八雲町
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八雲町(やくもちょう)は、北海道の渡島支庁管内にある町の一つ。 酪農と漁業の盛んな町。 木彫り熊発祥の地であり、バター飴の元祖でもあるが、あまり知られてはいない。
「八雲」という地名は、素戔嗚尊が詠んだとされる「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」の和歌に因み、開拓の指導者である旧尾張藩主の徳川慶勝が自ら命名したものである。
2005年10月1日、檜山支庁管内の熊石町と支庁を越えて合併した。新設合併で新町名は八雲町。同時に二海郡が新設された。旧熊石町区域が渡島支庁に編入されたことにより、檜山支庁は二つに分断されることになった。
目次 |
[編集] 地理
渡島支庁管内中部に位置。町東部は噴火湾(太平洋)、西南部は日本海に接する。町域の中央を渡島山地が連なり、温泉地が点在する。両海岸を繋ぐ国道277号は雲石峠と呼ばれ、標高は低いながらも道幅が狭く落石の多い交通の難所でもある。なお、同一町内に日本海と太平洋を有するのは八雲町が唯一。
- 山: 遊楽部岳(1277 m)、白水岳(1136 m)、雄鉾岳(999m)
- 河川: 遊楽部川(ゆうらっぷ)、鉛川、野田追川、平田内川、見市川、相沼内川
- 岬: 立待岬
[編集] 隣接している自治体
[編集] 沿革
山地に隔たれた関係上、旧熊石町域と従来の八雲町域は独自の発展を遂げている。よってそれぞれ別々に略歴を掲載する。
[編集] 八雲町(~2004年)
- 1878年 旧尾張藩主徳川慶勝侯が北海道開拓と併せて旧臣授産のため、遊楽部の土地の下付を願い出て、家族持15戸・単身者10名・総人員82名を移住させる。
- 1879年 山越内村戸長役場と落部村戸長役場が設置される。
- 1881年 八雲村が設置される。これによって山越内村戸長役場が山越内村外一ヶ村戸長役場となり、八雲村はこの役場の管轄となる。
- 1890年 山越内村外一ヶ村戸長役場が八雲村外一ヵ村戸長役場となる。
- 1902年 八雲村と山越内村の2村が合併し、2級町村制施行を行い、八雲村とする。
- 1907年 1級町村制を施行する。
- 1915年 落部村が2級町村制を施行する。
- 1919年 町制施行を行う、八雲町。
- 1957年 落部村を合併する。
[編集] 熊石町(~2004年)
- 1691年 番所が熊石に設置され、当時の日本(和人地)最北端となる。
- 1741年 松前大島の噴火に伴う津波により、大きな被害を受ける。
- 1744年 村が再建され、以後ニシン漁が栄える。
- 1873年 熊石、泊川、相沼に戸長役場が設置される。
- 1902年 二級町村制施行、熊石村になる。この頃からニシン漁が衰退する。
- 1960年 人口がピークを迎える(10,049人)
- 1962年 町制施行、熊石町
[編集] 八雲町(2005年~)
- 2005年 山越郡八雲町と爾志郡熊石町が新設合併し、二海郡八雲町となる。旧熊石町域が檜山支庁を離脱し、渡島支庁管轄となる。
[編集] 姉妹都市・提携都市
[編集] 経済
酪農、漁業が盛ん。 また航空自衛隊の分屯基地・飛行場も置かれている。
[編集] 漁業
- 黒岩漁港
- 八雲漁港
- 山越漁港
- 落部漁港
- 熊石漁港
- 相沼漁港
[編集] 立地企業
- 服部醸造株式会社
- 日本フードパッカー株式会社道南工場
- 株式会社ヤクモ飲料
- インターファーム株式会社道南事業所
- 日本スワイン農場株式会社 道南事業所(鉛川農場,下の湯農場,柴田農場,大島農場,下畑農場,肥料工場)
[編集] 教育
- 道立高等学校
- 道立特殊教育諸学校(病弱養護学校)
- 中学校
- 落部、野田生、八雲、熊石第一、熊石第二
- 小学校
- 大関、落部、春日、黒岩、栄浜、野田生、浜松、東野、八雲、山越、山崎、相沼、雲石、関内、泊川
- 大学
[編集] 交通
[編集] 鉄道
[編集] 道路
- 高速道路
- 一般国道
- 都道府県道
- 主要道道
- 一般道道
- 北海道道202号八雲停車場線
- 北海道道263号八雲今金線
- 北海道道572号八雲港線
- 北海道道573号桜野野田生停車場線
- 北海道道1029号花浦内浦線
[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 噴火湾パノラマパーク
- 梅村庭園
- 八雲神社
- 八雲町郷土資料館
- 道南休養村
- 落部公園
- 鉛川温泉
- 桜野温泉
- 銀婚湯温泉
- 上ノ湯温泉
- 浜松温泉
- 平田内温泉
- 見市温泉
- 黒岩奇岩
- 奇岩雲石
- 門昌庵
- あわびの里フェスティバル(5月)
- 八雲山車行列(6月)
- ハーベスター・八雲(ケンタッキーフライドチキン)
- ヴォルケイノ・戦国家