リバプールサウンド
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リバプールサウンドとは、1960年代前半、ロックンロールを国際的な市場にした大衆音楽のスタイル。日本独自の呼称である。リバプールサウンド=イギリスでのサウンド、イギリスでのロックという解釈による呼称。
[編集] 概要
英国の港町のリヴァプールには、海外から多くの労働者が訪れたので多様な音楽を演奏するパブやレコード店が存在していた。そのような環境で、米国の大衆音楽ロックンロール、R&B、ブルースに熱中する若者が生まれた。米国での受け取られ方と違い、彼らは人種による音楽の違いや、一時的な流行とは関係なく彼らにとっての「本物」の音楽を探し求めた。情報源はもっぱら米軍放送や海賊放送であり、船乗り達が買ってくるレコードであった。
当時、大衆音楽の配給元はほぼ全てが米国だった。そのような状況下で、音楽的僻地・イギリスの白人の若者達であるビートルズが黒人音楽に強く影響されたビート音楽を生み出し、大ヒットを記録したのである。まさに前代未聞の出来事であった。それはファッション・ルックスだけでなく、エレキギターを中心にしたソリッドな演奏に巧みなコーラスワークを加えたバンドスタイル、メンバー自らが作詞作曲を手がける独自の音楽性が真に衝撃的だったからだ。
ビートルズの米国での驚異的な成功が呼び水となって、ビートルズと同じリヴァプール出身のジェリー&ザ・ペースメイカーズやスウィンギング・ブルー・ジーンズをはじめ、英国各地のバンドが次々と米国へと渡った。このため1964年~1965年にかけてビルボードのヒットチャートの約半分がイギリスのバンドで占められるという現象が起き、米音楽業界はこれをブリティッシュ・インヴェイジョン(イギリスの侵略)と呼んだ。この出来事は社会現象として世界中に配信され、日本ではこの時期に現われた英国のバンドを総称してリバプールサウンドと呼んだ。しかしこれは日本独自の呼称であり、それらのバンドがロンドン出身だろうがマンチェスター出身だろうがひとまとめにされていたのである。その由来は当時の東芝音楽工業(現・東芝EMI)が1964年に独自に編集した、ビートルズを含む複数の英国出身バンドの曲を集めたオムニバスLP「リバプールの若者たち」に由来するといわれている。
ちなみに英米では彼らの出身地リヴァプールを流れるマージー川に由来するマージービート、同時期に現れた他地域のバンドも含めてブリティッシュビートという総称で呼ばれている。
ビートルズの影響力は世界中に波及し、数年のタイムラグをおいて世界各地で熱狂的なビートバンドブームが起きた。1967年~1969年にかけて日本中を席巻したGS(グループサウンズ)もその一環である。この世界的現象の背景を推察するなら、第二次世界大戦後のベビーブームで生まれた子供達がティーンエイジャーになった時、そこには豊かな社会に裏打ちされた消費文化があり、エレキギターとロックンロールが魅力的なものとして映った、ということなのだろう。
それまで米国主導だった音楽エンターテイメントは、このブームを境に英米二極型へと大きく変貌を遂げることになった。そして外貨を稼いだビートルズにMBE勲章を授けたイギリスはこれ以降、ロックを最大の輸出商品としていくのである。
[編集] 主要ミュージシャン
[編集] 代表曲
- シー・ラヴズ・ユー /ビートルズ
- サティスファクション /ローリング・ストーンズ
- 朝日のあたる家 /アニマルズ
- バス・ストップ /ホリーズ
- ビコーズ /デイヴ・クラーク・ファイヴ
- 朝からごきげん /ハーマンズ・ハーミッツ
- 恋のテクニック /ジェリー&ザ・ペースメイカーズ
- ヒッピー・ヒッピー・シェイク/スウィンギング・ブルー・ジーンズ
- 愛なき世界 /ピーターとゴードン
- 好きなんだ /フレディ&ザ・ドリーマーズ
- シーズ・ノット・ゼア /ゾンビーズ
- ユー・リアリー・ガット・ミー /キンクス
- ドゥワ・ディディ・ディディ /マンフレッド・マン
- ハートせつなく /ヤードバーズ
- マイ・ジェネレーション /ザ・フー