ランチア・デルタS4
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デルタS4とはイタリアの自動車会社ランチアが世界ラリー選手権(WRC)のために製造したラリー用の競技車両。
[編集] 概要
形式名はZLA038ARO。 デルタの名を冠するものの、1985年までのランチア製グループB用ラリー車であった037ラリーがコクピット周りのモノコックを流用し、前後にスペースフレームのシャシを追加したものであったのに対し、量販車のデルタとはまったく異なる専用設計シャシであった。
また、ランチアの800番台でも、フィアットの100番台でもない、アバルトの開発コードSE038をそのまま使った形式名でもラリー専用のレーシングカーであることを示している。
とは言え、「連続した12ヶ月間で競技用車両も含む200台を生産しなければならない」というグループBの出場資格を得るため、市販車両も製作された。
エンジンは、フィアット製1759ccの直列4気筒DOHCスーパーチャージャーターボエンジンをリアミッドシップに縦置きした。ターボチャージャーに加え低回転域ではスーパーチャージャーを使う2段過給を採用し反応の向上を図った。このエンジンは最高出力456ps/8000rpm、最大トルクは46kgm/5000rpmを発生した。パワーウエイトレシオは2kg/psを切り、わずか890kgの車体を弾丸のように動かした。その姿は「公道を走るF1」とまで呼ばれた。
駆動方式は、1985年当時での最新テクノロジーと言える、ビスカス・カップリングによるフルタイム4WDを採用した。初期のエヴォリューションモデルには、デフロックのためのレバーが見うけられる。
[編集] 主な戦歴・エピソード
- WRCでは1985年の最終戦RAC・ラリーで、ヘンリ・トイヴォネンとマルク・アレンの1-2フィニッシュでデビューを飾る。
- 1986年は1月の開幕戦モンテカルロ・ラリーで優勝。
- 1986年5月のツール・ド・コルスで、トップを快走していたヘンリ・トイヴォネンはSS18でコーナーにオーバースピードで進入。コースアウトを喫し崖から転落、マシンは炎につつまれ、彼はコ・ドライバーのセルジオ・クレストと共に帰らぬ人となった。
以前からワークス・チームの大事故が相次いでいたことから、グループBでの選手権争いは危険すぎるとして、1986年シーズンをもって終了することが決定した。 - しかし、8月のアルゼンチン・ラリーで優勝。ミキ・ビアシオンにとってはWRC初勝利でもあった。このときのシャシーNo.209の個体は、現オーナーにより保安部品を追加して登録され、日本のナンバープレートを付けていることでも知られる。
- 絶対的な速さよりも、4200kmもの距離を壊れずに走りきることが要求される4月のサファリラリーでは、チームはデルタS4ではなく037ラリーを走らせ、マルク・アレンが3位を得る。ランチアはその後も前年チャンピオンのティモ・サロネンや若手ユハ・カンクネンを擁するプジョー・205T16E2と熾烈な争いを展開した。
- ランチアが1-2-3フィニッシュし、プジョーが「サイドスカート」によって失格とされた10月のサンレモ・ラリーが、12月の最終戦オリンパス・ラリー後に、プジョーの抗議により選手権ポイント対象から除外されてしまい、いったんは決まったマルク・アレンのドライバーズ・タイトルとランチアのマニュファクチャラーズ・タイトルが共に消え、11日間の「幻の王座」となった。
この年でグループBが無くなったため、前年も入れ13戦中6勝したものの、デルタS4は「無冠の帝王」と呼ばれ、ランチアのワークス参戦したラリーカーで唯一タイトルの無い車両となった。