五輪塔
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五輪塔(ごりんとう)は、主に供養塔・墓塔として使われる仏塔の一種である。五輪卒塔婆、五輪解脱とも呼ばれる。
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[編集] 構造
五輪塔は、上から宝珠形=空輪、半月形=風輪、三角形(または笠形、屋根形)=火輪、円形=水輪、方形=地輪によって構成され、古代インドにおいて宇宙の構成要素・元素と考えられた五大を象徴する。
これらは密教の思想、特に空海(著作『即身成仏儀』等)や覚鑁(著作『五輪九字明秘密釈』等)の影響が強い。それぞれの部位に「空(キャ kha)、風(カ ha)、火(ラ ra)、水(バ va)、地(ア a)」の種字や漢字を刻むことが多いが、天台宗・日蓮宗の寺院では「妙法蓮華経」の五字が刻まれる場合がある。 材質は石造のものが主体をなすが、木製、金属製、鉱物製(水晶)、線刻(清水磨崖仏などに見られる)などの塔もある。製作された時代・時期によって形態が微妙に変化するのが特徴である。
[編集] 歴史
先に述べた五大思想(宇宙の構成要素についての考え)は元来インドにあった思想で、五輪塔の成立にはインド思想を構築し直した密教の影響が色濃くみられる。日本において五輪塔の造立がはじまったのは平安時代後半頃と考えられている。岩手県平泉町・中尊寺願成就院の有頸五輪塔(宝塔と五輪塔の中間タイプ)や同町・中尊寺釈尊院の五輪塔(「仁安四年(1169)」の紀年銘)などが最古例である。なお五輪塔が一般的に造立されるようになったのは鎌倉時代以降で、以後、室町時代、江戸時代を経て現在に至るまで供養塔や墓碑として造塔され続けている。
[編集] 五輪塔の意義
仏教で言う塔(仏塔)とは、ストゥーパ(卒塔婆)として仏舎利と同じような意義を持っている。しかし、小規模な五輪塔や宝篋印塔、多宝塔(石造)は当初から供養塔や墓標として作られたのであろう。中世の一部五輪塔には、地輪内部に遺骨等を納めたものが現存する。また、墓標・供養塔としての五輪塔は全国各地に存在し、集落の裏山の森林内に、中世のばらばらになった五輪塔が累々と転がっていたり埋もれていたりすることも稀ではない。現在多くの墓地で見られるような位牌を模した角形の墓石は、江戸中期頃からの造立であるが、現在でも多くの墓地や寺院で一般的に五輪塔は見ることができる。
[編集] 鎌倉地方と五輪塔
鎌倉地方に存在する中世の墳墓であるやぐらには、石造五輪塔が墓標・追善供養用に納められているほか、なかには内部壁にレリーフにされたものも存在する。鎌倉市の極楽寺にある忍性の墓塔の五輪塔は、忍性塔と呼ばれ306cmの巨大なもの。その脇にある忍公塔も289cmある。扇ガ谷泉ヶ谷支谷の多宝寺跡山中にある覚賢塔は326cmで鎌倉地方の最大のもの。その他にも数多くの五輪塔が存在する。塔の材料は箱根や真鶴産の安山岩である。