上方柳次・柳太
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上方柳次・柳太(かみがたりゅうじ・りゅうた)とは戦後にかけて活躍した漫才コンビ。
[編集] メンバー
- 上方柳次(本名:沢田敏治、1931年(昭和6年) - 1999年(平成11年)10月10日)
- 妻であった一枝(晩年の相方でもあった。)は漫才コンビあした順子・ひろしのあした順子の姉
- 上方柳太(本名:福井靖益、 1930年(昭和5年) - 1979年(昭和54年)3月24日)
[編集] 経歴
柳枝劇団の舞台役者だった 柳太は当時在団していた実兄を頼って入団し、実兄にコンビの話を持ちかけるも実兄が劇団の興行で地方巡業中に 柳次に誘われ1957年昭和32年コンビ結成 同時期にデビューした若井はんじ・けんじとはライバルで上方柳次・柳太は柳柳と呼ばれ、若井はんじ・けんじははんけんと呼ばれて人気を博した。 柳太の死後は若井けんじとコンビを結成するもけんじの東大阪市会議員の出馬の為に解散その後は妻の一枝とコンビを結成。
オール阪神・巨人の阪神が漫才で見せるギャグで『いやぁ~、逢いたかったよぉ~・・・』と言うのがあるが元々は柳次がやってもいもの
他にギャグで『そんなこと言いなや、今さら』『しゃぁさかいに』『びびんちょ』などがあった。