大丸
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種類 | 株式会社 |
市場情報 | |
本社所在地 | (大阪・心斎橋店)〒542-8501大阪市中央区心斎橋筋1丁目7番1号 (本社ビル)〒542-8551 大阪市中央区南船場4丁目4番10号 |
設立 | 1920年(大正9年)4月16日 |
業種 | 小売店業 |
事業内容 | 百貨店事業 |
代表者 | 代表取締役会長兼最高経営責任者(CEO) 奥田務 代表取締役社長兼最高執行責任者(COO) 山本良一 |
資本金 | 20,283,044,920円 |
売上高 | 4,711億円(2006年2月期、単体) |
従業員数 | 3,618名(パートナー等を除く) |
主要子会社 | 博多大丸、高知大丸、下関大丸、今治大丸 株式会社大丸ピーコック(スーパーマーケット事業)、ほか |
外部リンク | http://www.daimaru.co.jp/ |
株式会社大丸(だいまる、The Daimaru, Inc.)は、日本を代表する大手百貨店の一つ。関西地盤で、大阪(心斎橋・梅田)・京都・神戸・札幌・東京に直営主力店舗を構える。この6店舗だけで単体の93%(連結で53%)の売り上げを占めている。
1717年に下村彦右衛門正啓が今の京都市伏見区京町北八丁目77に呉服店 大文字屋を開業。1726年大阪心斎橋に進出。1728年に名古屋本町に名古屋店を開き、「大丸屋」(のち閉鎖)と称した。大塩平八郎の乱では、「大丸は義商なり」と焼き打ちを免れたという。1907年に大丸呉服店を設立。そして、1928年大丸と改称した。高度成長期は三越と並び「西の横綱」といわれたが、バブル崩壊ののち、業績は低迷。奥田務が社長就任後、不採算店閉鎖、人員削減に取り組み、収益力を業界首位級に押し上げた。大丸のマークはかつては○に大だったが、1983年の大阪の梅田店開店の際に現在のマークに改められた。但し後述のように、社章は現在も「○に大」で、また一部店舗(下関大丸など)の外装にも「○に大」は健在である。
他の百貨店よりも一足早く1998年より事業構造改革に乗り出し、国内不採算店舗の閉鎖、海外からの撤退を行う一方、2003年には札幌店を開店し軌道に乗せている。
2007年3月14日に松坂屋との経営統合を決定。2007年9月3日に新たに株式移転方式で共同持株会社「J.フロント リテイリング株式会社」を設立予定。
目次 |
[編集] 店舗
[編集] 直営店
- 心斎橋店(1726年開店 中央区心斎橋筋) - 本店 ウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計の重厚な名建築。店舗面積37,490㎡。
- 梅田店(1983年開店 北区梅田、大阪駅構内アクティ大阪ビル地下2階~15階、店舗面積40,416㎡⇒増床後は64,000㎡になる予定)
- 京都店(1912年開店 下京区四条高倉、店舗面積50,830㎡)
- 神戸店(1927年開店 中央区元町・旧居留地、店舗面積50,656㎡)
- 東京店(1954年開店 千代田区丸の内・東京駅八重洲口・鉄道会館ビル、店舗面積31,500㎡⇒移転増床後は46,000㎡になる予定)
- 札幌店(2003年開店 中央区北5条・札幌駅南口JRタワー、店舗面積45,000㎡)
- やましな店(1998年開店 山科区、店舗面積9,260㎡) - 京都店の分店。
- 新長田店(1977年開店 長田区、店舗面積9,091㎡) - 神戸店の分店。
- 須磨店(1980年㈱ダイマル須磨店として開店後2001年に直営化 須磨区、店舗面積13,076㎡) - 神戸店の分店。
- 芦屋店(1980年㈱ダイマル芦屋店として開店後2001年に直営化 JR芦屋駅ビル、店舗面積4,300㎡) - 神戸店の分店。
- ららぽーと横浜店(2007年開店 横浜市都筑区、店舗面積4,000㎡) - 東京店の分店。
[編集] 連結子会社運営店舗
- 博多大丸(店舗は福岡・天神店<1953年開店後1975年現在地に移転 福岡市中央区天神、西館は西日本新聞社本社ビル地下2階~8階、店舗面積44,192㎡>と長崎店<元々は地元の老舗百貨店「岡政」であった。1988年に「岡政」から「長崎大丸」となった後、2003年に博多大丸に吸収合併。 店舗面積9,176㎡>)
- 下関大丸(1950年開店後1977年現在地に移転 JR下関駅前「シーモール」、店舗面積23,912㎡)
- 高知大丸(1947年開店 店舗面積16,068㎡)
- 今治大丸(1971年開店 店舗面積10,540㎡)
[編集] 持分法適用会社運営店舗
- 鳥取大丸(1949年開店後1975年現在地に移転 店舗面積13,637㎡)
[編集] かつて存在した店舗
- 八王子大丸(1972年開店。1985年閉店)
- 町田大丸(1971年大丸町田店として開店。プラザビーミー町田大丸として分社化の後2000年閉店)
- 新居浜大丸(1951年に別子大丸として開店。1975年新居浜大丸に社名変更。2001年イオン新居浜ショッピングセンター開設を前に閉店、大丸跡地には現在、地元スーパーの店舗が建っている)
- 米子大丸(1990年に現米子しんまち天満屋に営業譲渡)
- 大丸和歌山店(1998年閉店)
- 大丸オーストラリア(2002年撤退)
- 大丸フランス(1998年撤退)
- タイ大丸(1964年開店。1999年撤退)
- 香港大丸(1960年開店。1998年撤退)
- 大丸シンガポール(2003年撤退)
- 台湾建台大丸(台中市、高雄市。1998年開店。技術提携のみで資本関係は無し。現在は提携解消)
[編集] 今後出店を予定している店舗(店名は仮称)
[編集] 関連会社
[編集] 備考
- 「大丸」の名の由来となった「大」の字を丸で囲んだ意匠は現在も社章として残る。なお、他社商標との混同を避けるため、大の字の下部と横棒の左端に「七・五・三」本の「ヒゲ」が付けられている(本数は七五三にちなむ)。
- クジャクが象徴とされており、心斎橋店、京都店にレリーフが飾られている。系列スーパー「大丸ピーコック」の名称もクジャクに由来する。
- 心斎橋店、梅田店、京都店、神戸店等関西各店の「店」は「てん」と音読みせず「みせ」と訓読みする。それぞれ「しんさいばしみせ」、「うめだみせ」、「きょうとみせ」、「こうべみせ」となる。東京店、札幌店は対外的には「とうきょうてん」、「さっぽろてん」と読むが、大丸社内では「とうきょうみせ」、「さっぽろみせ」と呼ぶことが多い(大丸特有のものではなく、京都・大阪では昔はそれが通常であった)。
- 新選組の制服は1863年に前身の大文字屋が受注して作成したものである。
- 名物は白餡のカステラ饅頭に「大」の焼き印が押された「大丸饅頭」。現在は梅田店と博多大丸福岡天神店で販売している。かつては神戸店でも販売していたが、1995年の阪神・淡路大震災で製造機械が壊れ販売中止となった(2005年に1週間だけ再現された)。
- 東京店は2011年までに2段階に分けて建替える予定。
- 静岡県浜松市にあった松菱百貨店の跡地の再開発でアサヒコーポレーションと浜松市と大丸の間で出店協議中である。2010年に開店予定との報道があったが公式発表ではない。
- 京都市(下京区四条寺町)にある百貨店藤井大丸とは資本・人材など一切関係がない。大丸京都店とは同じ四条通りにあり、400mほどしか離れていないので注意を要する。一般には当店を「大丸」、藤井大丸を「フジイダイマル」と表記し区別している。
- 心斎橋筋商店街にはもう一軒、大に○を商標とする老舗呉服店がある。明治ごろ、お客さんが両者を区別するため百貨店を「大大丸」、呉服店を「小大丸」と呼び始め、後に呉服店は「小大丸」に屋号を改め、現在に至る。
- 宮崎県都城市にある大浦株式会社が運営している都城大丸及び京都府宮津市にある「橋立大丸」とは資本・人材など一切関係がない。
- 心斎橋店、京都店は著名な建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの作品で、ことに心斎橋店は日本の百貨店建築の最高傑作として名高い。また、下村家の邸宅であった京都・烏丸丸太町上ルの大丸ヴィラ「中道軒」はチューダー・ゴシック様式の豪壮な建築として知られている。神戸店の南一号別館「旧居留地38番館」もヴォーリズ作品「旧ナショナルシティバンクオブニューヨーク神戸支店ビル」である。
- 札幌店は人員を抑えるなどの合理化を図ったため、出店後半年で営業黒字を達成し、「奇跡の成功」と業界では驚かれた。
[編集] 外部リンク
日本の大手百貨店 |
伊勢丹 | 西武百貨店、そごう(セブン&アイ系) | 大丸 | 高島屋 松坂屋 | 三越 |阪急百貨店(阪急百貨店グループ系) 日本の百貨店のページで「全国的に展開」とされているものを掲載。 |