三杉里公似
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三杉里 公似(みすぎさと こうじ、1962年7月1日 - )は滋賀県甲賀市(旧甲賀郡信楽町)出身、二子山部屋(現・貴乃花部屋)所属の元大相撲力士。最高位は小結。本名は岡本 公似(おかもと こうじ)。身長185cm、体重158kg。趣味は映画鑑賞。
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[編集] 来歴
高校を1年で中退し、元横綱・若乃花の二子山部屋に入門。1979年1月場所に初土俵を踏んだ。以降、順調に番付を上げて行き、1984年7月場所に十両に昇進した。しかし1場所で幕下に陥落、2年近く幕下で低迷した。1986年7月場所に十両に復帰すると、11勝4敗の好成績で十両優勝を果たし、十両に定着した。1988年5月場所に入幕を果たすと、幕内上位でも徹底した右四つ相撲で安定した成績を残していった。一門の藤島部屋の力士には分が良く、特に貴花田とは一時ライバル関係にあった。しかし1993年1月場所後に二子山部屋と藤島部屋の合併したことにより本割の取組で当たることがなくなった。地味ながら持ち技も多く、中堅として二子山部屋黄金期を支えていたが、1997年3月場所を最後に十両に陥落。1998年7月場所には東十両13枚目まで番付を下げ早々と9日目に負け越しが決定したが、通算700勝が後1つとなっていたため10日目以降も相撲を取り、11日目に白星を挙げ700勝を達成。12日目の取組を最後に現役引退を表明した。そして同年5月に制定された、準年寄制度の適用第1号になり、準年寄・三杉里として協会に残った1999年1月31日に国技館にて三杉里引退断髪式披露大相撲挙行、2000年7月には年寄・浜風を取得し、間垣部屋に移籍。しかし2006年11月、諸般の事情に依り浜風名跡を譲渡し、日本相撲協会を退職した。
固太りのがっしりした体躯。右四つの型がよく、上手投げが強く、土俵際のしぶとさにも定評があり、うっちゃりで逆転することも多かった。 稽古熱心で準備運動もよくやり、平成最初の1989年11月場所が新三役で、小結で一度勝ち越している。長く幕内上位で活躍。先代二子山親方の弟子で、旧藤島勢に強く、若貴キラーで知られた。貴ノ花(二代目貴ノ花)の初優勝のときの千秋楽の対戦相手でもあり、やりにくかったであろうと同情されていた。十両優勝1回、敢闘賞1回、金星6( 曙3、北勝海2、旭富士1) 平成期には取組に負けて土俵下に転落した際翌日の対戦相手富士乃真が負傷して不戦勝となっただけでなく、それとは別の場所で前日不戦勝の星を拾った起利錦に不戦勝する、といった不戦勝に関する珍記録を残している。
又、トリビアの泉で、最短時間で白星を上げた関取として紹介された。
このほか平成期には身長体重が幕内の平均値とほぼ同一であったことでも知られている。
幕内時代はほぼ一貫して、緑のまわしで取っていた。
[編集] 改名歴
[編集] 年寄変遷
- 三杉里 公似(みすぎさと-)1998年7月~2000年7月〔準年寄〕
- 浜風 公似(はまかぜ-)2000年7月~2006年11月
[編集] 通算成績
- 幕内出場:53場所
- 生涯戦績:700勝710敗2休
- 幕内戦績:367勝428敗
- 敢闘賞1回
- 金星6個
- 小結在位:3場所(うち連続2場所)
- 十両優勝:1回