凱旋門
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凱旋門(がいせんもん)
- 古代ローマ時代に軍事的勝利をたたえ、その勝利をもたらした将軍や皇帝が凱旋式を行う記念の為に作られた門。もしくはそれに倣って後年に建てられた門。本項で解説。
- エーリッヒ・マリア・レマルクによって1946年に発表された文学作品の「凱旋門」は、凱旋門 (文学)を参照。
- フランスのロンシャン競馬場で行われる競馬のグループワン競走は凱旋門賞を参照。
古代ローマ時代に軍事的勝利をたたえ、その勝利をもたらした将軍や皇帝が凱旋式を行う記念の為に作られた門の事を凱旋門と呼ぶ。
建物としてはフランスのナポレオン・ボナパルトがパリに作らせたエトワール凱旋門(1836年)が一番有名であるが、これも古代ローマの風習にならったものである。
現存する古代ローマの凱旋門は多数あるが、壊されたり、別の建物の建材になったりしたため完全な形で残っているものは少ない。その中ではコンスタンティヌス帝の凱旋門が史跡として貴重である。
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[編集] コンスタンティヌス帝の凱旋門
- 詳細はコンスタンティヌスの凱旋門を参照
当時副帝だったコンスタンティヌス帝が、正帝マクセンティウス帝に対し、312年ミルヴィオ橋の戦いで勝利した事を記念して315年に作られた凱旋門だと言われている。
コロッセオのすぐ側に立てられており、高さは約25m。帝政ローマ時代の凱旋門の中では一番大きいと言われている。フランスのエトワール凱旋門のモデルにもなっている。
装飾などは古い凱旋門などからはぎ取って使われたと言われている。
[編集] 古代ローマの凱旋門
- アウグストゥスの凱旋門
- セプティミウス・セヴェルス帝の凱旋門
- ティトゥス帝の凱旋門
- パルティア凱旋門の跡
[編集] その他の凱旋門
- カルーゼル凱旋門
- ブランデンブルク門(ベルリン)
- ブランデンブルク門(ポツダム)
- パトゥーサイ(ラオス、ヴィエンチャン)
- 朝鮮民主主義人民共和国の平壌にある凱旋門(フランスパリのエトワール凱旋門より10メートル大きく世界一とされる)
- 第二次世界大戦記念碑(ワシントンD.C.)
[編集] 日本の凱旋門
- 日本の凱旋門は、各種祝賀行事の際に建てられていた緑門(りょくもん)が起源である。緑門とは、門の前面をスギの若葉で飾り付けられた簡素なものであるが、日清戦争終結時に日比谷、三越前などに大型の凱旋門が造られたことをきっかけとして一気に大型化の方向に進んだ。
- 日露戦争終結時には最高潮を迎え、日本各地にフランスのエトワール凱旋門を意識した大型構造物が無数に建設された。こうした動きは、建設ラッシュとも呼べる異様な盛り上がりを示し、仮設ではあるものの浅草の雷門ですら凱旋門化した。京橋に造られた凱旋門は高さ18mに達したと伝えられる。
- 日本の凱旋門の出自が緑門であることから、市街地に造られた凱旋門の多くは一定の期間後に取り壊される運命にあった(雷門の凱旋門も1年後に取り壊されている)。ただし地方では、そのまま保存された門もあり、2006年現在でも静岡県浜松市(旧引佐町)、鹿児島県姶良町などに数基の凱旋門が現存している。
- 姶良町の凱旋門は、2003年に登録有形文化財に登録されたことを契機に補修工事を受けている。これを記念して、地元の白金酒造が、「凱旋門」という名の焼酎を限定醸造している。