京福電気鉄道嵐山本線
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嵐山本線(あらしやまほんせん)は、京都府京都市下京区の四条大宮駅から右京区の嵐山駅までを結ぶ京福電気鉄道の路線。嵐山線とも呼ばれるが、2006年11月から略称の一つであった嵐電(らんでん)が公式呼称となった。
嵐山を始めとする洛西の観光地への行楽路線であるとともに、繁華街である四条通へ出るための足となっている。
西大路三条~山ノ内間、蚕ノ社駅付近、太秦広隆寺駅付近が併用軌道であるほかは専用軌道となっている。
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[編集] 路線データ
[編集] 運行形態
早朝・深夜に西院駅、帷子ノ辻駅を始終着とする列車が一部あるほかは、四条大宮~嵐山間の運転である。春・秋の観光シーズン休日の昼間時間帯に北野線北野白梅町~嵐山間直通の列車が運転されることがある。
通常は1両単行でワンマン運転を行っている。ラッシュ時や観光シーズンには2両編成となり、2両目の運転台にも乗務員が乗車して運賃収受を行う。四条大宮、帷子ノ辻、嵐山駅を除いて無人駅であるが、無人駅でも乗降客の多い駅(太秦駅など)には、時期や時間帯によって係員が配置され、乗客案内、運賃収受の補助、安全管理などを行っている。
[編集] 歴史
- 1910年(明治43年)3月25日 嵐山電車軌道により四条大宮~嵐山間が開業。
- 1918年(大正7年)4月2日 京都電燈が嵐山電車軌道を合併。嵐山電鉄部の下に置かれる。
- 1927年(昭和2年) 嵯峨停車場前駅を嵯峨駅前駅に改称。
- 1928年(昭和3年)12月 全線複線化完成。
- 1942年(昭和17年)3月2日 京福電気鉄道に譲渡。
- 1944年(昭和19年)4月16日 太子前駅を太秦駅に改称。
- 1971年(昭和46年)7月11日 四条大宮~西院間の壬生駅廃止。
- 1975年(昭和50年)8月9日 嵯峨野駅を有栖川駅に改称。
- 1975年(昭和50年)12月15日 車両の集電装置をホイール式ポールからZパンタに変更。
- 1982年(昭和57年)12月20日 早朝・深夜時間帯でワンマン運転開始。
- 1985年(昭和60年)3月16日 朝ラッシュ時除きワンマン運転化。
- 1987年(昭和62年)8月17日 終日ワンマン運転化。
- 2002年(平成14年)5月1日 均一運賃になる(大人200円、子供100円)。同時にスルッとKANSAIを導入。
- 2007年(平成19年)3月19日 三条口駅を西大路三条駅、太秦駅を太秦広隆寺駅、車折駅を車折神社駅、嵯峨駅前駅を嵐電嵯峨駅に改称。また、駅番号が本格導入された。
[編集] 駅一覧
駅番号 | 駅名 | 営業キロ | 接続路線・備考 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|---|
A1 | 四条大宮駅 | 0.0 | 阪急電鉄:京都線(大宮駅) | 京都府京都市 | 下京区 |
A3 | 西院(さい)駅 | 1.4 | 阪急電鉄:京都線(西院(さいいん)駅) | 中京区 | |
A4 | 西大路三条駅 | 2.0 | 旧名は三条口 | 右京区 | |
A5 | 山ノ内駅 | 2.8 | |||
A7 | 蚕ノ社駅 | 3.9 | |||
A8 | 太秦広隆寺駅 | 4.4 | 旧名は太秦 | ||
A9 | 帷子ノ辻駅 | 5.2 | 京福電気鉄道:北野線(B1) 西日本旅客鉄道:山陰本線(嵯峨野線)(太秦駅) |
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A10 | 有栖川駅 | 5.7 | |||
A11 | 車折神社駅 | 6.2 | 旧名は車折 | ||
A12 | 鹿王院駅 | 6.5 | |||
A13 | 嵐電嵯峨駅 | 6.9 | 西日本旅客鉄道:山陰本線(嵯峨野線)(嵯峨嵐山駅) 嵯峨野観光鉄道:嵯峨野観光線(トロッコ嵯峨駅) 旧名は嵯峨駅前 |
||
A14 | 嵐山駅 | 7.2 |
- 駅番号に欠落があるのは、今後の新駅開業に備えたものである。
[編集] 地下鉄東西線の延伸
京福線(嵐電)は、現状では京都市営地下鉄路線網から孤立しているが、2007年に京都市営地下鉄東西線が二条駅~天神川駅間の延伸開業予定に伴い、その付近に嵐電の新駅を設置する事になるといわれている。両線の接続によって、例えば平安神宮や二条城から太秦や嵐山への移動が極めて容易になるといえる。
- (例)平安神宮から嵐山までのアクセス(市バスなどを使わず鉄道のみ利用の場合)
- 二条・天神川間開通後の交通手段
- 平安神宮…徒歩…東山駅-(地下鉄東西線)-天神川駅/京福新駅-(京福)-嵐山駅
[編集] JR山陰本線(嵯峨野線)改良工事の影響
JR山陰本線(嵯峨野線)は、国鉄時代は特急・急行列車主体の長距離輸送を重きに置いて、都市近郊輸送に関しては殆ど考慮されていなかったが、国鉄分割民営化によりJR西日本発足後、JR太秦駅開業や嵯峨嵐山駅~馬堀駅間の複線新線切り替え、その後も京都駅~園部駅間の電化開業(後に城崎温泉駅まで延長)、二条駅~花園駅間の複線高架化工事完成、暫くしてその間に円町駅の開業、さらに現在では京都駅~園部駅間の完全複線化工事が進行中であり、都市近郊路線としての性格をかつてとは比べ物にならないほど強めている。
それらにより、従来は京都市中心部から京福線(嵐電)や路線バスを利用して太秦・嵐山へ向かっていた観光客が嵯峨野線利用へとシフトする傾向が見られ、これにより旧来からの併走路線各社を苦境へと追い込み、先述の完全複線化工事完成後はさらに厳しい状況に立たされることが予想されている。