ラリサ・サブチェンコ・ネーランド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラリサ・サブチェンコ・ネーランド |
|
---|---|
基本情報 |
|
英語名 | Larisa Savchenko-Neiland |
国籍 | ラトビア |
出身地 | ウクライナ・リヴィフ |
居住地 | ラトビア・ユールマラ |
生年月日 | 1966年7月21日 |
身長 | 169cm |
体重 | 60kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | |
ツアー経歴 |
|
デビュー年 | 1983年 |
引退年 | 2000年 |
ツアー通算 | 68勝 |
シングルス | 2勝 |
ダブルス | 66勝 |
生涯通算成績 | 1088勝481敗 |
シングルス | 322勝283敗 |
ダブルス | 766勝258敗 |
4大大会最高成績 |
|
全豪 | 4回戦(1992) |
全仏 | 3回戦(1984・89) |
全英 | ベスト8(1994) |
全米 | ベスト8(1988) |
キャリア自己最高ランキング |
|
シングルス | 13位 |
ダブルス | 3位 |
Template |
ラリサ・サブチェンコ・ネーランド(Larisa Savchenko-Neiland, 1966年7月21日 - )は、ラトビアの元女子プロテニス選手。ウクライナ・リヴィフ生まれ。旧ソビエト連邦の時代から活動し、ソ連崩壊後はラトビア・ユールマラに住んだ。彼女はダブルスの名手として長く活躍し、WTAツアーでシングルス2勝、ダブルス66勝を挙げ、4大大会でも女子ダブルス2勝・混合ダブルス4勝を達成した。旧姓「ラリサ・サブチェンコ」(Larisa Savchenko)というが、1989年にアレックス・ネーランド(Alex Neiland)と結婚した。結婚後の彼女は、夫の姓だけで「ラリサ・ネーランド」(Larisa Neiland)と呼ばれることが多いが、本記事では旧姓を併記した「ラリサ・サブチェンコ・ネーランド」の名前で記述する。
ラリサ・サブチェンコのテニス経歴は、旧ソ連時代の1983年から始まる。1988年、彼女はウィンブルドンで同じソ連のナタリア・ズベレワとペアを組んで初の女子ダブルス決勝に勝ち進み、シュテフィ・グラフ&ガブリエラ・サバティーニ組と熱戦を繰り広げた。ソ連ペアは 3-6, 6-1, 10-12 で敗れ、グラフが単複2冠を獲得した。続く全米オープンで、サブチェンコは初めてシングルス準々決勝に進出したが、第5シードのサバティーニに 6-4, 4-6, 1-6 の逆転で敗れた。1989年5月、サブチェンコはシングルスの自己最高ランキング「13位」を記録する。この年はズベレワとのダブルスで、全仏オープン決勝でグラフ&サバティーニ組に 6-4, 6-4 で快勝し、初めての4大大会タイトルをここで獲得したが、ウィンブルドン決勝ではチェコスロバキアペアのヘレナ・スコバ&ヤナ・ノボトナ組に 1-6, 2-6 で完敗し、2年連続準優勝で止まった。同年暮れの1989年12月21日、ラリサ・サブチェンコはアレックス・ネーランドと結婚した。
1991年、サブチェンコ・ネーランドとズベレワはついにウィンブルドン女子ダブルスで初優勝を果たす。2人はジジ・フェルナンデス&ヤナ・ノボトナ組を 6-4, 3-6, 6-4 で破り、3度目の挑戦でウィンブルドン初優勝を決めた。これはソ連国籍のテニス選手が獲得した最初のウィンブルドン・タイトルである。この年の暮れにソ連崩壊が起こり、ネーランドはラトビア国籍になり、ズベレワはベラルーシ国籍になる。それまでソ連のチームメートだった2人は、これを契機にダブルスペアの解消を余儀なくされた。1992年以後、ネーランドはヤナ・ノボトナと、ズベレワはジジ・フェルナンデスとペアを組むことが多くなる。ネーランドは1992年ウィンブルドンで混合ダブルス初優勝を果たし、チェコのシリル・スーク(ヘレナ・スコバの弟)とペアを組んだ。スークとネーランドは、オランダペアのヤッコ・エルティン&ミリアム・オレマンス組を 7-6, 6-2 のストレートで破って優勝した。ネーランドはその後、混合ダブルスで3つのタイトルを加えたが、1994年全豪オープンはアンドレイ・オルホフスキー(ロシア)、1995年全仏オープンと1996年全豪オープンはマーク・ウッドフォード(オーストラリア)と組んだ。
シングルスでのネーランドは、1994年のウィンブルドンでベスト8の自己最高成績を出した。この大会では、ネーランドは3回戦で第6シードの伊達公子を 6-3, 6-2 で破り、4回戦でアマンダ・クッツァーを破った後、ロリ・マクニール(アメリカ)に 3-6, 4-6 で敗れた。ネーランドの4大大会シングルスは、1988年全米オープンと1994年ウィンブルドンで2度のベスト8が最高成績になる。
ラリサ・サブチェンコ・ネーランドは1999年、33歳にして最後の1999年全仏オープン混合ダブルス決勝に勝ち進み、リック・リーチ(アメリカ)とペアを組んだ。2人は決勝でピエト・ノーバル(南アフリカ)&カタリナ・スレボトニク(スロベニア)組に 3-6, 6-3, 3-6 で敗れて準優勝になる。同年暮れの女子ツアー年間最終戦「チェイス選手権」で、ネーランドはアランチャ・サンチェスとペアを組んで決勝に進出し、マルチナ・ヒンギス&アンナ・クルニコワ組に 4-6, 4-6 で敗れた。それでも、33歳のネーランドは1999年度のダブルス・ランキングを「3位」で終えている。彼女の現役最後の試合は、2000年ウィンブルドンの女子ダブルス1回戦であった。若手のリナ・クラスノルツカヤとペアを組んだネーランドは、1回戦で杉山愛&ジュリー・アラール・デキュジス組に 4-6, 3-6 で完敗し、杉山とアラール・デキュジスが「17年間」に及んだネーランドの現役最後の相手になった。
現役引退後の2003年、ラリサ・サブチェンコ・ネーランドは国際テニス連盟と国際テニス殿堂から「フェドカップ優秀選手賞」(Fed Cup Award of Excellence)を授与された。
[編集] 4大大会ダブルス優勝
- 全豪オープン 混合ダブルス2勝(1994年、1996年) [同部門準優勝1度:1997年]
- 全仏オープン 女子ダブルス:1勝(1989年)/混合ダブルス:1勝(1995年) [女子ダブルス準優勝3度:1990年&1991年、1993年/混合ダブルス準優勝2度:1994年、1999年]
- ウィンブルドン 女子ダブルス:1勝(1991年)/混合ダブルス:1勝(1992年) [女子ダブルス準優勝5度:1988年&1989年、1992年&1993年、1996年/混合ダブルス準優勝2度:1996年&1997年]
- (全米オープン女子ダブルス準優勝2度:1991年&1992年)