喜連川氏連
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喜連川 氏連(きつれがわ うじつら)は、江戸時代の大名。下野喜連川藩の第7代藩主。
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時代 | 江戸時代中期 | |||
生誕 | 元文4年(1739年) | |||
死没 | 宝暦11年12月17日(1762年1月11日) | |||
別名 | 戌王丸(幼名) | |||
戒名 | 仁裕院殿哲山舜公大居士 | |||
官位 | 右兵衛頭 | |||
藩 | 下野喜連川藩主 | |||
氏族 | 喜連川氏 | |||
父母 | 父:喜連川茂氏 | |||
兄弟 | 梅千代、氏連 | |||
子 | 養子:喜連川恵氏 |
元文4年(1739年)、もしくは寛保元年(1741年)6月23日、第6代藩主・茂氏の次男として生まれる。宝暦5年(1755年)11月1日に徳川家重と拝謁し、宝暦7年(1757年)12月25日に父が隠居したために後を継ぐ。しかし宝暦11年(1762年)12月17日に若死にした。後を養子の恵氏が継いだ。墓所は栃木県さくら市の竜光寺。
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