仏像
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基本教義 |
縁起、四諦、八正道 |
三法印、四法印 |
諸行無常、諸法無我 |
涅槃寂静、一切皆苦 |
人物 |
釈迦、十大弟子、龍樹 |
如来・菩薩 |
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部派・宗派 |
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仏像(ぶつぞう)は、仏教の信仰対象である仏の姿を表現した像のこと。仏(仏陀、如来)の原義は「目覚めた者」で、「真理に目覚めた者」「悟りを開いた者」の意である。初期仏教において「仏」とは仏教の開祖ガウタマ・シッダールタ(釈尊、釈迦如来)を指したが、大乗仏教の発達とともに、弥勒仏、阿弥陀如来などのさまざまな「仏」の像が造られるようになった。
「仏像」とは、本来は「仏」の像、すなわち、釈迦如来、阿弥陀如来などの如来像を指すが、一般的には菩薩像、天部像、明王像、祖師像などの仏教関連の像全般を指して「仏像」と言っている。広義には画像、版画なども含まれるが、一般に「仏像」という時は立体的に表された彫像を指すことが多い。彫像の材質は、金属製、石造、木造、塑造、乾漆造など様々である。
目次 |
[編集] 起源
釈迦は「私の姿を拝んでどうしようというのか」と偶像を否定していた。したがって初期仏教においては仏像というものは存在しなかった。
仏陀となった偉大な釈迦の姿は、もはや人の手で表現できないと思われていた。そのため人々は釈迦の象徴としてストゥーパ(卒塔婆、釈迦の遺骨を祀ったもの)、法輪(仏の教えが広まる様子を輪で表現したもの))や、仏足石(釈迦の足跡を刻んだ石)、菩提樹などを礼拝していた。インドの初期仏教美術には仏伝図(釈迦の生涯を表した浮き彫りなど)は多数あるが、釈迦の姿は表されず、足跡、菩提樹、台座などによってその存在が暗示されるのみであった。
仏像が出現したのは釈迦入滅後500年以上経ってからである。最初の仏像がどこでどのようなきっかけで制作されたかは明らかでないが、最初期に仏像の制作が始められたのは西北インド(現パキスタン)のガンダーラと、中インドのマトゥラーの2つの地域であり、おおむね紀元後1世紀頃のこととされている。 ガンダーラとマトゥラーのいずれにおいて仏像が先に造られたかについては、長年論争があり、決着を見ていない。しかし、仏像がさかんに造られるようになったのは紀元後1世紀頃からインドを支配したクシャーナ朝の時代であることはほぼ定説となっている。クシャーナ朝のカニシカ王は釈迦の教えに触れて仏教の保護者となった。王は自国の貨幣に釈迦像と仏陀の名を刻印した。また当時の都であったプルシャプラ(現パキスタン、ペシャーワル)の遺跡からはクシャーンの王(カニシカ王とされるが異説もある)の頭上に釈迦が鎮座する図柄の舎利容器なども発見されている。
マトゥラーの仏像がインド的であるのに対し、ガンダーラの仏像がギリシャ彫刻のように彫りが深いのは、この地にさまざまな民族が侵入し、西方の文化を持ち込んだためである。紀元前330年頃にアレクサンドロス大王の遠征軍がペルシャを越え北インドまで制圧し、ギリシャ文化を持ち込んだ。その後も紀元前2世紀にはバクトリア王国のギリシャ人の支配を受けるなど、西方文化の流入は続いた。つまりガンダーラの仏教美術とは、仏教とギリシャ美術が融合した結果であった。
もともと仏陀像は釈迦の像に限られていたが、仏教の展開に応じて、いろいろな像が生まれ、仏教は偶像崇拝的性格を持つようになった。ガンダーラにおいても銘文から弥勒菩薩、阿弥陀如来、観音菩薩などであることが明らかな作例が確認されている。
[編集] 種類とかたち
[編集] 如来
仏十号の一。仏の尊称。「かくの如く行ける人」、すなわち、修業を完成し、悟りを開いた人の意。
三十二相八十種好と呼ばれる特徴があるが、かならずしも全てを表現されていない。頭部が盛り上がっている(肉髻)、頭髪が右巻に渦巻いている(螺髪)、眉間から伸びた身長くらいの長さの白い毛が右巻に渦巻いている(白毫)、体が金色である、装飾品は身に付けない等。 通常、衣服は衲衣と裳を纏っているだけである。大日如来だけは例外で菩薩のように着飾っている。如来は印を結んでいるので、この印相で見分けることが出来る。 持物は持たないが薬師如来だけは薬壷を持っている。
[編集] 菩薩
成仏を求め修行を積む人の意。
一般的な姿は上半身に条帛(じょうはく)を纏って、下半身に裳を着け、天衣(てんね)を両肩から垂れ下げている。髻を結い上げて宝冠を頂き、また瓔珞(ようらく)、耳璫(じとう)、腕釧(わんせん)、臂釧(ひせん)、足釧(そくせん)などの装飾品をしている。地蔵菩薩だけは頭を丸めて宝冠もつけず、僧の姿で表わされる。 如来のように印は結ばず、それぞれ持物(じもつ)を持っている。
[編集] 外部リンク
[編集] 明王
未だ教えに従わない救いがたい衆生を力づくでも帰依させるために、明王が大日如来の命を受けたとも、如来が自ら明王に変化したとも伝えられている。
恐ろしい外貌と激しい憤怒の相が特徴だが、孔雀明王は唯一、慈悲を表した菩薩の顔をしている。
[編集] 外部リンク
[編集] 天部
古代インドの宗教の神々が仏教に取り入れられ、仏法の護法神となった者の総称。官服を着た貴人姿、鎧を纏った武将姿、鬼の姿など多様な姿をしている。
[編集] 頭髪
日本における仏像の頭髪は、いずれも螺髪(らはつ)といって渦巻状の集合体である。ガンダーラ仏等初期のものは、いわゆるパンチパーマ状ではなかったが3世紀以後の仏像は、螺髪となった。大阪大学の肥塚隆教授によると、インドにおいて偉大なすぐれた人物は凡人とは異なった特異な姿でこの世に現れるという考えがあり、その一つが特殊な頭髪として現れたという。
[編集] 外部リンク
[編集] 荘厳具
[編集] 光背
⇒光背参照。
[編集] 台座
⇒台座参照。
[編集] 持物
[編集] 素材と技法
[編集] 木彫
[編集] 一木造り
[編集] 寄せ木造り
[編集] 割り矧ぎ造り
[編集] 玉眼
[編集] 金銅仏
[編集] 蝋型
[編集] 土型
[編集] 木型
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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