レースクイーン
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レースクイーンとは、モータースポーツ(自動車、オートバイ等のレース)に参戦する各チームの宣伝広報員、或いは所属チームの選手をサポートするアシスタント的な仕事をする女性の事を言う。
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[編集] 概要と変遷
- 本来は、レース主催者等に雇われた(選ばれた)数名の女性(富士スピードウェイクレインズ等)で、優勝者の表彰等のレース運営の中で一定のシンボル的役目を担う者を指す言葉であったが、現在ではこの意味で使われる事は稀である。上記のように各チームに所属する者は、本来はキャンペーン・ガール、又はキャンギャルと言うのが正しい。
- その起源は、1960年代後半に小川ローザらがサーキット場でモデルとして活躍したのがきっかけと言われている。以降その形態にはあまり変化が無かったが、1984年に開催された日本最高峰のオートバイ耐久レース「鈴鹿8時間耐久ロードレース」で、あるチームのキャンペーンガールがチーム名のロゴマークを入れた水着を着て応援し話題となった。1980年代後半のバブル経済絶頂期に入ると、チームやスポンサー企業名のロゴが入った極めて布地面積が少ないハイレグ・レオタードを身に纏った女性達が多数サーキットに出現し人気を博した。それ以降、この様なスタイルがレースクイーンの主流として定着、特にオートバイのレーシングチームでキャンペーンガールを務めた岡本夏生の大ブレイクでレースクイーンはサーキットを飛び出し、様々なマスコミの舞台へと進出する様になって行った。2000年頃には多数のムック本が出版される等活況を呈していたが、グラビアアイドルや秋葉系と言われる地下アイドル等ビジュアル人気の細分化により、現在は1誌を残して休刊になる等、ややニッチなカテゴリーへの傾向が見られる。
- 元々レースクイーンには見た目の美しさや華やかさ、更にバブル期以降に於いては強烈なセックスアピール等が求められ、同時にその仕事内容はハードで体力を要する側面もあった事から20代半ば迄の引退が目安だった。この為メディアへの進出は引退後の転身として重宝され、更にある程度の知名度が得られれば早々とタレント活動に軸足を移す傾向が強まった。その為、レースクイーンとしての実績はごく僅かでタレントや俳優として名を成した者、グラビアアイドル等でデビューした後に年契約でレースクイーンを務める者、コスプレイヤーやネットアイドルといった「アイドル予備軍」が参入する等経歴や形態が多様化し、又現役女子高生レースクイーンの誕生と言った低年齢化も進んだ。
- 1999年の男女雇用機会均等法でレースクイーンの名称の消滅の危機があったが回避。
- 現在はレースクイーン専門の芸能事務所が多数あり、その事務所がレースが行われない週末を利用してカメラ小僧向けのアマチュア撮影会を開催し、所属のレースクイーンをモデルとして出演させて収益を得ると言った事が行われている。その為最近ではレースはスポンサーアピール以上に撮影会の開催の宣伝の場ともなっている(カメラ専門誌の広告にスタジオ主催の撮影会スケジュールが掲載されていることが多い)。
- 国内モータースポーツで一番動員力があるSUPER GT(旧全日本GT選手権)は注目度も高いため年々レースクイーンの数も増加の一途をたどった。2003年には1レース200名以上、1台に10名以上が立つチームも現れ、2004年より進行を円滑に行うため1台につき4名までという制限が主催者より課せられた。この影響のせいかこの年から急激に世代交代が進み2006年には顔ぶれはほとんど一新され平均的にも若い世代がかなりの数を占めるようになった。この状況に対して1部ファンからは「レベルが落ちた」という意見、そしてAll Aboutにおいても懐古回帰願望のような意見(参照:[1])が掲載されたが、これは裏を返せば年齢を偽ってまでレースクイーンを長年続けるモデルやタレントが多数いてまたそれを追い求めるファン達と共に硬直化してマンネリに陥っていた証しでもある。現在流動化しているレースクイーンの世代と共に新しいファン層を掴むことが活性化への鍵とも言える。
- 韓国、中国でもレーシングガールなるキャンギャルがサーキットに華を添えている。これは明らかに日本のレースクイーンからの影響と思われる。こちらも芸能界とくに映画女優への登竜門的存在である。
- 欧米では、婦人団体などからのクレームが非常に強いため、特にテレビ放送があるモータースポーツなどでは、そもそもチームにキャンペーンガールなど居ないことが多い。F1・日本グランプリにおいてもスポンサーのキャンペーンガールがメディアに登場するが、多くはあくまでコース外のスポンサーブースでの活動であって、ほとんどの場合コース上やパドックには入場すら許されていない。ただしレッドブル・レーシングのように、F1の各グランプリにおいて「フォーミュラ・ウナ」(Formula Una)と題し開催国の美女を集め、パドック内においてコンテストを開催するようなチームも存在する。
- もちろん、海外の有名レースでも、レース前のプラカード等の掲示要員や表彰台でのアシスタントとして、サーキット側がキャンペーンガールを用意することは時折あるが、大抵は全員統一された、しかし普通のデザインの短パンと軽めのジャケットの組み合わせだったり、甚だしい場合は単なるツナギ姿だったりして、チームの女性広報スタッフと大差ないこともザラである。モーターショーなどでも同様で、元々アンダーグラウンド系の文化をフィーチャーした等の特殊な理由でもない限り、本来の商品と関係の無い女性の露出度で集客しようとすることはまず無い、ということは知っておくべきだろう。
[編集] コスチュームの変遷
コスチュームは同じチーム、スポンサーであっても毎年デザインは細部を含めて変更されており、デザインは時代を反映している。
[編集] 1980-90年代前半
当時の水着の流行である股間の部分の布地の角度を極端に上げたハイレグカット(ハイレグ)を模したワンピースのレオタードが主流。これにスポンサー名を直接プリント、又はたすきをかけていた。当時の流行の髪形ワンレングスと共にレースクイーンの象徴的なスタイルとして印象を与えた。現在ではハイレグのコスチュームはほぼ皆無である。
[編集] 1990年代後半
膝上が極端なワンピースが主流となる。レオタードの素材で作成された体のラインそのままに出る物から徐々にエナメル仕様の物へと変化して行った。ワンピースの利点は布地面積が広いのでスポンサーロゴが大きくプリントされ企業やチームカラーで色とりどりにデザインされた。大きなエリが特徴的だったがセクシーさを強調する為大胆なスリットやバストの部分を繰り抜いたデザインが現れる様になった。
[編集] 2000年代前半
大きな変化としてはワンピースからツーピース(セパレート)タイプへの変化が挙げられよう。ウエスト部分を露出したアンダーバストまでの上衣(ホルターネック・チューブトップ・ハーフトップのブラジャーやキャミソールが中心)とミニスカート(更に短いマイクロスカートも)又は、ブーツ(夏季はサンダル)、春や秋には7分袖丈の上着というスタイルが主流となった。スポンサーロゴは小さくなったがカラーリングの組み合わせが容易になった。又パンツスタイルも現れ、スラックス並みの長さの物と短いホットパンツに大別される。この場合もサイドを網状にしたりカッティングしたりする等大胆な露出が施されていた。
[編集] 2000年代後半
引き続きツーピース(セパレート)タイプが主流となっているが、色や素材の違うパターンを織り込んで縫製された細部にわたる複雑なデザインのものへと変化している。またアクセサリー、帽子、上着もチームによってさまざまに取り入れられている。更にスポンサーによってはドレスやメイド服、セーラー服などコスプレを意識したデザインも登場している。着用するモデルからの意見も取り入れてデザインをされるなど露出一辺倒から洗礼されたデザインへとの変化がうかがえる。
[編集] レースクイーン出身タレント(50音順)
- 飯島直子
- いけだりか
- インリン・オブ・ジョイトイ
- 牛川とこ(三十路過ぎまで活躍し引退)
- 遠藤賀子
- 岡本夏生
- 緒川たまき
- 胡喋蘭・エリ
- さくらいゆり(当時は本名で活動)
- 坂井泉水(ZARD、当時は蒲池幸子として活躍)
- 杉浦美雪(元おニャン子クラブの逆バージョン)
- 高島礼子
- 堀口としみ
- 水谷さくら
- 三井ゆり
- 室井佑月(作家、テレビのコメンテーターとして活躍)
- 森下千里
- 諸岡愛美
- 吉岡美穂
- 若槻千夏(全日本GT選手権イメージガール)
- 相澤仁美(2005年SUPER GTイメージガール)
- 相馬茜
[編集] その他のレースクイーン出身著名人
- 井原慶子(カーレーサー)
- 高橋小町(カーレーサー)