ロッキード事件
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ロッキード事件(ロッキードじけん)とは、1976年2月に明るみに出た世界的な大規模汚職事件。
この事件ではオランダ・ヨルダン・メキシコなど多くの国々の政財界を巻き込んだが、本項では特に日本での汚職事件について詳細に述べる。
目次 |
[編集] 事件概要
「総理の犯罪」の異名を持つこの事件は、全日空の新型旅客機導入選定に絡み、自由民主党衆議院議員で前内閣総理大臣、「今太閤」、「コンピューター付ブルドーザー」と評された田中角栄が、同年7月27日に受託収賄と外国為替・外国貿易管理法違反の疑いで逮捕されたという前代未聞の事件である。田中前総理の他にも佐藤孝行運輸政務次官(逮捕当時)や橋本登美三郎元運輸大臣が逮捕され、戦後の疑獄事件を代表する大事件となった。
なお、田中は月刊誌「文藝春秋」1974年11月号に掲載された、立花隆による「田中角栄研究~その金脈と人脈」と、児玉隆也による「淋しき越山会の女王―もう一つの田中角栄論」でその金権体質を暴かれ、1974年11月26日に自民党総裁辞任表明に追い込まれ、同年12月9日に首相を辞職したが、その後も自民党内で大きな影響力を持ち続けていた。
[編集] 経緯
[編集] チャーチ委員会
1976年2月4日にアメリカ合衆国上院で行われた、上院多国籍企業小委員会(チャーチ委員会)公聴会で、大手航空機製造会社のロッキード社が、全日空をはじめとする世界各国の航空会社に大型ジェット旅客機「L-1011 トライスター」を売り込むため、各国の政府関係者に巨額の賄賂をばら撒いていた事が明らかになった(全日空への工作費は約30億円だったと言われる)。
[編集] 政治家・右翼・政商
さらにその後、ロッキード社のアーチボルド・コーチャン副会長とクラッター元東京駐在事務所代表が、日本においてロッキード社の裏の代理人的役割をしていた右翼の大物、児玉誉士夫に「コンサルタント料」として21億円あまりが流れ、さらに児玉から、児玉の友人で国際興業社主で「政商」と呼ばれる小佐野賢治や、ロッキードの日本における販売代理店である総合商社の丸紅などを通じ、当時の内閣総理大臣である田中に対し5億円が密かに渡されたことを証言した。
[編集] トライスター発注
当時全日空は、次期大型旅客機としてマクドネル・ダグラス社(その後ボーイング社に吸収合併)が製造したDC-10を正式発注する直前の状態で、これを見越した三井物産(マクドネル・ダグラスの日本における販売代理店)がマクドネル・ダグラスに対して発注しており、引き渡し予定のDC-10がロングビーチの工場で完成している状態であった。この様な工作が行われたため土壇場で覆され、全日空はロッキード社の製造したL-1011トライスターを発注した。
なお、この発注に先立つ1972年9月に東京で行われた日英首脳会談で、イギリスのエドワード・ヒース首相が田中に対して、ロールス・ロイス社製ジェットエンジンを搭載したトライスター機の購入を強力に働きかけていたことが、2006年に公開されたイギリス政府の機密文書で明らかになった。これに先立つ1971年2月にロールス・ロイス社は、トライスター用のエンジン「RB211」の開発失敗により倒産し、当時イギリス政府によって国営化され再生途上であったことから、イギリス政府もアメリカ政府とともに、自国企業の存続をかけて強力なセールス活動を行っていた形になる(なお、イギリス政府やロールス・ロイス社の関係者による、田中などに対する受託収賄は確認されていない)。
[編集] 証人喚問
その後、事件関係者として衆議院予算委員会に小佐野賢治や檜山広丸紅会長、若狭得治全日空社長などが証人喚問された(後に3人とも東京地方裁判所に起訴され有罪判決を受けた)。捜査を指揮した伊藤栄樹・東京地方検察庁検事(のち検事総長)の証人喚問での答弁「まず初めに“5億円ありき”とご承知願いたい」は有名。
[編集] 裁判
田中元首相に対する公判は1977年1月27日に東京地方裁判所で開始、1983年10月12日に田中角栄元総理に懲役4年の有罪判決が下る(5日後に保釈金2億円を払い保釈)。田中は控訴したが1987年7月29日に控訴棄却、上告審の最中の1993年12月16日、田中の死により公訴棄却となった。1995年2月22日、秘書の榎本敏夫と檜山広は最高裁判所で有罪判決を受けた。その後、他の被告も次々と病死し、2007年現在生存する元被告は榎本、佐藤孝行、太刀川恒夫の3人のみとなった。
なお、田中は下級審有罪判決後も衆議院議員を辞任せず、その後の選挙でも地元新潟の有権者が田中を国会に送り続けたため、闇将軍として君臨し続けた。
[編集] 陰謀説
後に事件当時の国務長官であったヘンリー・キッシンジャーが、『ロッキード事件は間違いだった』と中曽根康弘に述べたとされる(ただし、どのような意味で「間違い」だとしてるのかは不明である)他、この事件が発覚する過程において、贈賄側証人として嘱託尋問で証言したロッキード社のコーチャン副社長とクラッター元東京駐在事務所代表が、無罪どころか起訴すらされていない点、ロッキード社の内部資料が誤って上院多国籍企業小委員会に誤配されたとされる点など、事件に関連していくつもの不可解な点があったため、ソ連やアラブ諸国からのエネルギー資源の直接調達を進める田中の追い落としを狙った石油メジャーとアメリカ政府の陰謀だったとする説、または中華人民共和国と急接近していた田中を快く思っていなかったアメリカ政府が角栄を排除する意味があったとする説がある。
ただし誤配説に対しては『ロッキード社の監査法人であるアーサー・ヤング会計事務所がチャーチ委員会から証拠書類の提出を求められ、すぐに証拠書類を提出したものの、顧客秘守義務の観点から、すぐに手渡してしまったということが判るとロッキード社との関係上都合が悪いため、事実を隠すために誤配説を流布した』という説もある。また、事件発覚の時点で田中は既に総理を辞任していたことにも留意する必要がある。
また、コーチャン、クラッター両名が起訴されていない点については、両名に対する嘱託尋問がアメリカで行なわれるに際して、日本の検察が刑事訴訟法248条に基づき事実上の免責を与えたのが直接的な理由である。アメリカに在住する両名を起訴することは実質的に不可能であった(日米犯罪人引渡し条約の発効は1980年、国際贈賄防止条約の発効は更に遅れて1997年)事を考えれば、両名が起訴されなかったことに不審なところはない、という反論もある。
[編集] ロッキード事件にかかわる問題点
[編集] 金額の不一致(政治主義裁判)
ロッキード社の工作資金が児玉ー丸紅に30億円流れ、そのうちの過半が児玉に渡っている以上、5億円の詮議も解明されなければならない事柄であるから当然解明するのは道理にかなっていることではあるが、さることながら金額が多いほうの流通は一向に解明されていない。この方面の追跡が曖昧にされたまま5億円詮議の方にのみ向うというのは政治主義裁判である可能性がある。
他方で、問題にすべきは事件の全容が解明されなかったことであって、そのことをもってロッキード裁判を批判するのはあたらない、という見方もある。また、私人である児玉に渡った資金と総理大臣であった田中に渡った(とされる)資金とは、たとえその額に大きな違いがあるとしても、同列に並べて考えられるべきではないだろう。
[編集] 公訴権の乱用の可能性
三木首相・稲葉法相の「逆指揮権発動」による田中角栄裁判は、公訴権の乱用である可能性がある。「指揮権発動」も「逆指揮権発動」も共に問題があるという観点を持つべきであろう、という主張がある。すなわち、一般に、政争は民主主義政治の常道に属する。その政争に対し、検察権力の介入を強権発動すること自体、公訴権の乱用である。同時に三権分立制を危うくさせ、司法の行政権力への追従という汚点を刻んだことになる、というのである。 他方で、いわゆる「逆指揮権発動」とは単に三木内閣がロッキード事件の解明に熱心であったことを指すに過ぎず、なんら問題にすべきところはないという反論もある。例えば後に稲葉は、あれだけの証拠があって逮捕を差し止めたらその方が余程問題で、指し止めなど出来る訳が無かった旨を語っている。
[編集] 不当逮捕の可能性
外為法違反という別件逮捕で拘束するという違法性、しかもかつて首相職にあったものにそれを為すという政治主義性という問題があるとする主張もある。しかしながら、田中角栄の場合5億円の受け取りという一つの行為が外為法違反と収賄罪の双方に関わっていることなどを考えれば、別件逮捕という批判は当たらないとの反論がある。
[編集] “作文”調書の可能性
各被告の供述証書が検事の作文に対する署名強要という経緯で作られた事が判明している、まさに権力犯罪、国策裁判と考えても差し支えない、という主張もある。しかし検事調書の作成にあたって一問一答を忠実に記録するのではなく、検事が供述をまとめた調書に被告(被疑者)の署名捺印をさせる、という手法は日本の刑事裁判に一般的なもので、その是非はともかくとしてロッキード事件に特有のものではない。また、一般にロッキード裁判批判論では、丸紅の大久保被告が公判でも大筋で検事調書通りの証言を行なった事実が無視されている。
[編集] 流行語
事件の捜査や裁判が進むにつれ、事件関係者が発した言葉や事件に関連した符丁が全国的な流行語となった。
- 「ピーナツ」:贈賄時に100万円を「1ピーナツ」と隠語で数えていた。他に「ピーシズ(pieces)」も。
- 「(ぜんぜん)記憶にございません」:小佐野賢治が衆議院予算委員会で事件について聞かれた時の言葉。
- 「ハチの一刺し」:田中元総理の元秘書で、事件で有罪となった榎本敏夫の三恵子前夫人が、榎本に不利な法廷証言を行なった心境について述べた言葉。
- 「よっしゃよっしゃ」:田中元総理が全日空への工作を頼まれたときに発したとされる言葉。
[編集] 他国におけるロッキード事件
オランダでは、空軍における戦闘機(F-104を売り込んでいていた)の採用をめぐって、女王ユリアナの王配ベルンハルトに多額の資金が流れ込んでいたことが明らかにされた。これは日本での汚職事件と相まって対外不正行為防止法を制定させるきっかけとなった。
[編集] 全日空発注のDC-10のその後
全日空が発注キャンセルしたDC-10は3機あったが、ダグラス社は売れ残った他の機体と共に各国の航空会社にダンピング販売した。そのうちの1機がトルコ航空に販売され、のちに1974年にトルコ航空DC-10パリ墜落事故を引き起こした。(この事故の原因はDC-10の設計上の問題であった)
[編集] 参考文献
- 立花隆 『田中角栄研究-全記録』上下 (講談社)
- 立花隆 『ロッキード裁判批判を斬る』全3巻 (朝日新聞社)
- 堀田力 『壁を破って進め-私記ロッキード事件』上下 (講談社)
- 徳本栄一郎 『角栄失脚 歪められた真実』 (光文社 著者は訴訟資料を再調査した元ロイター記者 )
- 木村喜助 『田中角栄の真実』 『田中角栄 消された真実』(弘文堂 著者は一審から上告審まで担当した弁護士)
- 田原総一朗 『戦後最大の宰相 田中角栄〈上〉ロッキード裁判は無罪だった』 (講談社プラスアルファ文庫)
- 小室直樹 『田中角栄の遺言』 (ザ・マサダ)『田中角栄の呪い』 (光文社)
- 井上正治 『田中角栄は無罪である。』 (講談社)
- 秦野章 『何が権力か』 (講談社)
- 小山健一 『私だけが知っている「田中角栄無罪論」』 (講談社出版サービスセンター)
- 田中角栄を愛する政治記者グループ 『田中角栄再評価 ― ロッキード事件も無罪だった!?』 (蒼洋社)
- 早坂茂三 『怨念の系譜』 (東洋経済新報社)
[編集] 関連項目
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