八木裕
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八木 裕(やぎ ひろし、1965年6月8日 - )は、岡山県玉野市生まれの元プロ野球選手。現役時代は阪神タイガースでプレーした。投打は右投右打。ポジションは内野手・外野手。愛称は「(代打の)神様」。
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[編集] 来歴・人物
岡山東商業高校卒業後、三菱自動車水島を経て、1986年ドラフト3位で阪神に入団する。1989年6月ごろからレギュラーに定着。掛布雅之二世とも呼ばれ、1990年に28本塁打、1991年に22本塁打、1992年に21本塁打を記録するなど長距離砲として活躍した。若手の亀山努、新庄剛志などが台頭し、チームが惜しくも2位に終わった1992年を境に故障もあり次第と出番が減っていった。ついに1軍出場がなくなった1996年オフにはチームの戦力構想から外れかけたが、吉田義男新監督の進言で残留。
その後代打としての適性の高さを遺憾なく発揮し、1997年には代打率4割、1998年には開幕からしばらく代打率5割以上をマークするなど、ここ一番の場面で登場する代打の切り札となった。その後も絶好の場面で好打を放つことから吉田監督から「代打の神様」と命名され、「代打・八木」のコールで球場を大いに沸かせる選手となる。
また、優勝した2003年には濱中おさむの故障などチーム事情もあり、勝負強さを買われて数試合で4番を任され、それに見合う活躍をする。それ以外の試合でも代打で力を如何なく発揮し、阪神18年ぶりの優勝に貢献した。
2004年10月10日、阪神甲子園球場で行われた阪神対巨人最終戦をもって現役を引退。引退試合では、8回裏に代打で登場。その最終打席でライト前ヒットを放った。更に阪神リードで9回表には一塁の守備につき、巨人は三者凡退で全てが内野ゴロに終わった。つまり、3つのアウト全てのボールが八木のミットに収まり、ウイニングボールを直接手にした。八木にとって、まさに有終の美を飾る試合となった。
2005年から毎日放送とサンケイスポーツの野球解説者に就任し、マスターズリーグでは2005-2006シーズンから大阪ロマンズの選手として参加している。
[編集] 通算成績
- 1368試合 3303打数 817安打 打率.247 126本塁打 479打点 33盗塁
[編集] 背番号
[編集] エピソード
- 八木は代打としての出場が多くなってから、常々、セ・リーグ優勝を経験したら引退と口にしていた。当時の阪神は低迷期に入っていて、なかなか優勝に届かなかったのも一因と思われる。
- 1992年2位で優勝争いをしていた阪神ナインで、星野仙一監督の胴上げに選手として加わったのは久慈と桧山と八木だけである。なお、桧山は当時ルーキーの1軍半の選手で、また、久慈は一度中日に移籍しているので、生え抜きの当時の主力では八木だけになる。
- 2003年は阪神が6月あたりからぶっちぎりの状態となったが、阪神ナインには同年入団した金本なども含め、優勝争い経験が希薄だったので、優勝が現実に迫る中冷静でいられる方法を八木に聞いていた者も多いらしい。
- 星野仙一は何故か「ハチキ(八木)」と呼ぶ。
- TVゲーム燃えろ!!プロ野球(ジャレコ)で何故か走力が全選手中最高値だった。
- 甲子園での登場テーマはジグソーのスカイハイ。これは巨人の二岡智宏と同じである。
- 2005年ロッテと阪神が日本シリーズで戦った時、戦前の下馬評では「阪神有利」の声が高かった中、「ロッテ4連勝」の予想をみごと的中させ冷徹な野球観を披瀝した。「セリーグにはロッテ、ソフトバンクと戦って勝てるチームはない」と述べたとも伝えられる。
[編集] 関連項目
[編集] 現在の出演番組
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