五木寛之
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五木 寛之(いつき ひろゆき、1932年9月30日 - )は、日本の小説家、エッセイスト、評論家である。旧姓松延。
目次 |
[編集] 年譜
- 1932年 福岡県八女市に教員・松延信蔵 カシエの子として生まれる。生後まもなく朝鮮半島に渡る。
- 1947年 第二次世界大戦終戦のため、日本に引き揚げる。
- 1948年 福岡県立八女中学校(旧制)に入学する。
- 1952年 福岡県立福島高等学校卒業。早稲田大学文学部露文科に入学する。
- 1957年 学費の未納で早稲田大学を抹籍。作家として成功後に未納学費を納め中退となる。その後、文筆家(小説家・放送作家)・作詞家など、様々な職業で幅広く活動する。
- 1965年 後に金沢市長となる岡良一の娘玲子と結婚、五木姓を名乗る。夫人の親類の五木家に跡継ぎがなかったためか?日本での仕事を片付けて、かねてから憧れの地であったソ連(当時)・北欧に旅する。帰国後は夫人の郷里金沢に身を寄せる。
- 1966年 『さらば、モスクワ愚連隊』により、第6回小説現代新人賞を受賞。
- 1967年 『蒼ざめた馬を見よ』により、第56回直木賞を受賞。
- 1972年 一度目の休筆に入る。(1974年まで)
- 1975年 日刊ゲンダイでエッセイ『流されゆく日々』の連載を開始。現在も続く長寿連載となる。
- 1976年 『青春の門・筑豊編』により、第10回吉川英治文学賞を受賞。
- 1981年 執筆活動を一時休止し、京都の龍谷大学(浄土真宗本願寺派系の大学)の聴講生となり、仏教史を学ぶ。
- 1985年 執筆活動を再開。直木賞や吉川英治文学賞、泉鏡花文学賞等の選考委員としても活躍しながら今日に至る。
- 1998年 『大河の一滴』がベストセラーとなり、2001年に同タイトルが映画化された。
- 2002年 菊池寛賞を受賞。さらに同年、英語版『TARIKI』が2002年度ブック・オブ・ザ・イヤースピチュアル部門を受賞。
- 2004年 仏教伝道文化賞を受賞。
- 『風に吹かれて』は2001年までに、単行本・文庫本の合計で460万部のベスト&ロングセラー。
[編集] 主な作品リスト(上記にあがっているものを除く)
(小説)
- 青年は荒野をめざす
- 内灘夫人
- 朱鷺の墓
- にっぽん三銃士
- 凍河
- 戒厳令の夜
- 燃える秋
- 「四季」シリーズ
- Lesson(レッスン)
- 風の王国
- メルセデスの伝説
- ステッセルのピアノ
- 蓮如物語
(エッセイ)
- ゴキブリの歌
- 地図のない旅
- 重箱の隅
- 生きるヒント
- 他力
- 運命の足音
(翻訳)
- かもめのジョナサン(リチャード・バッグ作)
- リトルターン
- ロストターン
(作詞)
- 青年は荒野をめざす(作曲:加藤和彦)
[編集] 備考
五木寛之は、「のぶひろし」のペンネームで、清酒「日本盛」のCMソングを作詞した。「日石灯油=現・ENEOS灯油」(日本石油=現・新日本石油)のCMソングも五木の作詞。立原岬のペンネームで「旅の終りに」(冠二郎)等も作詞した。また、五木寛之の名では「青年は荒野をめざす」(ザ・フォーク・クルセダーズ)、「金沢望郷歌」(松原健之)等の作詞を手がけている。
歌手五木ひろしの芸名は、当時人気作家であった五木からとって、プロデューサーが名づけたものである。ちなみに「金沢望郷歌」の松原健之を五木ひろしに紹介し、デビューのきっかけを作ったのも五木である。