ラモン・メルカデル
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ラモン・メルカデル(Ramón Mercader;1913年2月7日 - 1978年10月18日)は、ソ連のスパイ。レフ・トロツキーの暗殺者。スペイン人。ソ連では、ラモン・ロペス(Рамон Лопес)と呼ばれた。ソ連邦英雄。登山家。
スペイン共産党員。ソ連内務人民委員部(NKVD)のエージェントだった母マリア・カリダドの勧めでラモンもエージェントとなり、ナウム・エイチンゴンの指揮の下、トロツキーの暗殺を準備した。
1939年9月、メルカデルはカナダのパスポートでニューヨークに向かい、トロツキーの側近シリヴィ・アゲロフに接近した。同年10月、トロツキーのいるメキシコに向かい、会社(エイチンゴンが作った幽霊会社)の仕事だといってアゲロフを信用させた。1940年3月、ジャック・モナーの偽名でトロツキーの別荘に出入りし、自分をトロツキーの支持者だと信用させた。
1940年8月20日、メルカデルは自分の記事を見せるとして暗殺のためにトロツキーの別荘に入った。7cmのピッケルをトロツキーの頭に振り下ろしたが、トロツキーは意識を失わずに叫び声を上げた。すぐに警備員がやってきたが、トロツキーは「殺すな。先ず尋問すべきだ」と叫んだ。結局これが致命傷となり、トロツキーは事件の2日後に死亡した。
逮捕後、メルカデルは私的な報復だとして証言を拒否した。1940年8月22日、「プラウダ」紙は、「暗殺者はジャン・モーガン・ワンデンドラインと自称し、トロツキーの信奉者かつ側近である」として関与を否定した。
メキシコの裁判所は彼に懲役20年を言い渡した。メルカデルは刑期を満了し、1960年5月6日に釈放され、キューバに移送され、その後、秘密裏にソ連に送られた。同年5月31日、メルカデルにソ連邦英雄の称号、レーニン勲章が授与された。
ソ連では、ソ連共産党中央委員会附属マルクス・レーニン主義大学職員として働いた。1970年代中盤、フィデル・カストロの招待によりキューバに移り、キューバ外務省顧問となった。ハバナで暮らし、1978年10月18日に死去。メルカデルの遺体はモスクワに移され、ラモン・ロペスとして葬られた。
[編集] 関連項目
- レフ・トロツキー:暗殺対象
- ナウム・エイチンゴン:暗殺の指揮者