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新庄剛志 - Wikipedia

新庄剛志

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

新庄 剛志(しんじょう つよし、1972年1月28日 - )は、平成期(1990年代2000年代前半)の元プロ野球選手タレント

現役時代の主な守備位置は外野手中堅手)。阪神タイガースで11年プレーした後、メジャーリーグに挑戦。2004年から日本プロ野球に帰り、北海道日本ハムファイターズに所属し、同時に登録名を「SHINJO」と改め、2006年にチームの25年ぶりのリーグ優勝、44年ぶりの日本一を見届けながら引退した。妻は東京都出身で1992年クラリオンガールだった新庄志保(旧姓:大河内)。

目次

[編集] 来歴・人物

一般的な野球選手のイメージとはかけ離れた不思議な雰囲気と、独特な派手さをもったキャラクターの濃さで有名。野球選手としては球界一の強肩と俊足を生かした屈指の守備力は脅威的だが、打撃についてはここ一番での勝負強さがあるものの、○打席ヒット無しと調子の波があり、平均打率は2割5分が定位置で(本人も、怪我を繰り返した2005年シーズンに自嘲なのか「自分はどこに行っても2割5分の打者」と発言)、首位打者本塁打王などの個人タイトルを獲得した事も一度も無い。かつての指揮官野村克也には「打撃以外は一流」と評された。だがトータルで見ると球界屈指の強肩・守備力に、俊足、意外性のある打撃など、実際は十分な一流選手であった。因みに通算打率は2割5分台だが、通算安打は1500本を超えている。

その意味では成績で目立つ選手ではなく、むしろセールスポイントの守備やセンターからのダイレクト送球など「記録はイチローくんにまかせて、記憶はボク(新庄)にまかせて」と自身で語るように『記憶に残る』タイプの選手。そのためか「魅せる野球」にこだわりを持ち、独自に考案したファンサービスも積極的に行うなど野球界に対する貢献度は計り知れない。野球漫画家の水島新司も「新庄ほど常にファンのことを考え、楽しんで貰おうと思っている選手はいない。日本プロ野球界において、たった一人で球場を満員に出来る唯一の選手だ」と評している。

独特の発言や行動で派手な雰囲気を振りまく一方で、周囲に対する気遣いも人一倍強く、パフォーマンスを行う際には、必ず事前に相手チームや監督・コーチ・先輩選手などに了解を得るなど周到な根回しを行っていた。チームメイトからは『新庄ほど気配りをする選手はいない』と言われるほどで、その人柄のよさも人気を支える一因であろう。オールスターゲームのファン投票でも常に上位に入り(ほぼ毎回1位)、出場回数も多い。そして、2006年の日本シリーズでも監督のトレイ・ヒルマンより先に胴上げされるなど、その人徳は球界屈指である。

2006年4月18日、同年限りでの引退を表明。本人によると自慢の守備で衰えを感じるようになり、体力限界が原因であると述べていたが、実は視力の低下であると自身のHPで誕生日でもある2007年1月28日に公表した。フロントはおろか、ヒルマン監督や同僚の選手も寝耳に水であったらしく、日本ハム本社は「どんな手を使っても残留させる」と発言。しかし、本人の意思は固く日本ハム本社・球団は同年9月1日に慰留を断念した。実際は脚の故障がすでに限界を超えていたための引退であることを「金スマ」で語っており、その故障は左内太股の形が変わるほど酷いものだった。のちにTBSの「難病と闘う子供たち」という番組で、引退の理由が本当は遺伝性の眼病であったことを告白(2007年1月9日)。病名は不明。

引退発表からシーズン後半にかけてマスコミの注目度は日に日に増し、新庄のパフォーマンスは「新庄劇場」と形容されて報道された。

非常に甘党であり、市販のデザートにはヨーグルト等に付いている砂糖を入れて食べると言う。ところが粒餡は大の苦手。粒餡を見ると、ゴキブリの卵を想像するという。

また、引退後の初仕事は「SMAP×SMAP」(フジテレビ系)のゲスト出演で、同番組にはMLB時代の2001年12月24日以来、これまで3回ゲスト出演。これがきっかけとなりSMAPとも懇意にして、木村拓哉ともプライベートで食事をする仲になる。なお、4回目となる今回の出演は、収録は2006年11月15日に東京都内で行われ、11月20日に放送された。

また、本人いわく、下着は毎日使い捨てらしい。(2006年12月24日放送「おしゃれイズム」より)

彼を指導した人物は皆「天才」と評する。以前は「ジーパンが履けなくなるから」と下半身強化をまったくせず、打撃練習も手に豆さえ出来ないくらいで片付けていたが、それでいて打率こそ低いが20本塁打を何度も記録している。しかしアメリカで太股を肉離れして以降は誰よりもハードな筋力トレーニングで肉離れをカバーする筋肉をつけるトレーニングを一人続けており、岩本勉は鬼気迫る表情でバーベルを担いで片足屈伸を続ける新庄に圧倒されて声をかけられなかったという。

2007年3月1日には第44回(2006年度)ゴールデン・アロー賞「スポーツ賞」を受賞。選考の際は前年2月下旬に開催のトリノ冬季五輪女子フィギュアスケートで金メダルを獲得した荒川静香との争いになったと思われるが、話題となった時期の差もあってか新庄に軍配が上がる。

[編集] 略歴

[編集] 球歴

  • 1989年 ドラフト5位で阪神タイガースに入団。背番号63
  • 1991年 初の1軍昇格。9月10日巨人戦でプロ入り初安打を放つ。
  • 1992年 亀山努と共に「亀新フィーバー」を巻き起こし、チームの大躍進に貢献。
  • 1993年 背番号を5に変更。
  • 1995年 センスが無いので引退します宣言。当時の藤田平監督との確執が噂されたが、後日引退を撤回。
  • 1997年 成績不振にも関わらず人気の影響でファン投票でオールスター選抜された為セリーグ応援団による集団応援ボイコット。スタンドから新庄帰れコールが続発。横断幕に「新庄剛志、そんな成績で出場するな、恥を知れ。」とのメッセージが書かれた。
  • 1999年 巨人戦で槙原寛己投手から「敬遠球サヨナラ安打」を放つ。オールスターでMVPを獲得し、2年前の屈辱を実力で晴らした。
  • 2000年 FA宣言。また、女優の大河内志保と結婚。
  • 2001年 アメリカメジャーリーグのニューヨーク・メッツに入団。背番号は阪神時代と同じ5。
  • 2002年 サンフランシスコ・ジャイアンツに移籍。日本人初のワールドシリーズ出場達成。同シリーズでの日本人初安打も記録する。
  • 2003年 ニューヨーク・メッツに復帰するが、打撃不振でマイナー落ち。日本球界に戻り、日本ハムに入団。登録名はSHINJO、背番号は1。公式発表の前日、映画『バッドボーイズ2BAD』の特別試写会にて、非公式に観客に発表した。
  • 2004年7月11日 オールスターゲーム第2戦(長野)でホームスチールを決めるなどの活躍により、MVPを受賞する。(オールスター寸前のペナントレースではお立ち台で「MVPは僕のものです!」と宣言した)なお、お立ち台で「これからは、パ・リーグです」と当時球界再編問題で合併の危機にあったオリックス・ブルーウェーブ大阪近鉄バファローズ、そして一リーグ制移行論議の渦中で消滅の可能性にあったパ・リーグのファンを喜ばせた。そのお立ち台で最後にいった言葉は、自身が出演していたオロナミンCCMの決めゼリフ「元気ハツラツぅ?」であった。
  • 2005年 パ・リーグ開幕戦(対ソフトバンク)での始球式にオロナミンCのCMで共演した上戸彩が登場したが、先頭打者のSHINJOはバットの代わりにオロナミンCを持って入り始球式を挙行。その直後、「元気ハツラツぅ?」「オフコース!!」と、上戸彩とCMと同じやりとりをした。なお、この時の上戸はオロナミンCの宣伝で始球式をしたのではなく、対戦相手の親会社ソフトバンクが行っているYahoo!BBのキャンペーンのためであった。そのため新庄の持っていたオロナミンCには商品名を隠すシールが貼られていたが、誰が見てもそれが『オロナミンC』であることは明白だった。 
  • 2005年6月5日 中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)で日米通算200号本塁打を達成(投手:山本昌)。この記録を達成した日本人選手は松井秀喜(現ニューヨーク・ヤンキース)に次いで2人目である。
  • 2006年4月18日 恩師の中村勝広監督率いるオリックス戦(東京ドーム)、この日の1本目の本塁打に「28年間思う存分野球を楽しんだぜ。今年でユニホームを脱ぎます打法」と名付け、この日のヒーローインタビューで、突然の引退表明。この日を最後に打法命名を封印した。
  • 2006年6月16日 広島戦(札幌ドーム)で、第1打席に日本通算200号本塁打を達成(投手:佐々岡真司)。
  • 2006年9月15日 2007年夏の参院選への出馬を、自民党民主党が要請していたことが判明。球団事務所は打診があったことを認めている。ちなみにその後新庄本人が断ったとのこと。
  • 2006年9月27日 レギュラーシーズン最終戦のこの日限定で、背番号をプロ野球選手生活で最初に背負った63に変更。チームがレギュラーシーズン一位通過を決めた試合終了後、引退セレモニーを行った。
「ダイドーD-1コーヒー」SHINJO引退記念缶
「ダイドーD-1コーヒー」SHINJO引退記念缶
  • 2006年10月2日 CM出演契約をしているダイドードリンコから『D-1 COFFEE』の「SHINJO引退記念缶」が12月までの限定発売。同時に『SHINJO引退記念キャンペーン』も展開された。
  • 2006年10月26日 中日との日本シリーズの引退前の最終試合に於ける最後の打席では、涙でまともにボールが見えず三球三振であった(投手は中里篤史)。4勝1敗で日本ハムは44年振り2度目の日本一になった。日本一が決まると、トレイ・ヒルマン監督より先に選手・スタッフから胴上げされた(監督より先に選手が胴上げされることは異例である)
  • 2006年11月18日 札幌で行われた優勝パレードには、私服で参加。ファイターズの新庄としての最後の姿になった。
  • 2006年12月21日 インテリジェンス社とCM契約を結ぶ。現役引退後最初のCMモデル出演で、同社(2006年夏までは学生援護会)が運営する転職雑誌・ウェブサイト「DODA(デューダ)」のCMに登場する。「よろおね」と名刺を差し出すと同時に必要以上に体をよじりながら上体を乗り出すなどする。
  • 2007年1月28日 自身の公式ホームページ「CLUB SHINJO」を再開、HP上で今後の活動の方向性などを報告。野球選手引退を決めた理由として「野球をあきらめた原因は実は、目だったんです」として、左目の病気が原因だったことを明かした。

[編集] 背番号

  • 63(1990年~1993年、2006年9月27日)
  • 5(1993年~2003年)
  • 1(2003年~2006年9月26日、2006年9月28日~10月26日)

[編集] 愛称

  • プリンス
北の~・球界の~ とも呼ばれる。
  • つーさん
剛志(つよし)から。(尚、同学年である岩本勉氏からは『ツーやん』と呼ばれてる)
  • 宇宙人
人には予測できないパフォーマンスや性格から。(名付けたのは当時はヤクルトスワローズ監督(現・東京ヤクルトスワローズ)だった現東北楽天ゴールデンイーグルス監督の野村克也。後に阪神タイガース監督となり指導をする。)

[編集] エピソード

[編集] プロ入団前

  • 小学生時代に8回も交通事故に遭っている。幸い大きな怪我を負う事も無く、野球を続けることができた。また、左手小指を中学時代に切断したことがある。
  • 野球を始めたきっかけは「サッカーは手が使えないから」(当時、サッカーもよくしていたが)。ちなみに、新庄は小学校高学年のときに「長丘ファイターズ」という野球チームを創部し、ユニフォームも彼がデザインした。運動神経が高く、いろいろなスポーツをやってもすぐに一番になってしまい、つまらないとやめてしまっていたが、野球だけは一番になれなかった。
  • 1989年のドラフト会議において、阪神タイガースに5位で指名されたが、指名順位の低さが気に入らず、しばらくプロ入りを迷っていた。しかし、父親に「お前が行けなかった甲子園(新庄は甲子園出場経験なし)でプレイできるだろう」と言われたことがきっかけで、入団を決意する。
  • 高校3年の県大会の時、サイクルヒットを達成している。ただし、本人がテレビ番組『ろみひー』に出演した際(単打、三塁打、本塁打をこれまでに放っており、第4打席に長打を放って)、三塁打にできる当たりだったが、二塁に止まれば二塁打になってサイクルヒットになるじゃないか、と思い二塁に止まったとのこと。これが原因かは不明だが結局チームは敗れてしまった。

[編集] 阪神時代

  • 入団時から外野手だったが、阪神時代は遊撃手に転向した時期もあり内野も守れる。1999年には二塁を守ったこともあり、また2000年のオールスターゲームでは三塁を守ったことがある。
  • 1992年5月26日横浜大洋ホエールズ戦(甲子園)でプロ初スタメントーマス・オマリーの故障により出番が回ってきた。第1打席の初球をレフトへプロ初本塁打(投手:有働克也)。このときのポジションも内野(三塁手)。その後、オマリーの復帰により本来の外野手(中堅手)に戻る。しかし、それ以降、真弓・岡田に代わってレギュラーを勝ち取り亀山努と共に大ブレイクを果たす。
  • 1995年6月20日の横浜ベイスターズ戦、本塁打になりそうな打球を自身の名前の書かれた応援旗でたたき落とされ、二塁打になったことがある。
  • この年のオフに「センスがないから」と引退宣言し、その後撤回した。この一件は当時右肘や右足を痛めていてオフは治療に専念しようとしていた新庄を藤田監督が無理に四国黒潮リーグに出場させたことにより新庄は球団に横浜ベイスターズへのトレードを志願、それを拒否されたうえに父親まで不当に批判された経緯があり、「センスがない」というのは確執の相手であるはずの藤田監督さえ気遣った新庄が苦肉の策で言った言葉であった。その後騒動に巻き込まれた父親(ちょうどそのころ体調が思わしくなかった)の病気が悪くなったと聞かされ(実は母親が新庄に引退を思いとどまらせるために一芝居打ったらしい)、「父の命には代えられませんから。ユニホーム姿が一番の薬」と父を勇気づけるために現役続行を決断した。(もっとも、これについての真偽は不明だが、「元・阪神」では、退団騒動は一部スポーツ紙による誇張記事が発端との記述があり、藤田との関係もそれほど悪くなかったもいわれる。それを収束させるために以上の様な釈明をしたという説もあるが、先の藤田監督との確執からの一連の出来事は新庄の父親も自身の著書の中で証言している)
  • 阪神タイガースのユニフォームに文句をつけて、ビジター用ユニフォームからタテジマをなくさせたと言われている。ただしビジター用ユニフォームのタテジマ廃止は2001年春のキャンプ中の野村監督の選定で、すでに新庄はタイガースに籍がなかったのでこの説には疑問あり。
    なお1999年オールスター戦で新庄はホーム用ユニフォームにビジターの黒帽子で登場、MVPをとる。これが野村監督が2000年から縦縞帽子を廃止にするキッカケになったという説がある。
  • 「ジーンズが穿けなくなるから」という理由でウェートトレーニング拒否を宣言した。しかしのちに本人が語ったところでは、これは照れ隠し。本当はランナーとしての瞬発的なスピードを維持するために、あえて長距離走の訓練を避けたということらしい。なお、アメリカで肉離れを起こしてからはそれを補うためにジーンズを辞めてまでハードな筋力トレーニングに取り組むようになっている。
  • 1994年秋季キャンプにおいて、山内一弘コーチに「チャンスに強く、常にファンを喜ばせるだけの華がある。王貞治ではなく、長嶋茂雄を目指せ」と声をかけられたが、「長嶋って誰?」と答えた。
  • プロ4年目に年俸が2200万円(推定)になったので、新庄は約2000万円のベンツを購入。残った200万円で生活をしようとしたが、税金のことを忘れていて、結局、叔父に助けてもらったとのこと。
  • 阪神では桧山進次郎と仲がよく、また当時若手だった今岡誠によく食事をおごっていた。今岡は新庄の影響で現在は自らが若手にごちそうしているとのこと。
  • 当時新庄が憧れていた選手はダリル・ストロベリー。そのため背番号を63から変更する際に、新庄はストロベリーのつけていた44を希望していた。結局5に落ち着いたが、44になっていたらランディ・バースセシル・フィルダーなどが築き上げた「阪神の背番号44は強打の外人」というイメージを大きく変えたかもしれない。本人は、「カクカクしてるから。自分に合っていると思う。」とコメントしていた。
  • 普通の外野フライもジャンピングキャッチするという守備スタイルについて、少年野球の指導者から「野球少年に悪影響をおよぼす」と指摘されたことがある。ちなみにこのスタイルは高校時代、先輩が2階から落とす生卵を割らないようにキャッチするというトレーニングを行って身につけたものだが、阪神時代に打球を顔面に受けたことが原因で大熊忠義コーチから一時禁止されていた。日本ハムに移籍してからはこれまで通り、引退するまでジャンピングキャッチを貫いた。
    なお新庄自身はジャンピングキャッチの利点について、2006年4月13日放送のテレビ朝日NANDA!? 新装開店SP 新庄剛志ってナンだ!?』のトークで「打球から目をそらさず、ジャンプの最高点に到達した時点で捕球する事で打球の勢いを殺すことが出来る」と解説している。ちなみに、イチロー(現シアトル・マリナーズ)も普通の外野フライをジャンピング・キャッチする事が多い。
  • 若い頃は吉川晃司に似てると言われ、吉川のファッションをよく真似た。
  • 黒ずんだが嫌で100万円かけて真っ白い歯に総入れ替えした。この時、関西のスポーツ紙や阪神ファンから大批判を浴びた。
  • 当時の阪神監督であった藤田平との確執により中日ドラゴンズへのトレードを自ら勝手に打診するも、当時の中日監督である星野仙一に説得され残留。そしてFA時にその中日から声が掛かるも拒否。理由は「名古屋の街が好きじゃないから」。当然星野は激怒した。
    なおこの時、後に新庄を指導することになる野村克也が、「新庄君も男なんだから女の腐ったのみたいにしててもしょうがない」とサンデースポーツで発言し、草野満代キャスターが困惑する一幕もあった。
  • 1997年オールスターゲームにはファン投票セ・リーグ2位で出場するも、シーズン最低打率という体たらくに怒ったファンが応援をボイコット。「新庄剛志 そんな成績で出場するな 恥を知れ」と書かれた抗議の横断幕までもが掲げられた。新庄は引退会見でこの件について「一番の辛い思い出」と語っている。7月23日の第1戦(大阪ドーム)では、新庄の打席になるとグラウンドにペットボトルが投げ入れられ、試合が中断する一幕があった。
  • 漫画クレヨンしんちゃん』の中で野原みさえが新庄のファンになるエピソードがある。
  • 1999年6月12日の巨人戦(甲子園)で槙原寛己投手から敬遠サヨナラヒットを放った(ちなみに、その時のランナーは後に再び同僚になる坪井智哉)。野村監督をして「アイツは宇宙人」と言わしめる。このプレーについては、後のテレビ番組で「柏原純一打撃コーチと事前に練習していた」と語っている(柏原も現役時代に敬遠球を打ち、本塁打にした経験がある)。
  • なお、この日の試合では代打を出した関係で内野手が足りなくなり、途中から二塁の守備に就いていた。その日のヒーローインタビューで「明日も勝つ!」といったが翌日は見事に敗戦。1999年9月10日の巨人戦で決勝本塁打を放って、再びお立ち台で「明日も勝つ!」と発言するも、翌日から球団タイ記録の12連敗を喫した。
  • また日本ハム時代の2004年9月20日に幻のサヨナラ満塁本塁打を打った時にも「明日も勝つ!」と発言。翌日日本ハムは勝ったが阪神がその日から2連敗した。
  • 野村克也監督時代の1999年に投手に挑戦し、二刀流と呼ばれた。オープン戦で登板したときは球速142km/hを記録し、当時新人だった打者二岡智宏を内野ゴロに打ち取った。野村監督曰く「投手の心理を理解させるため」ということだが、阪神OBや野球解説者から反対の声が多かったため、わずか数試合で頓挫した。
  • 1998年オフ野村監督に指導を受けた際「一度に言われても覚えきれません、また今度にして下さい」と言って練習を切り上げた。
  • 阪神入団時に購入したグラブを修理、補修しながら引退まで使用していた。プロに入って最初の給料で購入した。値段は7500円である。日本シリーズ終了後翌10月27日の記者会見では、「こいつと17年間やってきて、こいつがもう限界だと言ってきたので引退を決意した」と発言した。そのグラブの親指部分には阪神入団時の「TH 63」(阪神のロゴと、当時の背番号)が書いてある。

[編集] MLB時代

  • FAで阪神からメジャーに移籍した。移籍前、人気選手の放出を引き止めようとした阪神球団が提示した年俸は、5年12億円(推定)という破格のものであった。それに対しニューヨーク・メッツでの年俸は、わずか2200万円(推定)であったとされる。大減俸となってのメジャー挑戦であることから阪神ファンもメジャー移籍を好意的に見る者が多い。本人は照れ隠しなのか「金額の桁を間違えて契約をしてしまった」と語っている。
  • メッツに行きたかった理由は「メジャーで活躍して有名人になりたかったから」と『いつみても波瀾万丈』(日テレ系)に出演した時に語った。ただしそれはメジャーに行きたかった理由であるにすぎない。低年俸でもメッツにした理由は、「何事につけ目立つ首都のニューヨークに行きたかったから」という趣旨のことを語ったこともある(注:アメリカの首都はワシントン)。なお、イチローシアトルマリナーズへ移籍した事を知り、自分も負けたくないからメッツへ移籍した説と野村監督と反りが合わないから阪神から移籍した説がファンの間であった様であるが、まったくの無関係である。
  • メジャーに行く直前に自身が所有していたフェラーリオークションにかけることを発表し、4200万円で落札された。また「僕のフェラーリ売ります」というCMも話題になった。
  • ファンからの直筆メッセージで、「新庄」ではなく、「新圧」と書かれていたこともあった。
  • メジャー初打席で初安打、その足でセンターフライをタッチアップして2塁を陥れる。後続打者の本塁打でメジャー初得点。
  • 適時打を打つことが多く、チャンスに強いクラッチ・ヒッターとして有名になった。
  • 守備では、センターを守りながら、ライトが捕球し損ねたボールをうまく処理したことで、驚異的な守備として全米的に話題になった。
  • 2001年6月22日ベテランズ・スタジアムでの対フィラデルフィア・フィリーズ戦で新庄は6回に、誰もが長打を確信した左中間への大飛球を追い続けた末にフェンスの手前でポケットキャッチ、1954年ワールドシリーズでのウィリー・メイズの「ザ・キャッチ」に匹敵するスーパープレーと評された。
  • 2001年8月3日アリゾナ・ダイヤモンドバックス戦で4番打者として先発出場。メジャーリーグでスタメンで4番を打つのは日本人初。しかしこの日の成績はランディ・ジョンソン投手を相手に4打数無安打(第一打席は振り逃げだった)。
  • 快進撃で優勝争いにまで浮上したメッツで4番を張りつづける新庄の勝負強さにあやかろうと、メッツのロッカールームではメッツナインが試合前に新庄の椅子に手を当ててからグランドに出る光景が見られた。
  • 2001年度ベストドレッサー賞を受賞。
  • ニューヨーク・メッツからサンフランシスコ・ジャイアンツにトレードで移籍した。ジャイアンツでは新庄はセンターを守り、右翼はバリー・ボンズで並んだ。ボンズは「守備はおまえに任せるよ」と言った。ボンズは誰もが一歩距離をとってしまう存在であったが、「グレートなセンター」とまで言わしめるほど仲良くなった。
  • メジャー3年目のキャンプで必死に頑張る若い選手を見て「自分の代わりに彼らに(オープン戦で)チャンスを与えて欲しい」と首脳陣に提言をした所、「消極的な選手である」と受け取られてしまった。またケガのせいで、出場試合も少なく、成績も低迷した。このことで翌年の契約は結ばれなくなったので、日本に戻ってくるしかなくなった。なお、このケガは最後まで治癒しなかったらしく、最終的な引退の理由ともなった。
  • 新庄は英語が苦手な様で、日本に早く帰ってきたのも(成績低迷のせいでなく)メジャーリーガー達と意思疎通がしにくかったためではないか、という好意的な解釈もある。なお、本人はもともと3年で戻ってくるつもりだったと語っている。なお専属通訳曰く「ヒアリングはバッチリだったが、絶対に英語を喋ろうとはしなかった」
  • メジャーリーグ在籍中、父親に「チームメイトと会話ぐらいはできるようになれ」と言われた際に「俺、アホやし、チームメイトに日本語教えるわ」と応えている。実際に日本語で会話していたかどうかは不明。ただし、変な用法の日本語をチームメイトに流行させていた。
  • メッツ在籍中、ロッカールームでコーヒーを飲んでいて「にがっ!」と思わず言った際、隣にいた黒人選手に殴られたことがある(黒人の蔑称が「ニガー」なため)。後に弁明して誤解は解けた。
  • テレビ番組でメジャー時代に人種または国籍の壁を感じていたことを告白しており、結果を出しても評価されないことに悔しさを覚えていたようである。イチローもこの類の発言を行っている。
  • メジャー挑戦初年度、「意味なしオちゃん、無理オちゃん」で流行語大賞を狙ったが失敗に終わった。このとき「意味なし男」と「意味なし夫」のどちらがいいか本気で悩んだらしい。
  • 開運!なんでも鑑定団』にゲスト出演し、親が1000万単位の借金の形として知人から譲り受けた掛け軸を披露したが、鑑定結果は5000円。一瞬しょげるが、突然ADからマジックペンを借りると掛け軸の真ん中に自分のサインを入れ、「これで僕が来シーズン活躍したら価値が上がるかも知れないでしょ!」と視聴者プレゼントにしてしまった。

[編集] 日本ハム時代

  • 一番最初に声をかけてもらった所に行くと決めていた。最初に声をかけた新球団、北海道日本ハムに移籍。
  • そのオーバーとも思えるパフォーマンスのせいか利己的な性格と誤解されることが多いが、関係者達によるエピソードとして「入団時に背番号1を譲ってもらった阿久根鋼吉に即座に電話を入れ、了解を得る(阿久根は背番号を9に変更)」ということにも現れるように、素顔は他人への気配りを非常に大切にする人間である。特に日本ハム移籍後は他人を立てるように配慮を配り、その範疇は選手やコーチは勿論、日ごろファンが目にすることの少ないスタッフ(裏方)にまで目が届いているという。また、自分以外の選手にも目立ってもらいたいという想いも持っており、パフォーマンスの演出プランを提供することも多い。
  • 入団会見の際には「札幌ドームを満員にする」「チームを日本一にする」ことを目標に掲げた。会見時はどちらも絵空事のように思われたがどちらも実現し、「そんな事できる訳が無い」と一蹴していた評論家たちに目にもの見せ付ける格好となった(なお、開幕前にファイターズをBクラスと予想していた評論家達に「これ以降は予想出来ないね」と皮肉を交えてインタビュアーに応えていた)。
  • 同じ野球人だが、小笠原道大とはその正反対とまでいえる性格の対比から「ウマが合わない」「仲が悪い」とよく誤報道されがちであった。インタビューで新庄が小笠原について聞かれた際に「彼が日本ハムの主将です」と発言。また、2006年パ・リーグ優勝決定後の合同記者会見にて小笠原が「日本シリーズを制覇して監督(トレイ・ヒルマン)はもちろん、ツーさん(新庄)を胴上げしたい」と親愛の情あふれる発言をするなど、2人は良きチームメイトで、互いに足りない所を尊敬しあっている仲である。実際にベンチでも仲良さそうに会話している姿が多く見られる。「ツーさんを胴上げしたい」を聞いていた新庄も「感無量」と言った。
  • 2004年1月2日放送のフジテレビクイズ$ミリオネア』で、15問全問正解、賞金1000万円を獲得。迷った際には鉛筆を転がして答えを選んでいた。この賞金で札幌ドーム外野右中間後方に広告看板を掲示した(当初はSHINJOシートの真上に当たる左中間後方に掲示したかったため、以前からその位置に広告を掲示していたつぼ八に位置の交換を申し出たが、拒否された)。
  • 2004年から日本ハム主催試合の外野席に自腹で「新庄シート」を毎試合100席ずつ用意。野球少年達を無料で招待している。
  • 日本ハム移籍後、試合前のパフォーマンスとして、カエルサントリーの『健康系カテキン式』のCM長谷川初範が被っていたものと同じカエル)やスパイダーマンゴレンジャーの覆面をつけ話題になる。ちなみに着ぐるみを付けた試合の勝率は8割(4勝1敗1分)と驚異的な数字を誇る。しかし、パフォーマンスは結果を残さなければ意味がないとの考えで6試合目にしての初敗北を最後に被り物のパフォーマンスは封印されることになった。
  • また話題作りとしてとしてか、ホームランを放つたびに独特な打法名を命名する事も始めた。2005年4月15日の東北楽天戦ではネクストバッターズサークル内でファウルボールが局部に直撃したにもかかわらず苦痛に顔を歪めたままホームランを打ち、このとき「右○○○○打法」(○には放送禁止用語が入る)と述べたため、ニュースで「放送禁止用語打法」と紹介された。しかしこの恒例の打法命名も先述の2006年4月18日の引退宣言での「28年間思う存分野球を楽しんだぜ。今年でユニホームを脱ぎます打法」を最後に封印された。
  • 始球式のボールを打つことでもよく知られている。2004年には、男子ソフトボール日本代表投手と始球式では異例の三球勝負を行い三振。同年、オールスターでは小学生の投げたボールを打ってファウルフライにした。ほかにも女子小学生の投げた球をレフト前に飛ばすなど枚挙に暇が無い。また、2005年のシーズン開幕戦の始球式ではバットを持たずに打席に入った(後述)。
  • 母校・西日本短大付属高校の野球部のマイクロバスが老朽化していることを同級生である同校の野球部監督から聞いていた新庄は、2004年、同校が夏の甲子園に出場した際、部員たちに「お祝いに新しいバスを贈る」と約束。実物は翌年8月に同校に納車された。バスは26人乗りのマイクロバス「トヨタ・コースター」(700万円相当)。前方、左右両側面には「Nishitan」の文字と、新庄の用具にも刺繍されているバットを高々と掲げる真っ赤な新庄のシルエットが塗装された。後部には"Presented by Tsuyoshi Shinjo"の文字。同校のリクエストで後部座席4席を無くし、道具入れを設けるなど改良も施された。「甲子園史上最大の差入れ」と話題になった。
  • 2004年のオールスターゲーム第2戦(長野)で、ホームスチールを決めるなどして活躍。試合前の宣言通りMVPに輝いた。またヒーローインタビューでは、プロ野球再編問題を受けて「これからは、パ・リーグです!」と述べた。
  • 2004年9月20日のダイエー戦は、前日、前々日のストライキのファンへのお詫びとして「おととい、昨日と試合できなくてゴメンJoy」と試合前のシートノックで森本稀哲坪井智哉石本努島田一輝と5人で秘密戦隊ゴレンジャーのパフォーマンスを実施してファンの喝采を浴びた。(アカレンジャー=森本、アオレンジャー=島田、キレンジャー=新庄、モモレンジャー=石本、ミドレンジャー=坪井)。試合では4-8で迎えた4回裏に新垣渚からソロホームラン、さらに9-12から3連打で12-12と追いつきなおも二死満塁とした9回裏、三瀬幸司の投球をファイターズファンでぎっしり埋まった左翼席に叩き込んだ。しかし一塁を回ったところで喜びのあまり抱きついてきた一塁走者の田中幸雄に抱きつかれた際に2人揃って一回転、これが追い越しと判定され記録はシングルヒットに。しかし、新庄は一塁に到達していたので記録上は安打となり、既に生還していた三塁走者・奈良原浩の得点のみ認められ、13-12とチームは劇的なサヨナラ勝利を収めた(もし、生還前に新庄が田中幸を追い越していたり、本塁と一塁間で追い越していたら、二死だったため得点にならず延長戦に突入していた。なお、田中幸は奈良原の生還を見届けた上で新庄に抱きついたという)。新庄は生還する前にアウトとなったにもかかわらず、サヨナラホームランの時と同じようにダイヤモンドを一周し、ホームベースでチームメイトから手荒い祝福を受けた。このあと、田中幸はホームランをシングルヒットにしてしまったことを真っ先に新庄に謝罪しに来たが、自分の記録よりチームの勝利が大切だった新庄は先輩を気遣い「いいんです、何言ってんですか。勝ったんだから」と笑顔で返した。この試合のヒーローインタビューで、「今日のヒーローは僕じゃありません、みんなです!!」と発言した。
  • さらに「明日も勝つ!」と宣言、阪神時代のジンクスをものともせずに翌日もホームランを放ち、チームの勝利に貢献した(尤も古巣の阪神が翌日から二連敗した)。
  • 球界屈指の強肩として知られているが、『いつみても波瀾万丈』で強肩のことを聞かれた際に「あれでも(肩の強さは)落ちたんですよ」と言ってのけた。プロに入ってから高校の野球部の同期に「お前、肩(の強さが)落ちた?」と言われたらしい。
  • 2005年3月26日のパ・リーグ開幕戦、ソフトバンク戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)で、上戸彩が始球式を務めた際、打席に立った新庄は、バットを持たずに打席に入ったと思われたが、ユニフォームのズボンの尻ポケットからオロナミンCを取り出し、上戸とCMで共演した時と同じ決めポーズを披露。結果は空振りだったが、ドーム内は大いに盛り上がった。
  • 2005年5月6日セ・パ交流戦開幕戦の古巣・阪神戦の始球式で『スターウォーズ』のダース・ベイダーに扮して登場した。ちなみにこの試合ではスタメンから外れ途中出場した。この企画はジョージ・ルーカス公認である。メジャー時代の新庄を見て、名指しで指名したらしい。
  • 交流戦での阪神戦ではホームランを放った際に阪神ファンからも拍手が起きた。また新庄自身も甲子園を世界一の球場と評し、未だ愛着があるらしい(ホームランの打法名は「オレを育ててくれたこの球場に感謝打法」)。
  • 日本ハムのユニフォームはビジター用がデサント製(ホームはミズノ製)であるが、以前はデサントの契約選手であった事もあり、胸元が大きくV型に開き袖が極端に短くタイトな特注品を着用している。2005年まではアシックス(ローリングス)の契約選手であったが、2006年シーズンは特定の企業と用具契約を結ばないと報じられた。
  • 2005年7月23日のオールスター第2戦では、チーム名の胸部分に「SHINJO」、背中に「FIGHTERS」と通常と正反対にあしらったユニフォームを着て登場。新庄曰く「今日は新庄ファイターズで」。そのまま出場しようとしたが、使用許可は得られなかった。途中出場した打席には、180万円のダイヤが埋め込んであるスパイクと、ルール違反である始球式用の黄金バットで登場した(審判も「お祭りだから」ということで黙認したらしい)。バックスクリーンにバットを向けてホームラン宣言をするも、ヤクルト五十嵐亮太に打ち取られた。
  • 2005年9月19日の対西武戦では試合前のシートノックで森本稀哲、稲葉篤紀、小谷野栄一、石本努と5人で同じ自分の顔をかたどったかぶり物のパフォーマンス「5人のSHINJO」を披露、しかし松坂大輔に完封負けを喫してしまいかぶり物の不敗神話は崩壊(かぶり物でシートノックを受けた試合では初の敗戦だった)、『パフォーマンスは結果を出して何ぼ』の信条を持つ新庄はこれを機にかぶり物パフォーマンスを封印した。
  • 2006年の春季キャンプには、ルイ・ヴィトン社から提供された58万8000円の野球バッグを持って登場した。
  • 2006年、二軍キャンプ地の沖縄県国頭郡国頭村に新設されたくにがみ球場で行われた紅白戦に、一軍から異例の実戦出場。同球場のプロ選手による第1号本塁打を放った(打法名:「打法名はまだ早い打法!!」)。村は早くも銅像の建設や、球場名を「くにがみ新庄球場」に変えるなどのプランを検討している。
  • 同じ日本ハムの森本は新庄のことを師匠のように思い、新庄もまた森本のことを弟子のように思っている。引退後に使われなくなる背番号1を森本に受け継いでもらいたい旨の発言も行っている(その後、2007年より背番号1は森本へと引き継がれた)。
  • 2006年3月25日のパ・リーグ公式戦の開幕戦においては以前から「(パフォーマンスを)何かやります」と予告の通り試合前にトライク(三輪バイク。様々なバイクをベースにできるがこの時はハーレー・ダビッドソンベースであった)に乗ってのド派手な入場ショーを敢行した。その光景を見た対戦相手、楽天の野村監督(阪神時代の監督)は「あの人は芸能人ですから」と一蹴した(ちなみにこの試合は、野村監督率いる楽天が敗北している)。総じて阪神時代から時々新庄の行動に文句等を言っていた野村監督だが、新庄を嫌いではなくむしろ彼が気になって仕方なかったからであろう。ちなみにこのシーズンは開幕前から「監督のことをボロクソに言いますから監督も僕のことをボロクソに言ってください」と野村に持ちかけていたという話もあり、日本ハム対楽天を注目カードに仕立て上げるための作戦であったとも言える。
  • 2006年、日本ハムゴールデングラブ賞外野部門独占のメンバーである(左翼森本、中堅新庄、右翼稲葉)。特に新庄と森本の連携は抜群で「左中間の深い当たりをどちらかが捕球→体制が悪い時は相手にトス→ボールを受け取った方が次塁を狙うランナーを刺すことを狙う」というプレーも稀に見られた。
  • 逆に、稲葉とこのプレーをやって失敗した事もある。その時は、足が速いとはいえない、打者走者のタイロン・ウッズを三塁まで進めてしまった。

[編集] 引退セレモニー

  • 2006年9月27日の札幌ドームでのホーム最終戦(対ホークス)でレギュラーシーズン1位通過を決め、試合終了後は引退セレモニーを行い、これまでの野球人生を振り返るVTRをセンターの守備位置から見守った。最後に、ユニフォーム・グラブ・リストバンド・タオルをセンター守備位置に置き、涙を浮かべながらグラウンドを後にした。ユニフォームの下のアンダーシャツには「今日、この日、この瞬間を心のアルバムに刻んで、これからも俺らしく行くばいっ!」とのメッセージが書かれていた。新庄自ら引退挨拶をすることは無かったが、去り際にはスコアボードに「残りわずかな野球人生 明るく楽しく 白球を追い掛けることを きょうこの日 みんなに約束します」と新庄の署名つきでファンに向けてメッセージが表示された。このセレモニーに先立って、この日一日限り、背番号を1から阪神時代最初につけた背番号である63に手続きをとり変更した(これに伴い、元々63だった渡部龍一も、この日一日限り68に変更。ただし2軍の試合はなかったため、渡部の背番号68のユニフォームは製造されなかった。渡部はこれについて「どうせなら背番号1に変更してもらいたかった」と冗談交じりに話していた)。東京ドームで引退宣言をしたこともあり、今回のセレモニーは、地元札幌のファンへけじめをつけたいとの意味合いも込められている。なお予定通り、翌9月28日に再度手続きがとられ、背番号を1に戻した(渡部も背番号を63に戻している)。

[編集] 新庄語録

  • 「野球に対するセンスがないって見切った」 - 1995年、引退宣言の記者会見の場で(上述)。どうやらJリーグに転職するらしかったが、翌日に撤回し、ファンや記者をあ然とさせた。実は確執の相手であった藤田監督を悪者にしたくなかったための苦肉の策の一言であったらしい。どんなに嫌いでも「藤田監督が大嫌いだから」とは言えなかったという。
  • 「父の命には代えられませんから」 - 引退撤回時の一言、かねてから体調が思わしくなかった父の病状が悪化したと母から電話で聞かされたのだが、実はこれは新庄に引退を思いとどまらせるために母が打った策であり、その時当の父親は近所の行きつけの飲み屋で引退撤回の祝杯をあげていた。
  • 「ぼくは盗塁に興味がないんです」 - 阪神時代、就任したばかりの野村監督に「なぜ盗塁しないのか」と尋ねられて。
  • 「ぼくは外人になりたいです」 - 1997年シーズン開幕前、阪神ファン激励の集いでファンに「今年は何をがんばりたいですか」と聞かれ。
  • 「明日も勝つ!」 - 1999年9月10日の試合後のヒーローインタビューで。しかし翌日からチームは12連敗。別の試合でも2回言っているがどちらも完敗している。ただ新庄に限らず、競技全般で「明日も勝つ」や「優勝」を口にすると実現しない事が多いというジンクスがある。ちなみにこのジンクスは日本ハム入団とともに消えた。
  • 「両方カンタン!」 - 野球に出るのとCMに出るのどっちが難しい?という問いに答えて。
  • 「自分の好きな球団が見つかりました。その球団は、ニューヨーク・メッツです!」 - 阪神時代、FA宣言した際の記者会見の場で。
  • ジーンズが似合わなくなるのがいやだから、下半身は鍛えたくない」 - 「ウエイトトレーニングをしないのか」の質問を受けて(前述のように真意は違っていた)。現在は考えを改め、サイズが変わらないように上手く下半身トレーニングを行っている。
  • 「あれってミアミ?」 - メジャー在籍時のバス(?)遠征中、道路標識に「MIAMI」(マイアミ)と書かれていたのを見て。通訳は「あれはマイアミ」と答えたが新庄は「でも普通に考えたらミアミか、マイアマイじゃん」と譲らなかった。
  • 「バント? ムリオだね。右打ち? 意味ナシオ」 - 新庄はこの「ムリオ」「意味ナシオ」で流行語大賞を狙った。
  • メジャーリーグ時代、テレビ番組のインタビューで「もう俺、エーペだから」と答えた。「エーペって何ですか?」と問われ、「知らないの? 英語ペラペラのことだよ。三重じゃ有名!」と言って笑っていた。キャスターが「新庄さん、出身、大阪ですよね?」と質問すると、すかさず「あっ、俺、福岡!」と答えた。
  • 「俺もアメリカ人だから戦わないと」 - ニューヨークで同時多発テロが発生したあとのインタビューで。
  • 02年5月にマーリンズ戦でMLB日本人選手初の満塁ホームランを打つ。試合後に記者から「イチロー選手よりも先に達成されましたね!」と水を向けられると両目をギュッとつぶって「う、うれしいっ・・・!!!」
  • 「Movie Star」 - アメリカ最後の年、メジャー昇格した新庄が一塁に出塁すると、一塁手から「来季はどうするんだ?」と声をかけられ、本人も「まだ分からない」と喋ったあとに「ムービースター」と言い出した。ちなみに全て英語での会話である。1塁付近にマイクが仕掛けられているのを知った上でのネタ発言だという。当然の如く、日本でニュースのネタになる。
  • 「チームが最後まで(ワイルドカード枠を)争ってたから、個人的なことでチームに迷惑を掛けたくなかったんです」 - チームがプレーオフ進出を決めた直後の2002年の最終戦、400打席のインセンティブ契約を結んでいたが、あと6打席足りない状態で6番で先発した新庄に「何で今まで黙っていたんだ! あと6打席だろ! そしたら今日だって1番に入れたのに!」と言ったベーカー監督に対して。
  • 「その事には触れないで。思い出したくもない」 - 帰国後、メジャーでの生活を聞かれて。
  • 「なまら北海道だべさ!」 - 入団会見の挨拶。後にこの「なまら」は方言ブームの中心として一般に知れ渡ることに。
  • 「これからは、パ・リーグです!!」 - 2004年7月11日のオールスターゲームにてMVPを獲得した際のインタビューで。
  • 「札幌ドームのロッカールームは携帯電話の電波が悪いから悩んでいたが、今度アンテナを付けてくれることになったので残留した」 - 2005年11月に日本ハム残留を発表した記者会見の場で。
  • 「メジャーリーグでは英語ばかりで、これでやっと日本語で話ができると思ったら監督が外国人だった」 - 日本ハムの入団の気持ちを聞かれて。
  • 「知ってる? オレ、背番号23だったんだよ。一番、楽しかったころ。マイナーね」 - マイナーリーグ時代のユニフォームを着たファンに出会って。
  • 「ベストドレッサー賞はメジャーでもらった野球の賞より嬉しい」 - ベストドレッサー賞受賞会見で。
  • 「今年のオレのゴールデングラブ賞はおかしい。1年間この賞を心の中で目指して取り組んでいた選手に申し訳ない。来年からは、印象ではなく数字で選んで欲しい。そうでないとこの素晴らしい賞の価値がなくなってしまう」 - ゴールデングラブ賞を受賞した際の発言。このシーズンはケガでシーズンを通して働けず、守備も納得のいくものではなかった。守備に対して大きな誇りを持つ新庄らしい一言である。
  • 古巣である阪神に対する強い思い入れから、2006年のレギュラーシーズン1位通過会見では「名古屋の方には申し訳ないけれど、日本シリーズは甲子園でやりたい」と発言した。この発言に対しては「ちゃんとした成績(リーグ優勝)を残してから言え」「まだ日本ハムの優勝が決まったわけでもないのに失礼だ」との批判も起きた。これについてはかつて阪神時代に名古屋の街は好きではないという発言も深く関係していたと思われる。結局、日本ハムはプレーオフを全勝で勝ち抜いたが、阪神がセ・リーグを制覇することはかなわなかった。
  • 「8番以外ならなんでもいいよ」 - 日本ハムへの移籍が決まり、インタビューで希望打順を聞かれたときに発言。新庄は「投手の前ってのは嫌なんですよ」と語ったが、坪井が「DH」と突っ込みを入れ、「なら、どこでもいいわ」と笑って答えた。
  • 「プロ野球の存在意義は、その街の人々の暮らしが少し彩られたり、単調な生活がちょっとだけ豊かになることに他ならない。ある球団が中心で物事を進ませるセ・リーグにはない、野球くささをパ・リーグはもっている」 - 球界の趨勢が1リーグ制に傾きかけているとき、日刊スポーツ誌上で。
  • 「北海道で、今後行ってみたい場所は?」に対し「引退後に行ってみたい所は網走刑務所。理由は有名だから」 - 日本シリーズ制覇翌日に札幌ドームで行われた引退記者会見にて。
  • 「2位でいいよ、2位で」 - 2004年のシーズンオフの自主トレのさいのインタビューにて記者の前で来シーズンの意気込みを問われた時
  • 「オレ、毎日が日本シリーズなら4割打てるわ~」 - 2006年の日本シリーズ中に飛び出した発言。ちなみにレギュラーシーズンでは、新庄は不思議なことに観客の数が多くなればなるほど打率が飛躍的にアップしていた。週刊ベースボールの記事によると、札幌ドームで観客が4万人を超えた日の新庄は打率が4割に達していたとのことである。
  • 「NEVER MIND WHATEVER I DO!FAN IS MY TREASURE.」 - 2006年のオールスターで新庄のベルトに流れたファンへのメッセージ。「ほっとけ、俺の人生だ。ファンは俺の宝物。」という意味。(本来のパフォーマンスは神宮球場の上からヘリコプターで降りてくる予定だった。しかし国の許可が降りず断念。)
  • 「北海道に来て良かった。メジャーとか、いろんなとこまわったけど一番北海道が自分に合っていた」 - 北海道日本ハム優勝時の祝勝会での発言。
  • 北海道で種をまき、フロント、監督、コーチ、選手で毎日、一生懸命水を与え・・・やっと三年目にして花が咲かせらることができれたんじゃないかな、と。その花の色はとても美しくて、たくましい金の・・金色の花が咲けたことに、凄く・・嬉しく思ってます。」引退会見でのコメント。ファイターズに来てからの3年間のことを的確に、そして美しく言い表している。
  • 「オレの華麗な守備を魅せられなくなるのは残念だけど、引退の年にゴールデングラブに選ばれるなんて(強運を)持ってるわ。日本ハムがこれからも最強の外野陣をつくっていってくれる事を信じて外から応援しとくばい」 - 2006年、10度目のゴールデングラブ賞の受賞が決まった時のコメント。
  • 「よかったじゃん」 - 弟分の森本稀哲に背番号1が受け継がれることが決まり、森本から報告のメールが来たときの返信。この一言をもって正式に背番号1が森本に継承された。
  • 「新庄えらい男」 - インテリジェンス社の「DODA」CM出演契約を結んだ時の会見の時のコメント。新庄の現役引退後最初のテレビCMで、自らの名刺には「インテリジェンス営業本部・スーパーエグゼクティブオフィサー」(SEO)という肩書きが「用意」されたが、新庄は「まぁ、判りやすくいえば新庄(S)えらい(E)男(O)ですか」とコメントをしていた。
  • 「『新庄剛志』はもうあの瞬間(日本シリーズ第5戦)に終わったんだ。だからもうサインは打ち止めなんだよね」

[編集] 成績

[編集] 日本時代

年度 チーム 試合 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 四死球 三振 盗塁 盗塁死 打率 長打率 出塁率 OPS (出塁率+長打率)
1991 阪神 13 17 1 2 0 0 0 1 0 3 0 0 .118 .118 .118 .236
1992 阪神 95 353 39 98 16 3 11 46 18 73 5 2 .278 .433 .320 .753
1993 阪神 102 408 50 105 13 1 23 62 20 91 13 2 .257 .463 .305 .768
1994 阪神 122 466 54 117 23 7 17 68 30 93 7 5 .251 .440 .304 .744
1995 阪神 87 311 34 70 15 3 7 37 26 76 6 4 .225 .360 .294 .654
1996 阪神 113 408 55 97 16 4 19 66 55 106 2 2 .238 .436 .335 .771
1997 阪神 136 482 62 112 17 3 20 68 44 120 8 4 .232 .405 .306 .711
1998 阪神 132 414 39 92 21 3 6 27 25 65 1 2 .222 .331 .275 .606
1999 阪神 123 471 53 120 21 7 14 58 23 72 8 2 .255 .418 .303 .721
2000 阪神 131 511 71 142 23 1 28 85 32 93 15 6 .278 .491 .321 .812
2004 日本ハム 123 504 88 150 28 3 24 79 15 58 1 3 .298 .508 .327 .835
2005 日本ハム 108 380 54 91 20 1 20 57 14 64 5 0 .239 .455 .274 .729
2006 日本ハム 126 438 47 113 21 0 16 62 24 76 2 8 .258 .416 .298 .714
通算 実働13年 1411 5163 647 1309 234 36 205 716 326 990 73 40 .253 .432 .304 .736

[編集] MLB時代

年度 チーム 試合 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 四死球 三振 盗塁 盗塁死 打率 出塁率 長打率 OPS (出塁率+長打率)
2001 NYM 123 400 46 107 23 1 10 56 25 70 4 5 .268 .320 .405 .725
2002 SF 118 362 42 86 15 3 9 37 24 46 5 0 .238 .294 .370 .664
2003 NYM 62 114 10 22 3 0 1 7 6 12 0 1 .193 .238 .246 .484
通算 実働3年 303 876 98 215 41 4 20 100 55 128 9 6 .245 .299 .370 .669


[編集] タイトル

[編集] 記録

  • オールスターでの単独ホームスチール成功
    オールスター史上初の記録(2004年)
  • セ・パ両リーグでオールスターMVPを獲得
    史上初の記録(セでは1999年、パでは2004年)。

[編集] コマーシャル出演

[編集] 音楽作品

  • 第II章~True Love~(1994/03/01発売)1994/01/13レコーディング

[編集] 著書

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

先代:
ジム・パチョレック
阪神タイガース4番打者
第65代
次代:
松永浩美
先代:
高橋信二
北海道日本ハムファイターズ4番打者
第41代
次代:
稲葉篤紀
阪神タイガース
1989年ドラフト指名選手
1位:葛西稔 / 2位:岡本圭治 / 3位:麦倉洋一 / 4位:古里泰隆 / 5位:新庄剛志 / 6位:吉田浩
他の言語

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