四位洋文
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
四位 洋文(しい ひろふみ、1972年11月30日 - )は日本中央競馬会(JRA)の騎手。栗東所属でフリー。血液型はB型、鹿児島県出身。
目次 |
[編集] 来歴
1991年に古川平厩舎からデビュー。同期には藤田伸二らがいる。初騎乗は1991年3月2日、中京競馬第2競走のキリシマミズキで、16頭立ての13着だった。初勝利は同年5月19日、京都競馬第8競走で、サンラブホーラーに騎乗してのものであった。同期の藤田が1年目から重賞を勝利するなどの華々しい活躍をしていたのとは対照的に、デビューから3年間はあまり目立った成績は挙がらなかった。
4年目の1994年にゴールデンジャックで桜花賞トライアルの4歳牝馬特別を制して重賞初勝利。本番の桜花賞では13着に敗れたものの、続く4歳牝馬特別に勝利し、優駿牝馬(オークス)では2着に入るなどの活躍を見せた。この頃から成績も伸びてきて、関西リーディングの上位に名を連ねるようになる。
1996年にはイシノサンデーで皐月賞を制し、GI初勝利。同年に古馬牝馬に開放されたエリザベス女王杯ではダンスパートナーに騎乗してこれを制した。
2001年には引退した的場均の後を受けアグネスデジタルに騎乗、マイルチャンピオンシップ南部杯、天皇賞(秋)、香港カップを制した。特に天皇賞(秋)はテイエムオペラオーを破る快挙だった。この年は、98勝を挙げ関西リーディングに輝いている。また、アグネスデジタルでは2002年にはフェブラリーステークスを、2003年には安田記念を勝利した。
1月から2月の京都競馬と相性がよいのか、平安ステークスを1999年から、日経新春杯を2002年からそれぞれ3連覇している。このほかにも京都記念を3勝、京都金杯を2勝などを挙げている。
2006年2月18日の東京競馬第10競走の勝利で、JRA通算1000勝を達成した。
[編集] 成績
[編集] GI競走勝利一覧及び当該競走における騎乗馬(年度別)
(斜字は交流GI、太字は海外GIを指す)
- 1996年
- 皐月賞 - イシノサンデー
- エリザベス女王杯 - ダンスパートナー
- 1998年
- 2001年
- マイルチャンピオンシップ南部杯 - アグネスデジタル
- 天皇賞(秋) - アグネスデジタル
- 香港カップ - アグネスデジタル
- 2002年
- フェブラリーステークス - アグネスデジタル
- 2003年
- 安田記念 - アグネスデジタル
- 阪神ジュベナイルフィリーズ - ヤマニンシュクル
- 2006年
- 阪神ジュベナイルフィリーズ - ウオッカ
以上JRA・GI8勝(海外GI1勝、交流GI1勝)
[編集] 年度別成績
年 | 勝利数・連対率 | 備考 |
---|---|---|
1991年 | 10勝 (.150) | |
1992年 | 24勝 (.192) | |
1993年 | 27勝 (.147) | |
1994年 | 56勝 (.195) | |
1995年 | 64勝 (.247) | |
1996年 | 71勝 (.242) | |
1997年 | 64勝 (.242) | |
1998年 | 85勝 (.288) | |
1999年 | 85勝 (.246) | |
2000年 | 101勝 (.249) | |
2001年 | 98勝 (.277) | 関西リーディング1位 |
2002年 | 85勝 (.231) | |
2003年 | 73勝 (.193) | |
2004年 | 74勝 (.239) | |
2005年 | 78勝 (.210) | |
2006年 | 64勝 (.213) |
以上JRA1059勝、重賞47勝(2006年終了時点)
[編集] 表彰歴
- JRA優秀騎手賞 - 2000年、2001年
- JRAフェアプレー賞(関西) - 1999年-2004年
[編集] エピソード
- 妻は、元エンドレスギャルズ(9期)の鈴木美帆子。
- 幼い頃からポニーの競馬に騎乗していた。
- 競馬学校入学以前、すでに乗馬では全国区の活躍をしていた。
- その苗字をもじった応援幕がパドックに掛けられる。
- 競馬雑誌『サラブレ』にて「ジョッキーズ・トーク」なる自らのコーナーをもち、対談とエッセイを執筆している。
- 若手に対して面倒見がよく慕われており、1000勝達成時のセレモニーでは松岡正海・藤岡佑介の両騎手が看板持ちを務めた。
- 1999年の函館開催にて、四位の出馬投票を忘れた菊池憲太に対し、教育的指導と称して一方的な暴行を加えていたことが発覚。後日JRAから処分を受けている。
- 2001年の香港カップをアグネスデジタルで制した時の馬上インタビューで、「ラストコーナー、(中略)グッドフィーリング・・・」と発言。英語が話せないにもかかわらず頑張って単語を並べて話した結果、とても痛々しいインタビューになってしまった。翌日のニュースで「ジョッキーも英語の勉強をしないといけませんね」と皮肉られるほど、競馬関係者、ファンの失笑を買った。
- 2006年の宝塚記念では枠番4・馬番4・4番人気のダイワメジャーに騎乗して着順までもが4着という彼の名字の一部分(四位)も含め全て4づくしという珍結果となった。