夏目雅子
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夏目 雅子(なつめ まさこ、1957年12月17日 - 1985年9月11日)は、昭和後期の女優。本名:西山 雅子(にしやま まさこ、旧姓:小達(おだて))。東京都出身。六本木の輸入雑貨商・亀甲屋の子として生まれる。東京女学館中学校・高等学校卒業。東京女学館短期大学中退。田中好子は兄嫁。プロゴルファーの小達敏昭は弟。女優の楯真由子は姪。
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[編集] 来歴・人物
- 1976年 ドラマ『愛が見えますか』(愛のサスペンス劇場:日本テレビ)のオーディションで486人の応募者の中からヒロインに選ばれ女優デビュー(当時の本名、小達雅子名義)。
- 1977年 カネボウ化粧品のキャンペーンガールとなり、「クッキーフェイス」のCMで注目を集める。東映『トラック野郎』6代目マドンナに抜擢。
- 1978年 NHK大河ドラマ『黄金の日日』に出演。日本テレビ系「西遊記シリーズ」では三蔵法師役を演じて人気を得る。
- 1980年、ドラマ『サンキュー先生』(テレビ朝日系列)の1話で、いじめられっ子の姉役に特別出演。ドラマ『虹子の冒険』(テレビ朝日系列)で初主演。
- 1981年、大河ドラマ『おんな太閤記』に出演。
- 1982年、『鬼龍院花子の生涯』の台詞「なめたらいかんぜよ!」が流行語となる。
- 1983年、大河ドラマ『徳川家康』に出演。
- 1984年、作家伊集院静と結婚。
- 1985年、舞台『愚かな女』の公演の最中に体調不良を訴え、緊急入院。急性骨髄性白血病と診断されたが、夏目本人には病名を伏せていた。約7カ月という長い闘病生活を送りながらも順調に回復、退院間近の報道もあったものの、その後、抗がん剤の副作用等が原因とみられる肺炎を併発してしまい、突然逝去となった。27歳の若さだった。「美人薄命」そのものの生涯。当時多くの夏目雅子のファンから惜しまれ、彼女を題材にしたテレビドラマも数多く放映される。遺作は『瀬戸内少年野球団』である。菩提寺は、防府駅近くの大楽寺、多磨霊園の小達家の墓に分骨もされている。
[編集] 出演作品
[編集] 映画
- 俺の空(1977年、東宝)
- トラック野郎・男一匹桃次郎 (1977年、東映)
- 二百三高地(1979年、東映)
- 魔性の夏・四谷怪談より(1981年、松竹)
- 大日本帝国 (映画)(1982年、東映)
- 鬼龍院花子の生涯(1982年、東映)
- 198×(1982年、東映)
- 時代屋の女房(1983年、松竹)
- 南極物語(1983年、ヘラルド)
- 小説吉田学校(1983年、東宝)
- 魚影の群れ(1983年、松竹)
- 瀬戸内少年野球団(1984年、ヘラルド・エース)
[編集] テレビドラマ
- 愛が見えますか(1976年、日本テレビ)
- 花ぼうろ(1977年、日本テレビ)
- 悪魔の手毬唄(1977年、TBS)
- 黄金の日日(1978年、NHK)
- Yの悲劇(1978年、フジテレビ)
- 西遊記(1978年 - 1979年、日本テレビ)
- 風の隼人(1979年、NHK)
- 西遊記II(1979年 - 1980年、日本テレビ)
- サンキュー先生(1980年、テレビ朝日)
- 虹子の冒険(1980年、テレビ朝日)
- ザ・商社(1980年、NHK)
- さすらいの甲子園(1980年、日本テレビ)
- おんな太閤記(1981年、NHK)お市役
- 野々村病院物語(1981年、TBS)
- 野々村病院物語Ⅱ(1982年、TBS)
- 陽のあたる場所(1982年、TBS)
- 六月の危険な花嫁(1982年、TBS・大映)
- 野々村病院物語II(1982年-1983年、TBS)
- 徳川家康(1983年、NHK)淀殿役
[編集] レコード
- OH!クッキーフェイス / 夜明けのヨット(1977年7月、CBSソニー)
[編集] 夏目雅子ひまわり基金
自らの闘病生活で、白血病の治療薬の副作用による脱毛に悩み、精神的苦痛を味わった(しかし母親の前では「髪の毛ぐらい、いいわ。私、三蔵法師の時とっても素敵だったのよ」と言った)。脱毛を恐れて積極的な治療を行わない癌患者の闘病生活、社会復帰を支援したいという、彼女の遺志を継ぎ、母親らがかつらを貸与する夏目雅子ひまわり基金を1993年12月に設立。
死後も(財)骨髄移植推進財団のCMに画像が起用されている(一時期していた、公共広告機構もほぼ同様)。