に移行してから発行された後期バージョンの2種類が存在する。
以下に、エーネンの用途とその使用効果を示す。
[編集] 1. 番組内での使用
番組出演者・番組制作スタッフたちの持ち物の処分市「エーネンショッピング」、その他コーナーでの使用。
- セガメガドライブ(20エーネン)
- パイオニアLDプレイヤー(200エーネン)
- バッツアンカツラ(6エーネン)
- アダルトビデオ3本セット(4エーネン)
- 嘉門達夫が出ていたラジオ番組を録音したカセットテープ4本と水戸納豆のセット(7エーネン)
- ラルフ・ローレンのパチモンのポロシャツ2枚(5エーネン)
上記は「エーネンショッピング」において出品されていたものの一例。それ以外にも、
- ブースカバンダナ(2エーネン)
- ブースカトランクス(3エーネン)
- 王様コンニチワシール(1エーネン)
など、希望次第で常時エーネンとの引き換えが可能な品も用意されていた。当然ながら一般の金銭でのやり取りはできないので、これに参加できるのはエーネン所持者のみに限られた。
[編集] 2. エーネン加盟店での使用
番組「外」での使用。
「エーネン加盟店」とは、番組が施行する「エーネン加盟店制度」に賛同し加盟している商店のことである。この加盟店制度に同意している店であれば、番組の投稿特典であるエーネンを一般の金銭と同じように使用することができた。例えば3エーネンでランチ、1エーネンでコーヒー、果ては200エーネンで車検など、店側が提示する額のエーネンを手渡せばこれで実際に支払いができてしまうというユニークな流通システムだった。これは店側の同意の下に成り立っているシステムなので無銭飲食や偽造通貨使用等には当たらず、むしろ店側としてもネタ投稿で労せずにエーネンが獲得できるというメリットがあった(エーネン獲得には、相応のハガキ代と相応以上のネタ考案の労力が要求されるのである)。
このエーネン加盟店制度は、視聴者たちの日常生活にもエーネンが浸透することによって番組への投稿がさらに増えることを目的に施行されたシステムである。エーネン加盟店は個人商店・企業を問わず、経営者をしている番組視聴者なら誰でも自由にできた(FAXサービス「エーネン加盟店MAP」への記載と「エーネン加盟店証明ステッカー」の発行のため、番組への事前申告が必要)。加盟店は最終的に愛知県・岐阜県・三重県下に40店舗以上存在するようになり、同じ町内の同じ区画内にある飲食店と理髪店が共にエーネン加盟店だったという例までもあった。
[編集] 3. 常連称号獲得の代価
ハガキ職人としての名誉である「称号」を得る際にも、このエーネンが必要となった。
平民 | 獲得エーネンが5エーネンに満たない投稿者、及びハガキ投稿をしていない一般視聴者 |
JACK | 5エーネン必要(1992年9月1日以降は10エーネン) |
QUEEN | JACK獲得+10エーネン必要(1992年9月1日以降は20エーネン) |
KING | QUEEN獲得+20エーネン必要(1992年9月1日以降は40エーネン) |
ROYAL KING | 番組スタッフと嘉門達夫の選考によってKINGの中から数名が選出 |
規定数のエーネンを集め、自身の顔写真1枚を添えて番組宛てに返送すると、投稿者が現在該当する「位」を記したマークを投稿ハガキに押印することができる「スタンプ」と、常連の投稿者であることを示す会員証「嘉門王国国民乃証」の2点が番組から配布された。中でもスタンプは、ハガキの文面が直接カメラに映される「CM明けQショットイラスト投稿コーナー」においては、押印しておくだけで他の視聴者へのアピールとなるため非常に意義を持っていた。昇格するごとに、それぞれの位に応じたスタンプと嘉門王国国民乃証が配布された。
なお、「ROYAL KING」にまで達した者には、番組生放送中のスタジオに見学に訪れ、番組の企画に飛び入りで参加することができるなどの様々な特権が与えられた。
[編集] その他番組データ
[編集] スタジオとして使われた場所
局のスタジオではなく営業終了後の飲食店の店舗から放送を行っていたことは有名だが、都合や企画で時々場所を変えて放送することもあった。「放浪月間・あなたの家から金曜日の王様大放送」という企画では、希望者を募って自宅をロケ現場に使わせてもらい、機材を持ち込みそこからいつもの放送を行ってしまった。
- やきにく・すていき・しゃぶしゃぶ IMANAS亭(雲竜フレックスビル西館22階)
- 「名古屋の天辺にて極上の黒和牛を味わう、夜空に浮かぶスーパーナイトステーションIMANAS亭のひととき・・・」という番組内ナレーションでおなじみ。ラジごめ時代から使われていた場所。
- 鈴鹿アクアフォレスト
- 1991年8月2日放送のロケ回で使われた、鈴鹿サーキットランド内のウォーターパーク。なお、この日は番組グッズのピロピロシステム手帳内のカレンダーにて「乳首記念日」と記されている。
- もへの寿司、はむらや、原田の実家
- いずれも1992年4月の企画「あなたの家から金曜日の王様大放送」での公募によって使われた場所。4月最終週にはこの企画は実施されず、代わりに番組の公開生放送が行われた。
- クラブ ダイアモンドホール(雲竜フレックスビル西館5階)
- 1992年6月19日以降。出演者たちが座るセットが設置されていたのは舞台の方ではなく、エントランスのカウンターバーがあるあたり。会場の特性から、IMANAS亭時代にも公開生放送の場として使われていた。
- 中京テレビBスタジオ
- 1992年12月25日放送の回にて。本社での収録というだけあり、画面下半分をテロップ表示にするといったこともできた。エンディングではクリスマス恒例のベラマッチャ(「サンタが街にやってくる」の替え歌)大合唱が行われた。
- サントリーアジアンダイニング 蝦蟹市場KUNPO:(雲竜フレックスビル西館地下1階)
- 1993年4月2日以降。わずか3ヶ月間だけのスタジオだったが、後続番組の『ラジごめIIIホンジャマカ共和国』に引き継がれている。この店があった場所は、現在は「韓楽街」「THE鍋」という店舗になっている。
- 蝦蟹市場KUNPO: 岡崎店
- 1993年6月18日放送の回にて。この店舗が同年6月20日にオープンするのに先駆け、番組の公開生放送の会場として使用。奇しくもこの翌週の放送で、金曜日の王様は最終回を迎えることとなった。
[編集] 番組グッズ・出版物
当番組では、番組オリジナルグッズの配布・販売、番組関連の印刷物の配布、FAXでのアクセスで様々な情報を取り出せるサービスなども行っていた。番組グッズ各種にプリントされていた番組のマスコットキャラクター「王様」は、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』のオープニングアニメーションを手掛けたことで有名なマルチクリエイターなんきんがデザインしたものである。
- ブースカバンダナ - ラジごめ時代の番組イメージキャラクター快獣ブースカが絵柄にあしらわれている。色は黄色。
- ブースカトランクス - こちらもブースカが絵柄にあしらわれている。色はピンク。
- シール類 - 王様コンニチワシール、床の間シール、矢部のチチシール、ひねりなさいシール、原田シールなど多数。
- ラジごめオリジナルTシャツ
- ○○やと思ったら▽▽やったカルタ - 番組グッズ取扱店「ペポヤマテ」、ツアー情報センター「アクティス」等でも販売された。
- ハムのマークの参考書(基礎編)
- ハムのマークの参考書(応用編)
- ハムのマークのピロピロシステム手帳(1993年版) - 1992年12月1日発行。
- FAXサービス・エーネン加盟店MAP
- FAXサービス・原田の絵日記
- FAXサービス・番組の進行表
- FAXサービス・番組の裏情報
[編集] 使用曲
- オープニング/スペクトラム「ミーチャンGoing to the Hoikuen」
- エンディング/ザ・ビーチ・ボーイズ「KOKOMO」
- 第1ロールBGM/ロニー・ゴードン「Gonna Catch You」、他
- 「2003年21世紀へのメッセージ」コーナージングル/嘉門達夫「アホが見るブタのケツ」
- 「鼻から牛乳」コーナージングル/嘉門達夫「鼻から牛乳」
- 「文系・理系・体育会系」BGM/嘉門達夫「その日は朝から夜だった(インストver.)」
- 「チョモランマ最後の聖戦ゲーム」BGM/ジョン・ウィリアムズ「レイダース・マーチ」
- 「チキチキスキー猛レース」BGM/松任谷由実「サーフ天国、スキー天国」
- 「ジャンジャン唄で思い出す」コーナージングル/ベートーベン「運命」
- 「私の約束」コーナージングル/鈴木彩子「私の約束」
- 「エレジー」コーナージングル/嘉門達夫「哀歌~エレジー~」
- 「刑事のコーナー」BGM/大野克夫「太陽にほえろ! メインテーマ」
- 「STREET HAMSTER II」コーナージングル/筋肉少女帯「バトル野郎~100万人の兄貴~」
- 「男はつらいよのコーナー」コーナージングル/渥美清「男はつらいよ」
[編集] 提供
- パークホテルつちや
- 美容外科国際クリニック
- アイリン
- キャッスルボウル
- 日産プリンス名古屋
- AOKI'S PIZZA
- SALON DE SOFE
- 加美乃素
- SKI PRO SHOP HIMARAYA
- 株式会社ジョイ名古屋
[編集] 番組イベント
この番組では、視聴者が観客として一般参加できる公開生放送が随時行われていた。公開生放送の回は平常の放送とは構成が異なり、ゲスト出演者とのトークにより比重が置かれていた他、その回限りの突発的な企画や嘉門達夫の新曲お披露目ライブなどが毎回会場で実施された。公開生放送実施の頻度は、2ヶ月~4ヶ月に一回の割合。この他、栄セントラルパーク等でも番組関連のイベントが催された。
- 「中京テレビイベント 冬はスキーでバッチグー!」
- 1991年12月14日、ジャパーナスキーステーション笹島操作場跡地 → Hakuba47
- 司会進行/圭・修、山中すみか、名古屋セントラルファッション所属のモデルさん10名
- 前年度の司会進行/嘉門達夫、原田さとみ
- 「ラジごめII金曜日の王様 コサックダンサーズオーディション&原田のゴーグル爆破イベント」
- 1992年2月8日、栄セントラルパーク
- 選出メンバーは同年3月29日白鳥センチュリーホールでの嘉門達夫ライブにてバックダンサーとして共演
- 「ラジごめII金曜日の王様 冬のBigイベント」
- 1992年12月19日、名古屋高速道路高架下千早交差点バスケットコート
- トヨタ3on3バスケット名古屋地区大会に向けて番組チームのメンバー選出、ピロピロシステム手帳の無料配布、韓国旅行を賭けてコックスの天野社長とのジャンケン大会
[編集] エピソード
- ラジごめ時代、スタジオのセットには「マカオのオカマ」「アルバイト 原田さとみ」と書かれたコート紙製の2つの立て札が存在していたが、当番組移行後はセットから外された。
- 投稿コーナー「魚屋のおっさん'90」で、嘉門と原田が小道具として使用していた磬と木魚、そしてそれぞれの専用の撥は全て本物で、開運寺という寺院からのレンタル品であった。ラジごめ時代の放送末期からこのコーナーが続けられていたことを考えると、約3年もの間借りっぱなしにしていたことになる。
- この番組の「CM明けQショットイラスト投稿コーナー」に、女子高生漫画家の桜木さゆみがイラストを投稿していたことがある。
- 1991年8月16日放送の回で明かされたドッキリネタ「グアム海外旅行権プレゼント、本人は行けずに顔写真だけを割り箸にくっつけてコンニチワ~事件」が過去にあったことから、視聴者たちの番組に対する「信頼」は総じて薄かった。しかしその後、1991年11月~1992年春季にかけて行われた視聴者電話参加型コーナー「AVアッハ~ンウッフ~ン吐息選手権」において、5週勝ち抜いて優勝した女性には公約通りカナダペアスキー旅行権を贈ることができ、どうにか面目を保つことができた。
- 1992年5月に、湖池屋のスナック菓子「ポリンキー」のCMソングを投稿者に好きなようにアレンジさせるコーナー「ポリンキーのコーナー」が実施されたことにより、それまでこの番組の放送時間中に流れることがなかった湖池屋のCMがほぼ毎週流れるようになった。
- 1992年10月2日放送の回のオンエア前、原田は番組制作スタッフから嘘の収録場所を伝えられ、疑うことなく名古屋市南区にあるレインボーホールへと向かった。現地まで行ってようやく事の次第に気が付いた原田が、慌てていつもの新栄雲竜フレックスビルまで戻ってくるその様子を、番組は放送の中で中継。このような、原田に対する番組挙げての手の込んだイジワルはよく行われており、その回の「ネタ」として用いられることも多かった。ちなみに、この時嘉門は原田が不在ということでゲスト出演者と大いに盛り上がっていたが、そのゲストとは、3週間後の放送で実施された2代目番組アシスタント選挙企画で候補者の一人となる石岡美紀その人であった。
- 1993年2月26日放送の回で、名鉄新名古屋駅(当時の呼称)前に集合し、そこで好き勝手にパフォーマンスをするよう視聴者に呼び掛けたところ、深夜であるにもかかわらず10数名が集合。この様子は、名鉄百貨店本館前に設置されている中京テレビのお天気カメラを通じ中継された。嘉門の選考により、見事パフォーマンストップ賞に輝いた参加者(上半身裸に白いズボンという格好で踊っていた青年)には「いかにも東南アジア産っぽいラジカセ」が贈られた。
- 番組のエンディングで一番最後に表示される「今週の格言」において、番組のマスコットキャラクター王様が毎週言っていた台詞「今から帰るからネ」は、結局放送開始から終了まで一度も変更が加えられることはなかった。
[編集] 番組の変遷
中京テレビ 金曜24:55~25:00、金曜25:05~26:45枠 | ||
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前番組 | 王様のお告げ ラジごめII金曜日の王様 |
次番組 |
予告DEごめん ラジオDEごめん |
シネマUSA ラジごめIIIホンジャマカ共和国 |
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