藤田伸二
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藤田 伸二(ふじた しんじ、1972年2月27日 - )は日本中央競馬会(JRA)のフリー(どこの厩舎にも所属していない)の騎手。2005年終了時点での通算勝利数が1200勝を超えるトップジョッキーである。北海道新冠町出身。本名は小川伸二(デビュー当時の姓は藤田であり改姓後も登録名は藤田伸二のままである)。愛称は「男」。
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[編集] 来歴
中学校を卒業後、1年間の牧場勤務を経て競馬学校に入学(7期生)。1991年に競馬学校を卒業し、同年中央競馬の騎手としてデビュー(栗東・境直行厩舎所属)。初騎乗は1991年3月2日、中京競馬第1競走のハイビスカスマミー(結果は13頭立ての7着)。初勝利は同年3月9日、中京競馬第1競走(優勝馬マキバスクリーン)。同年の12月にノーザンコンダクトに騎乗してラジオたんぱ杯3歳ステークスに優勝し、重賞初制覇を達成。
1992年にタケノベルベットでエリザベス女王杯を制しGIを初制覇。以降現在までGIを9勝。1996年にはフサイチコンコルドで東京優駿(日本ダービー)を制し、史上2番目の若さでダービージョッキーの仲間入りを果たした。
[編集] エピソード
- 近年は夏になると生まれ故郷である北海道に滞在し、もっぱら函館・札幌両競馬場において騎乗する。両競馬場のレースにおける勝利数は非常に多く、「北海道の帝王」の異名を持つ。
- その縁があって、2006年8月16日札幌ドームのプロ野球日本ハム-西武戦で背番号「男」のユニフォームを着て始球式を務めた。直球、ストライクを投げ込んだ。
- 近年は関西所属でありながら、関東(中山競馬場・東京競馬場)での騎乗を大幅に増加させている。
- 豪快な騎乗センスに定評があるが、同時にクリーンな騎乗を心がけており、制裁の対象となることは非常に少ない。
- 非常に快活で一本筋の通した性格ではあるがともすれば頑固すぎる嫌いがあり、かつて栗東の一部調教師との関係がこじれていた。しかし近年相次いで和解を果たしている。
- ダービースタリオンにおいて、藤田をモデルとした騎手に低い能力設定がなされていたことに反発し、その後はたとえ他の騎手が実名で登場する競馬ゲームであっても、実名での登場を拒否し続けている。
- 騎手会に所属していない。
- 過換気症候群が持病であり、東海道新幹線の車中で発症して列車を停車させたこともある。同症候群がいつ発症するかわからないという不安から列車や飛行機による長時間の移動を避ける傾向があり、2006年にアサクサデンエンがドバイデューティーフリーに出走した際には騎乗を断念した。
- 2006年12月21日栗東市内の飲食店で従業員に対し暴力行為に及び、裁定委員会による正式処分決定まで騎乗停止となる。2007年1月5日に処分が決定、2006年12月22日から2007年3月21日までの騎乗停止に。平成18年(2006年)度きゅう舎関係者表彰(優秀騎手賞の各部門及びフェアプレー賞)の対象でもあったがこの件を受けて除外された。
[編集] 記録
- デビュー以来、毎年中央競馬の重賞を優勝している(これはJRA所属騎手では武豊と藤田伸二しか達成していない記録である)。
- 2004年に年間の制裁点が0点でありかつ優秀騎手賞を受賞したことにより、JRA史上3人目(柴田政人、河内洋に次いで)となる特別模範騎手賞を最年少で受賞した。藤田自身は「ようやく自分にも1つ、豊さんに破られない記録を作ることができた」と感想を語った。
[編集] 主な騎乗馬
- タケノベルベット(エリザベス女王杯)
- フサイチコンコルド(東京優駿)
- シルクジャスティス(有馬記念)
- マサラッキ(高松宮記念)
- シルクプリマドンナ(優駿牝馬)
- アドマイヤドン(朝日杯フューチュリティステークス、JBCクラシック)
- ショウナンカンプ(高松宮記念)
- ダンツフレーム(宝塚記念)
- アサクサデンエン(安田記念)
[編集] 著書
- 『直線一気』(1999年 マガジン・マガジン)
- 『特別模範男』(2006年 東邦出版)
[編集] 外部リンク
- 男・藤田伸二のGoing my way (公認ホームページ)