大阪電気軌道デボ1形電車
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大阪電気軌道デボ1形電車(おおさかでんききどうデボ1がたでんしゃ)は、大手私鉄・近畿日本鉄道(近鉄)の前身である大阪電気軌道(大軌)が、1914年の開業時に製作した木造電車である。
生駒山地の急勾配区間を乗り切るため、大正時代初期としては異例の大出力モーターを搭載した電車である。のち近鉄に引き継がれ、近鉄モ200形となった。
本項では同型のデボ19形電車についても記述する。
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[編集] 開発の事情・諸元
デボ1形は1914年、大阪電気軌道が大阪上本町-大軌奈良(現・近鉄奈良駅)間(現・近鉄奈良線)開業時に18両を製造した14m級3扉の木造電車である(1~15は汽車製造会社、16~18は梅鉢鉄工所製)。またデボ19形(19~28)は同型の増備車で、1920年から10両が川崎造船所兵庫工場(現・川崎重工業)で製造された。
[編集] 形態
二重屋根構造、1段下降窓で、随所に曲面を取り入れた優雅なデザインを備える。前面を同時期のアメリカ製電車に倣った半円筒形状とし、5枚の窓を配置する形態は、既に南海鉄道等で1910年頃から先例があり、関西私鉄における当時のトレンドであった。車幅は2.4m級と狭く、木造車の通例に漏れず台車間床下には補強のトラスバーを入れている。
奈良市内に併用軌道区間があったため、当初は前面に救助網を備えていたが、プラットホーム乗降専用車であり、ドアステップは最初から備えていない。
製造当初は路面電車風にヘッドライトを前面窓下に装備していた。これはのち運転台屋上に位置を変更している。また当初の集電装置は2本ポールであったが、のち1930年にパンタグラフ化された。連結器も当初はねじ式であり、大正末期に自動連結器に換装されている。
製造当初は漆色に塗られた格調高い外観であったが、後には標準色の濃緑色になっている。内装は職人の技術によって柱や手すりに彫刻が施され、灯器や座席生地も高級感のある仕上がりとなっていた。
[編集] 機器類
最大の技術的特徴は、大出力モーターを装備したことである。すなわち、当時関西私鉄各社の14~15m級木造電車は、一般に37kW(約50HP)級のモーターを4個搭載していたが、大軌は急勾配対策として、デボ1形にアメリカのジェネラル・エレクトリック(GE)製123kW(約155HP)モーター2個を装備した。このモーターは、単体としては当時の日本における最強の電車用モーターであり、1927年に新京阪鉄道デイ100形に東洋電機製造の150kWモーターが採用されるまでの最大出力例であった。
この結果、2個モーターでありながら他社の4個モーター車を上回る300HP級の大出力車となり、生駒山地の急勾配区間を控えながら、上本町-奈良間を1時間未満で走破できる駿足を発揮した。
制御装置は、連結運転を当初から考慮して総括制御(先頭車からの複数車両遠隔制御)可能な仕様としている。制御器は間接非自動式のジェネラル・エレクトリックMK制御器、ブレーキは単純な構造の直通ブレーキを装備した。現代の視点から見ればごくプリミティヴではあったが、大正時代初期の私鉄電車としては、総括制御可能なだけでも高度なスペックであった。
台車はアメリカのボールドウィン社製平鋼組立台車で、イコライザー式である。当時、日本の私鉄電車ではやはりアメリカのブリル社製鍛造軸バネ式台車が主流を占めており、ボールドウィン台車の採用は進んだ試みであった。このタイプの台車は以後しばらく、日本の私鉄電車における主流の台車となった。
[編集] 以後の経歴
大軌奈良線での大出力2個モーター車はデボ1・19形のみに終わり、その後の増備車であるデボ61形(1922年~1924年増備、のち近鉄モ260形となる)以降は78.3kW(約105HP)モーター4個装備が1920年代後半の鋼製車時代まで標準となった。奈良線車両が100kW超の大出力形モーターを再び採用するのは、1935年に開発された600系電車まで持ち越される。
デボ1・19形は1940年代まで大軌→近鉄奈良線で第一線での運用が行われ、年式の新しい鋼製車に互して急行運用にも充当された。1931年にデボ18が事故廃車されている。
1948年にはデボ9・11号がブレーキトラブルによって生駒トンネル内の下り坂で暴走し、河内花園駅で先行列車に追突・大破して多数の死者を出すという大惨事を引き起こした(いわゆる花園事故。近鉄奈良線列車暴走追突事故の項を参照)。戦中戦後の整備不良によってブレーキ管が老朽破断したのが原因で、空気漏れが即ブレーキ不能につながる直通ブレーキの弱点が露呈した。これを機に近鉄は、在来小型車の多くが装備していた直通ブレーキを極力廃止し、より安全性の高いAMA自動空気ブレーキへの移行を進めることになった。
デボ1・19形は、老朽化の進行もあって以後は平坦な橿原線運用や信貴生駒電鉄・大和鉄道(のち、近鉄に合併され近鉄生駒線・田原本線となる)貸出などでの運用が主となった。それでも1964年の全車廃車まで25両が残存したのは、大手私鉄の木造電車としては珍しい長寿のケースであった。
この間、1950年には形式称号整理によってモ200形201~225となっている。また1948年~1950年に奈良線用に製造された600系電車のうち、制御車ク550形の中の2両は、花園事故に遭ったデボ1形の鋼体化改造名目で製造されている。
[編集] 保存車
1964年の廃車後、旧デボ14号(212)が近鉄あやめ池遊園地で保存されていた。しかし2004年6月6日に同遊園地が閉園したため、2005年6月3日に五位堂検修車庫へ陸送された。
[編集] 関連車両
[編集] 外部リンク
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