千日劇場
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千日劇場(せんにちげきじょう)は、大阪府大阪市南区(現在の中央区)の千日前交差点南西角に位置した、千日デパートの6階にあった劇場。千土地興行(のちの日本ドリーム観光)経営。
1958年11月開場。別称・千日ホール。千日デパートは大阪歌舞伎座を改装した物で、戦前6階に設けられたアイススケート場が戦後進駐軍向けの特殊慰安所(キャバレー)に転じた後、歌舞伎会館という名の劇場に改装され曾我廼家五郎劇(軽演劇)を主に上演し、漫才を併演していた。千日劇場となった後も演芸と五郎劇(「お笑い人生劇団」と改称)を主体とした番組内容であったが、やがて人生劇団は不評のため芸人も出演する「センニチコメディ」に差し替わり、よみうりテレビと提携した舞台中継や「お笑いとんち袋」(関西テレビの大喜利番組)が放送された。なお、下座(お囃子)は上方演芸界随一の存在である林家とみが務めていた。
しかしながら、もともと千土地から分かれた形の松竹芸能と、演芸を復活させた吉本興業の両者が追い上げてくると挟み撃ちにあう形となる。千土地自体、代表者が松尾國三に替わって以降は演芸を軽視していた節があり、1963年日本ドリーム観光と改称後はよりその姿勢が鮮明となっていった。1966年、唄子・啓助ら中心芸人が大量離脱し、「娯楽観光」なる芸能プロダクションを設立して独立。その後も芸人の流出が相次ぎ、出演芸人も二流どころが中心となる。「4時間笑って200円」と低料金で頑張った効果も無くジリ貧状態となり、1969年3月一杯で千日劇場は閉鎖されて、日本ドリーム観光は演芸から撤退した。
跡地はゲームセンターに転用された後、ボウリング場に改装すべく工事に入ったところ1972年5月千日デパート火災に遭い、一転して建物全体が長期にわたって廃墟のまま晒される事となる。
その後漸く取り壊され、現在はビックカメラ大阪なんば店となっている。
目次 |
[編集] 主な出演者
[編集] 漫才
[編集] 落語
- 桂米朝
- 笑福亭枝鶴(のちの笑福亭松鶴・故人)
- 桂小文枝(のちの桂文枝・故人)
- 笑福亭松之助
- 桂小春団治(現・露の五郎兵衛)
- 桂我太呂(のちの桂文我・故人)
- 桂文紅(故人)
- 桂小米(のちの枝雀・故人)
- 桂小春(現・桂福団治)
- 桂朝丸(現・桂ざこば)
[編集] 漫談
- 吾妻ひな子
[編集] 演劇
- 人生劇団(曾我廼家五郎劇の残党)