ロンドン地下鉄
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ロンドン地下鉄(The London Underground)は、大ロンドン市域(Greater London area)の地下、および地上を走る電化された世界最古の公共鉄道ネットワークである。運行開始は1863年1月10日、メトロポリタン鉄道(Metropolitan Railway)による。初期の路線の大部分は、現在もハマースミス&シティー線の一部として使用されている。
ロンドン地下鉄は、ロンドンの住民にはしばしば単純に"the Underground"または(より親しみをこめて)"the Tube"と呼ばれている。後者は、そのトンネルの形状に由来している。
ロンドン地下鉄には現在275の駅が存在し、総延長距離は408km(253マイル)におよぶ。また、廃止となった駅、および路線も数多い。2004年-2005年の統計では、総利用者数は年間9億7600万人、あるいは一日当り267万人という記録に達している。
2003年より、ロンドン地下鉄はロンドン交通局(Transport for London=TfL)の傘下に入った。この交通局は他にも、有名な赤い2階建てバスも含めた、ロンドンのバスのスケジューリング、および(運行会社への)業務委託を行っている。それ以前は、ロンドン地方交通社(London Regional Transport)がロンドン地下鉄の持株会社として存在していた。
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[編集] 歴史
ロンドン地下鉄の最初の開通区間(メトロポリタン鉄道のパディントン駅―ファリンドン駅間)は、世界初の都市内地下旅客鉄道であった。この方式が採用されることとなった1854年以降、財政上その他の障害による遅れはあったが、1863年1月10日に運用が開始された。列車は10分毎に運転され、初日には4万人の利用客があった。1880年までには、このメトロポリタン鉄道は延伸され、年間4000万人を輸送するまでに成長した。他の鉄道会社もその機会をみて参入、1884年までにはサークル線の完成をみた。これらの路線は全て蒸気機関牽引の列車であり、地上に向けて換気を行う必要があった。よって煤煙によって駅は煤だらけとなり、当時のホームは木造だったのでしばしば小火も出すなど、評判は必ずしも良好ではなかった。後には電気動力方式が発展、また初期用いられた開削工法から、シールド工法など、より深いトンネルを掘削する技術が進歩したこともあり、地下鉄はより深く位置することになった。そういった深い地下鉄の最初の例は1890年のシティー・アンド・サウス・ロンドン鉄道線、今日のノーザン線の一部である。
20世紀に入ると、6つの異なった鉄道会社が別個の地下鉄路線を運営するという形態は利用者に多大の不便を与えるようになってきた。多くの駅で、乗換客は地上まで出て歩くことを強いられたのだ。またこうした運営方式はコスト面からも効率が悪かった。どの鉄道会社も、より収益性の高い郊外への延伸を目指し、それには資本家からの資金が必要とされた。そのような資本家としてもっとも有名なのはアメリカ人、チャールズ・ヤーキスである。彼は1900年から1902年にかけて、メトロポリタン・ディストリクト鉄道、未完成のチャリングクロス・ユーストン・アンド・ハムステッド鉄道(後にノーザン線の一部となる)、グレード・ノーザン・アンド・ストランド鉄道、ブロンプトン・アンド・ピカデリー・サーカス鉄道(ピカデリー線の中核をなす)、そしてベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道(後にベーカールー線となる)を次々に買収、ロンドン地下電気鉄道会社(Underground Electric Railways of London Company Ltd)を1902年4月9日に創設する。この会社はまた多くの路面鉄道を所有、更にロンドン・ジェネラル・オムニバス会社を買収して、「コンバイン」と称される企業組織となった。
1933年、公共機関としてロンドン旅客輸送委員会(London Passenger Transport Board=LPTB)が創設され、上記ロンドン地下電気鉄道会社、メトロポリタン鉄道、独立のバス、路面電車会社はすべてこの委員会の傘下に入ることとなった。今日のロンドン交通局と大体共通する業務範囲である。委員会は「1935年40新規事業計画」という路線網拡張計画を策定したが、第二次世界大戦の開戦により計画は凍結される。ドイツによるロンドン空襲が開始されると、地下鉄駅は防空シェルターとして利用されるようになる。これは一時しのぎの対策として始まり、当局は当初シェルターとしての利用に反対していたが、後には適切な寝台、便所、食事施設なども備えられるようになった。
戦後は旅客の混雑状態が悪化した。戦後の人口膨張に伴う交通量増加を受け、ヴィクトリア線による北西―南東方向の交通が図られた。1977年にはピカデリー線がヒースロー空港まで延伸され、また1979年にはジュビリー線が開通した。
2005年7月7日および7月21日、ロンドン地下鉄の各所で連続爆破が発生した。これに関してはロンドン同時爆破事件参照のこと。
[編集] 概要
[編集] 路線一覧
色 | 路線名 | 開業年 | 区間 | キロ程 | 主な形式 | 駅数 |
---|---|---|---|---|---|---|
Bakerloo Line | 1906 | Harrow & Wealdstone - Elephant & Castle | 23km | シールド | 25 | |
Central Line | 1900 | West Ruislip - Epping | 74km | シールド | 49 | |
Circle Line | 1884 | South Kensington - Baker Street - Monument - South Kensington | 22km | 開削 | 27 | |
District Line | 1868 | Richmond - Upminster | 64km | 開削 | 60 | |
East London Line | 1869 | New Cross - Shoreditch | 8km | 開削 | 8 | |
Hammersmith & City Line | 1863 | Hammersmith - Barking | 14km | 開削 | 28 | |
Jubilee Line | 1979 | Stanmore - Stratford | 36km | シールド | 27 | |
Metropolitan Line | 1863 | Amersham - Aldgate | 67km | 開削 | 34 | |
Northern Line | 1890 | High Barnet - Morden | 58km | シールド | 50 | |
Piccadilly Line | 1906 | Healthrow Terminals 1,2,3 - Cockfosters | 71km | シールド | 52 | |
Victoria Line | 1968 | Brixton - Walthamstow Central | 21km | シールド | 16 | |
Waterloo & City Line | 1898 | Waterloo - Bank | 2km | シールド | 2 |
[編集] 路線
路線は大きく二種類に分けられる。開削工法(地面を掘ってトンネルを作りそれを埋める)で作られた地表下6mほどの比較的浅い路線と、シールド工法(地中を水平に掘り進んでトンネルを作る)で作られた地表下20mほどの路線がある(上の"the Tube"の写真参照)。前者は比較的初期にできた路線で、車両限界もイギリスの標準的なサイズだが、後者は技術が進歩して地下深い路線も可能になったとは言え、20世紀初期にできたものであり小さいトンネルしか掘れず車両限界が小さい(ただしVictoria Lineは比較的新しいので標準サイズ)。当時は今のような巨大なシールドマシンはなかった。そのため後者はトンネル直径が3.56mしかなく、冷房装置がついていない。これが不満の原因にもなっている。しかしながらそれが開業した時は冷房装置などは珍しく、だからといって今になってトンネルを大きくするのはものすごく大変なので、それは致し方ないのかも知れない。
また日本の地下鉄のように、地上を走る区間もある。地下区間は全体の45%ほどである。
[編集] 軌道・電化方式
ロンドン地下鉄は世界的にも珍しい電化方式を採用している。通常架線あるいは、電力供給用のレールを走行レールの横に敷いた第三軌条から電力を得て、走行レールに使った電気を流して走行するが、ロンドン地下鉄では走行レールではなく、さらに別の四本目のレールに電気を流す方式がとられている。走行レール外側のレールには直流+420vの電流が流れ,走行レールの中央のレールには直流-210vの電流が流れていて、あわせて直流630vの電力を供給している。
[編集] その他
- 駅は、日本同様ホームドアを設置している駅もある。
- 車内はシールド方式で作った路線のほとんどは、写真のように非常に狭い。
[編集] 豆知識
- ロンドン及び郊外をゾーンという単位で6区画に分けられている。
- 運賃は区間や距離に関係なく一律£4(約910円・2007年3月現在)となっている。一律料金となっているため単純には比較できないが、日本の地下鉄の多くは200円、パリの地下鉄は1.4ユーロ(約210円)である。ただし、一日乗り放題の切符の価格は£5からと、かなり割安である。
- 50万匹のネズミが地下鉄に生息していると推測されており、しばしば線路やプラットフォーム上を走るのが目撃される。テレビ・パーソナリティーのアンセア・ターナーは「ロンドンの地下鉄ネズミ」の一連の童話シリーズを著した。
- 地下鉄を用いて棺が移送されたのはこれまでに2人しかいない。ウィリアム・グラッドストンとトーマス・ジョン・バーナード(慈善家)である。
- リージェンツ・パーク駅、ピカデリー・サーカス駅、ハイド・パーク・コーナー駅、ウエストミンスター駅およびバンク駅の5駅は出入り口の階段以外に一切の地上構造物を持たない完全地下駅である。
- 1924年5月13日、デイジー・ハモンドなる女性がベイカールー線、エレファント・アンド・カースル駅で出産した。新聞はその生まれた女児がテルマ・ウルスラ・ベアトリス・エレノア(Thelma Ursula Beatrice Eleanor=TUBE)と命名されたと報じた。成人したその女児が2000年のテレビ・インタビューに出演、当時の地下鉄総裁アシュフォード卿を名付け親に、Mary Ashfield Eleanorと命名されたという事実が判明するまで、その誤報は見過ごされていた。
- 275の駅すべてを最短で周る記録は18時間35分43秒。これはジェフ・マーシャルとニール・ブレイクが保持している。
- 2005年1月、ロンドン地下鉄は駅構内が若者に荒らされるのを防止する目的でクラシック音楽を流す計画を発表した。ニューカッスルのタイン・アンド・ウェア地下鉄での試行の結果は駅員に対する暴行行為の33%の減少という成功だったのである。
- 「マデレーン」という名前の香水を用いて、悪臭漂う地下鉄をより快適なものにするという実験が2001年3月23日から、セント・ジェームスズ・パーク駅、ユーストン駅、ピカデリー・サーカス駅で開始された。実験は翌3月24日に中断された。気分が悪くなる乗客が続出したためである。
- ジュビリー線は他の全ての線と交差する唯一の路線である。ディストリクト線はこれに継ぐが、メトロポリタン線にあと約20mのところで交差しそこなっている。
- アーセナル駅はロンドンのサッカークラブから名前をとった唯一の駅である(以前はジレスピー・ロード駅と称した)。ウエスト・ハム駅もこれに近いが、チーム名はウェストハム・ユナイテッドである。
- イギリスの気候を考慮して、基本的に地下鉄施設や列車には冷房装置が備わっていない。そのため、記録的な猛暑に襲われた2006年の夏はホームや列車内の温度が50度近くに達し、大量の熱中症による死者が発生した。そのため、体が弱い人は出来るだけ地下鉄を使わないように、という通達が出た。
- 地上とホームとの連絡には"lift"と呼ばれるエレベーターを利用する駅が多い。開業が古い駅では、長身の人は屈んで歩かないと天井の電灯に頭をぶつけるような天井が低く狭い通路もある。このため通路は非常用に限定し、通常は"lift"を使うように指示されている駅もある。
[編集] 駅
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク