近鉄奈良線
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奈良線(ならせん)は大阪府東大阪市の布施駅と奈良県奈良市の近鉄奈良駅とを結ぶ近畿日本鉄道の鉄道路線である。
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目次 |
[編集] 路線データ
- 路線距離(営業キロ):布施~近鉄奈良間26.7km
- 軌間:1435mm
- 駅数:19駅(起終点駅含む)
- 複線区間:全線
- 電化区間:全線電化(直流1500V)
- 閉塞方式:自動閉塞式
- 最高速度:105km/h
全線、大阪輸送統括部(旧上本町営業局)管轄である。
[編集] 概要
1914年に開業した近鉄の直系母体である大阪電気軌道の創業路線である。
生駒山地を新生駒トンネル(3,494m)で貫き、大阪~奈良間を最短ルートで結んでいる。現在の線路戸籍上の正式な起点は布施駅であるが、一般的に難波線・大阪線上本町~布施間・奈良線を通る運転系統を指して奈良線と呼ぶ。開業以来、上本町駅を始発駅としてきたが、難波線が1970年に開業してからは、奈良線の実質的な起点は近鉄難波駅に移った。大阪線の上本町~布施間は方向別複々線となっており、奈良線・大阪線の列車が並走する。
なお、2003年10月から西大阪高速鉄道が阪神西大阪延伸線の建設工事を行っており、2009年度に予定される完成後は近鉄難波駅を介して阪神三宮駅~近鉄奈良駅間で相互直通運転を行うことが決定している。
また、1977年に近鉄難波から八戸ノ里駅東方の府道大阪中央環状線付近までの立体交差化が完成しているが、2003年から八戸ノ里~瓢箪山間の連続立体交差事業が着手されている。2011年に完成する予定で、新たに若江岩田駅・河内花園駅・東花園駅が高架駅となる。
その他にも2010年に平城宮跡で開催される予定の平城遷都1300年記念事業のイベント期間中に大和西大寺~新大宮間に臨時駅を設置する事が検討されており、現在調整が進められている。
[編集] 沿線風景
難波線・大阪線区間も含めて全長30キロ少しという近鉄の幹線の中では短い方の路線にあたるが、車窓はバラエティに富んでいる。本節では近鉄難波から記述する。
近鉄難波を発車した電車はしばらく地下区間を進み、鶴橋で一気に高架に上がる。鶴橋は焼肉店やコリアタウンなどが立ち並ぶ繁華街となっており、昼や夜ともなれば電車の中にまで焼肉の香ばしい香りがたち込める。なおこの鶴橋駅の焼肉の香りは環境省選定のかおり風景100選にも選ばれている。
その後は住宅・工場・ビルが混在する地域を高架で進み、布施で大阪線と別れる。そして次第に辺りは古くからの住宅や工場が多くなってくる。府道大阪中央環状線の中央を高架で走る近畿自動車道の下をくぐると左手に近鉄ハーツ。この近鉄ハーツは昔の近鉄玉川工場の跡地をショッピングセンター街化したものである。なお、この辺りで線路は地上に下りる。ここから東花園までの間左手には所々橋脚が立ち並んでいるが、これは上にも記した2011年完成予定の高架化工事の工事現場である。
この辺りからは次第に進行方向に生駒山が迫ってくる。ラグビーの聖地東花園を通り過ぎ瓢箪山を出るといよいよ生駒山越えの区間に入る。列車は左に大きくカーブし枚岡・額田を通り過ぎると今度は右にカーブする。
なお、この間にも列車は大きく高度を上げていっており、その間左手には次々アングルの変わる東大阪のオフィス街や阪神高速道路東大阪線、近鉄けいはんな線を見下ろす事ができ、遠くには大阪市内の高層ビル群も望める。この区間は全国でも珍しい列車から夜景が見下ろせる区間となっていて、その美しさゆえ夜景の専門サイトでも紹介されている程である。この区間は阪奈道路や国道308号の暗峠など鉄道・道路問わず急勾配路線が多いことでも知られている。
石切神社への参道が続く石切を過ぎるとすぐに長い新生駒トンネルに入り、3分ほどひた走って抜けると生駒である。この駅ではけいはんな線の電車と顔を会わせる。ここからは東生駒~富雄と新興住宅街の中を進み、高級邸宅街に差し掛かると学園前である。駅前には駅名・地域名の由来となった帝塚山学園があり、朝や夕方にはこの学校に通う生徒でホームが溢れかえる。
そしてあやめ池遊園地の跡地を左手に眺め、少し行くと左から京都線が合流し大和西大寺に到着する。この辺りはデパートやショッピングセンターなどの商業施設が立ち並ぶ。
大和西大寺を出るとすぐに平城宮跡のだだっ広い原っぱに入り、右手に朱雀門、左手には2010年の平城遷都1300年に向け目下復元工事中の大極殿(現在は銀色の建物で覆われている)、進行方向には若草山と東大寺を眺め、国道24号バイパスをくぐるとオフィス街などの立ち並ぶ新大宮である。新大宮を出るとすぐ地下区間に入り、終点近鉄奈良に到着する。
[編集] 運行形態
布施駅発着(通過も含む)の全ての列車が難波線に直通し近鉄難波駅に発着する。大和西大寺駅~近鉄奈良駅間には京都線の列車も乗り入れる。
1980年3月に関西私鉄では初めて10両運転を開始した路線で、朝夕ラッシュ時に8、10両編成が多数運転される一大スケールである。また土曜の朝だけとはいえ土休日ダイヤに10両編成列車が設定されているのは大阪圏では珍しい(他に土休日に10両以上で運転される例は関西圏では10両編成の大阪市営地下鉄御堂筋線、最長12両編成のJR西日本の新快速があるくらいである)。
但し昼間時は6両、日曜祝日は全列車実質8両編成以下で曜日や時間帯により輸送力の落差が激しい。沿線地域の特性上、平日は奈良県内から大阪へ勤める通勤客、大阪や反対に奈良方面へ通う学生が、土曜・休日は奈良や反対に大阪方面へ向かう行楽客が多い。昼間に走る快速急行、急行は平日よりも土・休日の方が増結運転が行なわれるため編成が長くなっているのも特徴である。梅田への利便性や所要時間などで阪奈間輸送のライバルである西日本旅客鉄道(JR西日本)の大和路線が優位に立っている一面もあるが、沿線人口・本数の方は近鉄奈良線の方が圧倒的に多く、駅の立地も近鉄優位のため、大和路線が近鉄奈良線を脅かすまでには至っていない(しかし八尾、柏原、大和高田といった近鉄大阪線沿線では、大和路線等への旅客の転移が見られる)。
近鉄難波~近鉄奈良間には区間準急、準急、急行、快速急行のほか、特急列車も運転されている。
[編集] 列車種別
以下に種別ごとの詳細を示す。但し特急については近鉄特急の項を参照のこと。停車駅は#駅一覧を参照のこと。
- ■快速急行 Rapid Express
- 奈良線の主力優等種別。地元の利用者は「快急」と略すことが多い。近鉄難波~近鉄奈良間での運転が主体だが、朝ラッシュ時の数本の上り列車は大和西大寺駅が始発である(この大和西大寺始発の列車に限って設定当初は前身の特急と同様に学園前・生駒の2駅を通過していたが、程なく他列車同様に停車するよう改められた)。また、平日上りの午前9時30分までに難波駅に到着する全ての快速急行は最後尾(前から10両目)が女性専用車両となっている。昼間時は毎時3本運転。停車駅は特急の停車駅に近鉄日本橋(ただし前身の奈良線の無料特急は停車していた)と新大宮(2000年より)が追加されたのみで、上本町・鶴橋~大和西大寺間では特急と同等の停車駅で運転されることになる。朝夕の時間帯には特急とダイヤを平行して運転されることがある。
- 快速急行には比較的5820系など、閑散時に座席が回転式クロスシートとなるL/C車が運用される機会が多かったが、2006年3月以降(各駅停車・準急はそれ以前から)はL/C車も9820系ロングシート車などの6両固定編成車という運用グループの中に一緒に組み入れられているため、日や時間帯により偏りがある。編成両数は平日の日中は6両編成、ラッシュ時は10両編成(深夜に一部8両あり)。土休日は土曜の朝のみ10両編成。その他はダイヤ上6両編成の設定であるとも言われているが、実際には長年に亘り8両編成で運行されており、その半数ほどはロングシート4連車の重連による編成が使用されている。
- ■急行 Express
- 1978年3月のダイヤ改正で設定。昼間時以降に設定されており、快速急行同様に近鉄難波~近鉄奈良間で運転。昼間時は快速急行と交互の運用であり、毎時3本運転。原則として快速急行に抜かれることがないため、近鉄難波~近鉄奈良間で先着する。ただし、一部の列車は布施で特急に追い抜かれる。2004年3月のダイヤ変更までは昼間時間帯のみの設定であったが、以降は沿線利用者を考慮したことや利用客の減少などで夕刻以降にも快急の運行本数の半数を置き換える形で設定が追加されて現在に至る。編成両数は平日の日中は6両編成、平日の夕方以降は8両編成(上りの一部6両あり)。土休日はダイヤ上6両編成の設定であるとも言われているが、実際には終日8両編成で運行されている。急行の10両運転がないのは石切が8両分のホーム有効長しかないためで、平日夕方下りの混雑が目立つ。
- また、天理教祭礼時(概ね毎月26日やその前後と1月4~6日)には近鉄難波~天理線天理間の急行を運転する。長年、天理ゆきは途中の布施駅で後続の快速急行を待避し、難波ゆきは奈良発の定期急行の続行で運行されるというダイヤパターンが多い。
- なお現在の急行は2代目で、初代の急行は1972年まで運転されていた。初代急行の停車駅は鶴橋-石切間ノンストップで、これ以外の区間は各駅に停車しており、現在の急行よりもむしろ準急に近い停車駅パターンであった。しかし、1972年のダイヤ改正で準急と統合されたため、1978年までの約6年間は「快速急行と準急があって急行がない」状態であった。
- ■準急 Semi-Express
- 近鉄難波~大和西大寺間での運転が基本で、ラッシュ時の時間帯の一部列車は近鉄奈良まで直通する。大阪近郊の中距離優等種別という位置づけで、編成両数は6両編成が基本でラッシュ時を中心に一部の列車は8両編成。8割方が布施か石切で快速急行に追い抜かれる。また、夕方以降の一部列車には石切で特急に追い抜かれるものや、急行の待ち合わせをするものもあるほか、早朝深夜帯や夜間の難波ゆきを中心に全区間先着となるものも存在する。
- 2006年3月21日実施のダイヤ変更では、従来ラグビー開催日に一部列車が臨時停車していた東花園に終日停車となった。それと同時に、昼間の列車が区間準急に立て替えられた。
- ■区間準急 Suburban Semi-Express
- 昼間時間帯と夜間のみに運転される種別。近鉄難波~大和西大寺間での運転が基本で、一部奈良発着も設定される。編成両数は6両で運転される。これは瓢箪山・枚岡・額田の各駅で6両分のホーム有効長しかないためで、このため長編成運転の必要のない昼間時と夜間だけの運転となっている。
- 2006年3月21日改正で新たに追加された列車種別で、この種別の登場により昼間時間帯の東生駒折り返しの普通列車が東花園折り返しに変更となった(大和西大寺発着の普通列車はそのまま残っている。また運用の都合で昼間時にも一部ではあるが近鉄奈良発着もある)。
- 2007年3月の改正では新たに夜間(主に22時以降)、午前8時台や夕方16時台の準急数本が区間準急に置き換えられた。
- ■普通(各駅停車) Local
- 近鉄難波~東花園・東生駒・大和西大寺間の運転が基本で、一部列車は近鉄奈良まで直通する。昼間時は東花園折返しと大和西大寺(一部列車は近鉄奈良)折返しの系統が交互に運転されるダイヤで、それぞれ毎時3本、合計で毎時6本運転。通勤時間帯には東生駒、瓢箪山を、早朝・深夜には石切を起終点とする列車もある。編成両数は6両(早朝に一部4両あり)。
- 系統を問わずL/C車(5800系・5820系、閑散時に回転式セミクロスシートとなるタイプの車両)も使われる。
- 早朝、深夜時間帯に限り大和西大寺~近鉄奈良間の運用があるが、これは西大寺車庫からの入出庫を兼ねたものである(他の普通列車が6両編成以下に対し、この列車のみ8両または10両編成で運用されることがある)。
- 運用上、大和西大寺行きの準急・普通列車が大和西大寺駅到着後に天理・橿原神宮前行きの急行に変更されることがある(逆のパターンもあり。これらの場合、停車前にその旨がアナウンスされる)。しかし最近では西大寺始終着の天理駅・橿原神宮前駅方面行きの急行列車自体が減便されているため、このパターンは大幅に減少している。
- 2006年3月21日のダイヤ変更では、区間準急が運転されるのに伴い、昼間時の東生駒折り返し系統が東花園折り返しに変更となった。
なお、昼間時の1時間毎の運転本数をまとめると、以下の通りになる。
- 近鉄難波~東花園 : 快速急行3本、急行3本、区間準急3本、普通6本
- 東花園~大和西大寺 : 快速急行3本、急行3本、区間準急3本、普通3本
- 大和西大寺~近鉄奈良 : 京都線直通特急2本、快速急行3本、急行6本(うち京都線(地下鉄烏丸線直通も含む)直通3本)
奈良線は線内全駅で昼間でも1時間最低6本の乗車チャンスが確保されている。線区内全駅で1時間6本以上の列車が停車するのは近鉄では奈良線系統のみである(東大阪線時代のけいはんな線は全駅において1時間に8本の乗車チャンスがあった)。
[編集] 備考
この路線においても毎年大晦日~元旦の終夜運転が行われる。例年奈良~難波間運転の準急・普通が毎時2本づつ、東生駒~難波間の普通が毎時1本運転される。基本的に東花園以西では普通がおよそ20分間隔・準急が30分間隔、石切以東では普通・準急併せて15分間隔(石切~東生駒間はさらに普通が1本追加)で運転される。
奈良線沿線には春日大社や東大寺を始め枚岡神社や石切神社、生駒ケーブル乗り換えで宝山寺などの大規模・著名な寺社が多いことなどから終夜運転の本数も多く設定されている。この終夜運転の本数は全国的にも多い方である。また近鉄の主要路線の終夜運転では特急が数多く設定される中、総距離が短い奈良線系統には全く設定されないのも特徴である。
[編集] 乗務員
- 乗務員は、東花園列車区と西大寺列車区(大阪線および京都線直通を除く)が担当しており、概ね東花園ないし西大寺で乗務員交代が行われる。
- 出庫時は起立して運転する。
[編集] 車両
[編集] 現有車両
- 1020系
- 1230系
- 3000系(ステンレス車。西大寺~奈良のみで使用。大阪口には滅多に乗入れない)
- 3200系(京都市営地下鉄烏丸線対応、奈良線では主に普通・準急に使用)
- 3220系(京都市営地下鉄烏丸線対応、奈良線では主に普通・準急に使用・シリーズ21)
- 5800系(L/C車。京都線では常時ロングシートで運用)
- 5820系(阪神電気鉄道対応工事完了、L/C車・シリーズ21。京都線・阪神直通運用では常時ロングシートで運用)
- 8000系
- 8400系
- 8600系
- 8800系
- 8810系
- 9020系(阪神電気鉄道対応工事進行中、シリーズ21)
- 9200系
- 9820系(阪神電気鉄道対応工事進行中、シリーズ21)
[編集] 過去の車両
- 200系(初代、旧デボ1形)(開業時の車両)
- 400系
- 600系(初代)(戦後の奈良線区用小型車両)
- 800系(座席指定料金不要特急車)
- 820系(現在、狭軌化され伊賀線にて860系として運行)
- 900系(奈良線区初の20m級・広幅大型車両)
- 920系(600系(初代)の機器流用車で、奈良~西大寺で使用された。現在は改造の上1010系として名古屋線所属)
- 1000系(初代)(大阪線所属だが昭和20年代まで上本町~小阪での運用があった)
- 1600系(モ1650形・奈良~西大寺で使用された)
- 9000系(現在は名古屋線所属)
[編集] 乗り入れ車両
[編集] 京都市営地下鉄
[編集] 阪神電気鉄道
2009年度より乗り入れ開始予定。近鉄線以外にも梅田や山陽姫路方面に運用することを想定して、3扉19m車での乗り入れとなる。
[編集] 歴史
前述したように、近畿日本鉄道の直系母体会社である大阪電気軌道(大軌)初の路線として建設された。
生駒山を超えるにあたって、北側を迂回するルートは既に片町線が、南側を迂回するルートは既に関西本線がそれぞれ開通しており、建設にあたっては生駒山を一直線に貫くルートしか選択肢はなかった。そのため、当初はケーブルカーの使用まで検討されたとされるが、都市間電車としての効能を発揮するため、同社の設立に尽力した岩下清周の主張もあって、長さ3,338mの生駒トンネルを開削し、生駒山の登坂区間にできる急勾配を高出力の電車(デボ1形)で超えるという案が採択された。
生駒トンネル開削には多額の資金を使い、最後は社長の岩下が私財を投げ打って建設を続行させたという逸話も残っている。大阪と奈良の間をできるだけ直線ルートで結ぶ事にしたため、開業当初は沿線人口が少なく、生駒山の宝山寺や奈良へ向かう観光客が主要な乗客であった。よって収入は天候に左右され、同社の社員は常に天気に気を使っていたといわれる。そのため、「大阪電気軌道」でなく「大阪天気軌道」だと揶揄された事もあった。
その後、沿線の開発に伴い乗客数も増えたが、開業時から使用していた小型車では輸送に対応できなくなり、車体規格を大きくする事にした。それに際して建築限界を拡大する必要から、新生駒トンネル(長さ3,494m)を新たに開削している。
[編集] 年表
- 1914年(大正3年)4月30日 大阪電気軌道により上本町~奈良(高天町)間が開業。
- 1914年(大正3年)7月8日 終点を高天町から東向中町の大軌奈良駅まで延伸。奈良駅前駅(後の油阪駅)開業。
- 1914年(大正3年)7月17日 日下駅(後の孔舎衛坂駅)開業。
- 1915年(大正4年)6月15日 花園駅開業。
- 1920年(大正9年)7月13日 額田駅開業。
- 1922年(大正11年)3月 片江駅を片江今里駅に、深江駅を足代駅に改称。
- 1922年(大正11年)5月5日 大軌奈良~上本町間をエドワード8世が乗車。
- 1923年(大正12年)9月9日 菖蒲池駅開業。
- 1925年(大正14年)9月30日 足代駅を布施駅に、若江駅を若江岩田駅に改称。
- 1929年(昭和4年) 片江今里駅を今里駅に改称。
- 1929年(昭和4年)11月22日 (臨)ラグビー運動場前駅開業。
- 1936年(昭和11年)8月1日 (臨)人ノ道駅開業。
- 1936年(昭和11年)11月19日 八戸ノ里駅開業。
- 1937年(昭和12年)4月22日 (臨)人ノ道駅休止。
- 1938年(昭和13年)2月1日 人ノ道駅を永和駅として営業再開。通年営業化。
- 1940年(昭和15年)6月 鷲尾駅(元の日下駅)を孔舎衛坂駅に改称。
- 1941年(昭和16年)3月15日 永和駅を河内永和駅に、小阪駅を河内小阪駅に、花園駅を河内花園駅に、大軌生駒駅を関急生駒駅に、大軌西大寺駅を大和西大寺駅に、大軌奈良駅を関急奈良駅に改称。
- 1941年(昭和16年)9月 富雄駅を鵄邑駅に改称。
- 1942年(昭和17年)3月6日 学園前駅開業。
- 1942年(昭和17年)10月1日 全線を軌道法に基づく軌道から地方鉄道法に基づく鉄道に変更。
- 1944年(昭和19年) (臨)ラグビー運動場前駅休止。
- 1944年(昭和19年)6月1日 関急生駒駅を生駒駅に、関急奈良駅を近畿日本奈良駅に改称。
- 1948年(昭和23年)3月31日 生駒トンネル内下り坂でブレーキ故障のため列車が暴走。河内花園駅で先行列車に追突。死者49人の大惨事となる。→近鉄奈良線列車暴走追突事故
- 1950年(昭和25年)12月10日 (臨)ラグビー運動場前駅をラグビー場前駅として営業再開。
- 1953年(昭和28年)4月1日 鵄邑駅を富雄駅に改称。
- 1956年(昭和31年)12月8日 上本町~布施間が複々線化され、大阪線と分離される。
- 1956年(昭和31年)12月21日 特急(料金無料)運転開始、所要時間30分。停車駅:上本町・鶴橋・大和西大寺・近鉄奈良
- 1961年(昭和36年)9月21日 上本町~瓢箪山間で大型車両運転開始。
- 1964年(昭和39年)7月23日 生駒トンネルが新トンネルに切り替えられ、上本町~生駒間で大型車両運転開始。石切~生駒間の孔舎衛坂駅廃止。
- 1964年(昭和39年)10月1日 新向谷トンネル完成により大型車両全線運転開始。
- 1967年(昭和42年)9月1日 ラグビー場前駅を通年営業とし東花園駅に改称。
- 1967年(昭和42年)9月29日 八戸ノ里車庫が東花園車庫へ移転。
- 1967年(昭和42年)12月4日 ATS使用開始。
- 1967年(昭和42年)12月15日 東花園駅東方~瓢箪山駅西方間高架化完成。
- 1968年(昭和43年)3月20日 東生駒駅開業。
- 1969年(昭和44年)9月21日 架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。
- 1969年(昭和44年)9月26日 八戸ノ里駅東方~若江岩田駅西方間の高架化完成。
- 1969年(昭和44年)12月9日 併用軌道であった油阪~近畿日本奈良間が地下化。新大宮駅開業。油阪駅廃止。
- 1970年(昭和45年)3月1日 近畿日本奈良駅を近鉄奈良駅に改称。
- 1970年(昭和45年)3月15日 難波線開通により近鉄難波駅乗り入れ開始。
- 1972年(昭和47年)11月7日 料金無料の特急を廃止し快速急行運転開始。
- 1973年(昭和48年)9月21日 難波~奈良間に有料特急運転開始。
- 1977年(昭和52年)6月26日 布施駅西方~八戸ノ里駅東方間の高架化完成。これにより、近鉄難波駅から八戸ノ里駅東方(大阪中央環状線)まで完全立体交差となる。
- 1980年(昭和55年)3月17日 大和西大寺~近鉄難波間で快速急行の一部と特急1本で関西私鉄初の10両編成運転を開始(奈良線全線で10両編成が運転可能になったのは1988年3月18日より)。
- 1986年(昭和61年)3月18日 急行の停車駅に石切駅を追加。
- 1992年(平成4年)12月20日 列車運行管理システム(KOSMOS)稼動開始。
- 1998年(平成10年)4月1日 ご乗降確認システム(フェアシステムK)稼働開始。
- 2000年(平成12年)3月15日 シリーズ21(3220系)営業運転開始。快速急行の停車駅に新大宮駅を追加。同時に準急の大半を大和西大寺止まりに変更。
- 2003年(平成15年)2月23日 八戸ノ里~瓢箪山間連続立体交差化事業起工。
- 2006年(平成18年)3月21日 準急停車駅に東花園駅を追加。また、昼間時間帯に区間準急を新設。
[編集] 史上最大の「踏切」
本路線の奈良市内の油阪駅~近鉄奈良駅間には、「幅」が約800mの「踏切」が、1964年から1969年まで存在した。おそらく日本の鉄道史上最大・最長の「踏切」と見られる。ちなみに「油阪駅」は国鉄線を乗り越える筑堤上に設けられ、南方900mのところに国鉄奈良駅があった。新大宮駅は同駅の代替として、市街区間地下化の際に新たに設置されたものである。
この800mほどの区間は元々路面電車同様併用軌道区間で小型・中型車両のみが走行していたが、1964年から大型電車を運行するにあたり、併用軌道扱いのままでは大型車走行の認可を得られないことから、「一般鉄道路線の専用軌道区間で『800mの踏切』を通過する」という拡大解釈(見解)で大型車の乗り入れを実現していたものである。1969年にこの区間が地下線化されたことで「踏切」は廃止された。
[編集] 今後の課題
- 特急・急行系電車のスピードアップ
- 一例として、奈良線の看板列車である快速急行はかつて日中は30分強で難波と奈良を結んでいたが、ここ数年の間にみるみる所要時間が長くなり、現在は日中でも平均40分近く、中には40分以上の所要時間を要する便も存在する。これは他社線で見られるような停車駅増加によるものではなく、過密ダイヤの影響で先行列車の後を徐行する区間が増えた(特に鶴橋~瓢箪山間では殆どの快速急行が減速を強いられている)ほか西大寺での長時間停車、東花園付近の高架化工事の影響などがある。なお、阪神乗り入れ開始後の近鉄奈良~阪神三宮間の快速急行の所要時間は約70分と発表されているが、これは奈良と難波をかつての標準的な所要時分である34分程度で結ぶのが前提となっているため、現在のスピードでは前述の所要時間を達成するのは難しい状況となっている。
- 現在でも近鉄奈良駅駅ビルの入り口には「難波まで快速急行で34分」という内容の大看板が掲げられているが、現状で奈良と難波を34分で結ぶ列車はわずかしかない(全く無いわけではなく、時刻表上では数本程度存在するが、その一方で50分近くかかる快速急行も存在し、このため難波~奈良間30km強の短い路線でありながら、同じ停車駅に停まる同じ種別の所要時間が10分以上の差があるという状態になっている)。
- 常態化した遅延の解消
- 列車本数が非常に多くダイヤが過密な上に、大和西大寺駅で京都線、橿原線との平面交差も伴うので、ラッシュ時や雨天時を中心に日中でも数分の列車遅延が慢性化している。これは阪神と直通を開始した後は更なる問題となる。
[編集] 阪神直通開始後に発生する問題
- 扉位置の相違
- 近鉄は現在奈良線などの本線系統の通勤車には21mの4扉車(他線系統に一部例外あり)を採用しているが、乗り入れ相手の阪神は19mの3扉車である。このため、近鉄車使用の列車と阪神車使用の列車では同じ両数の列車でも編成長が違ってくる事になり、また当然扉位置も異なるためそれに対する案内もより充実させる必要が生じる。近鉄と阪神はこれに対して「時刻表に近鉄車使用か阪神車使用かを明記する、またホームの電光表示板で案内する方法を考えている」と述べている(2006年12月12日の朝日新聞記事より)。この場合、例えば「近鉄車の乗車目標は○印、阪神車の乗車目標は△印」などとする方法が考えられる。
- 混雑の激化
- 阪神車両は近鉄車両に比べて車体長が短いために、同じ6両編成でも近鉄編成より阪神編成の方が1回に輸送出来る量が少ない。このため、仮にラッシュ時間帯に奈良線内で阪神車両が運用されるようになると混雑の激化が予想される。ちなみに近鉄奈良線は関西の私鉄でも有数の混雑率を誇る路線である。これについては増結や増発で混雑を緩和する方法があるが、現状の奈良線においては(特に平日朝ラッシュ時は)増結増発共に非常に困難である。これについては種別で車両を分ける(主に急行系に近鉄車を、普通・準急系に阪神車を使用など)、時間帯によって車両を分ける(平日は朝夕ラッシュ時に近鉄車を、閑散時間帯に阪神車を使用)などの方法が考えられる。
- 遅延の増加
- 遅延の解消に取り組む必要について前述したが、阪神車両は扉同士の間隔が近鉄車両より長く(=扉数が少ない)、この結果駅での乗降に時間がかかるようになり、結果遅れが増加する可能性もある。駅での停車時間を延ばす方法が考えられるがこれは奈良線列車の更なるスピードダウンに繋がる。
[編集] 駅一覧
- ●:停車、▲:一部臨時停車、|:通過
- 普通列車は省略:各駅に停車
- 特急列車については特急列車記事を参照のこと。
駅名 | 布施からの営業キロ | 区間準急 | 準急 | 急行 | 快速急行 | 接続路線 | 所在地 | |
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難波線 | ||||||||
近鉄難波駅 | 6.1 | ● | ● | ● | ● | 大阪市営地下鉄:御堂筋線・四つ橋線・千日前線(難波駅) 南海電気鉄道:南海本線・高野線(難波駅) 阪神電気鉄道:西大阪線(2009年春開業・直通運転予定) 西日本旅客鉄道:関西本線(大和路線)(JR難波駅) |
大阪府 | 大阪市中央区 |
近鉄日本橋駅 | 5.3 | ● | ● | ● | ● | 大阪市営地下鉄:堺筋線・千日前線(日本橋駅) | ||
大阪線 | ||||||||
上本町駅 | 4.1 | ● | ● | ● | ● | 大阪市営地下鉄:谷町線・千日前線(谷町九丁目駅) | 大阪府 | 大阪市天王寺区 |
鶴橋駅 | 3.0 | ● | ● | ● | ● | 西日本旅客鉄道:大阪環状線 大阪市営地下鉄:千日前線 |
大阪市生野区 | |
今里駅 | 1.3 | | | | | | | | | |||
奈良線 | ||||||||
布施駅 | 0.0 | ● | ● | ● | | | 近畿日本鉄道:大阪線 | 大阪府 | 東大阪市 |
河内永和駅 | 0.8 | | | | | | | | | 西日本旅客鉄道:大阪外環状線(永和駅・2008年開業予定) | ||
河内小阪駅 | 1.6 | ● | ● | | | | | |||
八戸ノ里駅 | 2.4 | | | | | | | | | |||
若江岩田駅 | 4.1 | | | | | | | | | |||
河内花園駅 | 5.0 | | | | | | | | | |||
東花園駅 | 5.6 | ● | ● | ▲ | ▲ | |||
瓢箪山駅 | 7.0 | ● | | | | | | | |||
枚岡駅 | 8.3 | ● | | | | | | | |||
額田駅 | 9.0 | ● | | | | | | | |||
石切駅 | 10.1 | ● | ● | ● | | | |||
生駒駅 | 14.2 | ● | ● | ● | ● | 近畿日本鉄道:けいはんな線・生駒線、生駒鋼索線(鳥居前駅) | 奈良県 | 生駒市 |
東生駒駅 | 15.4 | ● | ● | | | | | |||
富雄駅 | 17.7 | ● | ● | | | | | 奈良市 | ||
学園前駅 | 19.1 | ● | ● | ● | ● | |||
菖蒲池駅 | 20.1 | ● | ● | | | | | |||
大和西大寺駅 | 22.3 | ● | ● | ● | ● | 近畿日本鉄道:京都線・橿原線 | ||
新大宮駅 | 25.0 | ● | ● | ● | ● | |||
近鉄奈良駅 | 26.7 | ● | ● | ● | ● |
[編集] ルート変更区間
- 生駒トンネル前後区間
- 石切駅 - 孔舎衛坂駅 - 生駒駅(1964年7月23日に新生駒トンネル開削で廃線)
- 近鉄奈良線の車両大型化工事の一環として実施されたもの。孔舎衛坂駅は(旧)生駒トンネルの大阪側坑口に隣接して存在し、現在もホームが残されている。また、同線の石切駅はもともと200m大阪よりにあったが、新トンネル開削に伴い孔舎衛坂駅の代替も兼ね、現在地へ移転した。
- 向谷トンネル前後区間
- 生駒駅 - 富雄駅(1964年10月1日、新向谷トンネル開削で廃線)
- 同上。なお現在同区間に存在する東生駒駅は、車両大型化に伴い生駒駅での区間列車折り返しが容量不足で不可能になってきたため、代わりの駅として1968年に開設されたものである。
- 奈良市内併用軌道区間
- 上記参照。
[編集] その他
- 奈良線の準急が東花園に停車していなかった頃は石切~河内小阪間がノンストップだったため、快速急行や急行ほどではなくとも名前通り急行に準ずる性格を保っていた。そのため、菖蒲池・富雄・東生駒から鶴橋以遠へ向かう時にホームに準急が先に到着した場合は学園前や生駒(・石切)で乗り換えずにそのまま準急で大阪方面まで出る客が少なからず存在した。これは面倒な乗り換えを避けること、また快速急行や急行の混雑が朝晩を中心に酷く学園前や生駒(・石切)からでは着席確保が非常に困難なため、途中で1本や2本抜かれてでも座って目的地まで行きたいという客が存在したためである。現在、昼間は準急が区間準急に立て替えられたためそのような客は以前より少なくなったと推測されるが、朝はやはり快速急行の混雑が激しいため現在でもそのまま準急で大阪方面に向かう客は存在する。東花園停車開始後の準急は(急行系の殆ど停まらない)東大阪市内における急行種別、石切以遠での普通の補完という役割が以前にも増して強くなっている。
[編集] 関連項目
- 日本の鉄道路線一覧
- 近鉄特急史
- 東大阪電気鉄道(森ノ宮-逢坂-奈良間の未成線)
- 大阪電気軌道四条畷線(桜ノ宮-蒲生-住道-額田間の未成線)
[編集] 外部リンク
大阪・名古屋線系:大阪線 - 信貴線 - 名古屋線 - 湯の山線 - 鈴鹿線 - 山田線 - 鳥羽線 - 志摩線
奈良・京都線系:奈良線 - 難波線 - 生駒線 - 京都線 - 田原本線 - 天理線 - 橿原線 - けいはんな線
狭軌(1,067mm)
南大阪線 - 道明寺線 - 長野線 - 御所線 - 吉野線 - 伊賀線 - 養老線
特殊狭軌(762mm)
内部線 - 八王子線
ケーブルカー
生駒鋼索線 - 西信貴鋼索線
ロープウェイ
葛城索道線
廃止・譲渡路線
長谷線 - 山上線 - 法隆寺線 - 大浜支線 - 小房線 - 伊勢線 - 伊賀線 - 志摩線 - 八王子線 - 東信貴鋼索線 - 北勢線