ロサンゼルスオリンピック (1984年) 野球日本代表
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ロサンゼルスオリンピック野球日本代表(ロサンゼルスオリンピックやきゅうにほんだいひょう)は1984年ロサンゼルスオリンピックに出場する日本選手を編成したチームである。
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[編集] 概要
野球大国であるアメリカで開催されるオリンピックということで、世界野球連盟(IBAF)の働きかけが実り、初めて公開競技としてオリンピック競技となった。前年のアジア選手権がオリンピックアジア予選となったが、日本は台湾との代表決定戦で敗れ、一時出場が絶たれた。しかし、東西冷戦の影響からソ連が同オリンピックをボイコットし、すでに出場権を得ていたキューバもこれに同調したことから、日本に出場権が与えられた。選手19人は大学生7人、社会人12人で構成。社会人も若手が選出された。
出場国はアメリカ、台湾、イタリア、ドミニカ共和国、日本、韓国、ニカラグア、カナダの8か国。前者4か国を「白組」、後者4か国を「青組」としてグループ分けして総当たり予選が行われた。日本は2勝1敗で予選を1位通過し、準決勝では台湾を延長戦で破った。決勝戦では開催国アメリカと対戦し、広沢克己のホームラン等により6-3で勝利。公開競技ながらオリンピック初代の野球チャンピオンに輝いた(広沢は予選から通算して5試合で3本のホームランを放っている)。日本代表チームからは16人がプロ入りし、オリンピック出場からプロ野球入りという道の先鞭をつけた。
[編集] 監督・コーチ
(かっこ内は所属;年齢。いずれも選出当時)
[編集] 選手
(()内は所属;年齢。いずれも選出当時。【 】内はその後のプロ野球経歴)
[編集] 投手
- 11 米村明(河合楽器;24)【中日(1985~91)】
- 12 吉田幸夫(プリンスホテル;26)
- 14 伊東昭光(本田技研;21)【ヤクルト(1986~98)】
- 15 伊藤敦規(福井工業大;21)【阪急(1988~94)、横浜(1995~96)、阪神(1997~2002)】
- 16 宮本和知(川崎製鉄水島;20)【巨人(1985~97)】
- 18 西川佳明(法政大;21)【南海(1986~90)、阪神(1991~92)】
[編集] 捕手
- 20 嶋田宗彦(住友金属;22)【阪神(1985~92)】
- 21 吉田康夫(三菱自動車川崎;23)【阪神(1986~97)】
- 22 秦真司(法政大;22)【ヤクルト(1985~98)、日本ハム(1999)、千葉ロッテ(2000)】
[編集] 内野手
- 2 正田耕三(新日鉄広畑;22)【広島(1985~98)】
- 3 浦東靖(新日鉄堺;22)
- 4 森田芳彦(鹿児島鉄道管理局;22)【ロッテ(1986~95)】
- 5 上田和明(慶應義塾大;21)【巨人(1985~93)】
- 9 和田豊(日本大;21)【阪神(1985~2001)】
- 10 広沢克己(明治大;22)【ヤクルト(1985~94)、巨人(1995~99)、阪神(2000~03)】
- 23 福本勝幸(東芝;27)
[編集] 外野手
- 7 荒井幸雄(日本石油;19)【ヤクルト(1985~95)、近鉄(1996~97)、横浜(1998~2000)】
- 8 古川慎一(亜細亜大;20)【ロッテ(1986~95)】
- 25 熊野輝光(日本楽器;26)【阪急(1985~91)、巨人(1992~93)、オリックス(1994)】
- 27 森田昇(日本生命;27)
[編集] ロサンゼルスオリンピックの戦績
※会場はすべてドジャースタジアム。
[編集] 予選リーグ
- 第1戦 2-0 韓国
- 第2戦 19-1 ニカラグア
- 第3戦 4-6 カナダ
[編集] 決勝トーナメント
- 準決勝 2x-1 チャイニーズ・タイペイ(台湾)【延長10回】
- 決勝 6-3 アメリカ
- 金メダル獲得