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奥州藤原氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

奥州藤原氏(おうしゅうふじわらし)は、前九年の役後三年の役の後の寛治元年(1087年)から源頼朝に滅ぼされる文治5年(1189年)までの間、平泉を中心に陸奥出羽に勢力を張った一族で、天慶の乱を鎮めた藤原秀郷の子孫を称する豪族である。

目次

[編集] 概要

奥州藤原氏の始祖である藤原頼遠は諸系図によると「太郎太夫下総国住人」であったと記され、陸奥国に移住した経緯はよく分かっていないが、父親の藤原正頼が従五位下であったことと比較し頼遠が無官であることから、平忠常の乱において忠常側についた頼遠が罪を得て陸奥国に左遷され、多賀国府の官人となったものと思われる。ただしこの意見には、平忠常の乱では忠常の息子たちも罪を得ていないので頼遠連座はあり得ないとの反論がある。頼遠の子藤原経清(亘理権大夫)に至り、亘理地方に荘園を経営し、勢力を伸張し陸奥奥六郡の司安倍頼時の女を娶り自己の勢力をひろげ安倍勢力圏の南方の固めとなっていた。〔長久元年(1040年)より国府の推挙により、数ヵ年修理太夫として在京し、陸奥藤原登任の下向に同行し帰省したとの説がある。〕

なお、奥州藤原氏が実際に藤原氏の係累であるかについては長年疑問符がつけられていたが、近年の研究では、藤原経清について、永承2年(1047年)の五位以上の藤原氏交名を記した「造興福寺記」に名前が見えており、同時期に陸奥国在住で後に権守となった藤原説貞と同格に扱われていることから、実際に藤原氏の一族であったかはともかく、少なくとも当時の藤原摂関家から一族の係累に連なる者と認められていたことは確認されている。確たる史料はないものの亘理郡の有力者で五位に叙せられ、陸奥の在庁官人として権守候補であった可能性は高いと見られている。

[編集] 前九年の役

源頼義の奥州赴任(1051年)から安倍氏滅亡(1062年)までの戦いを奥州十二年合戦と呼ぶ。後に「後三年の役(1083年-1087年)と合わせた名称」と誤解されて前九年の役と呼ばれるようになった。

[編集] 安倍氏の支配と源頼義の派遣

11世紀の半ば、北東北における朝廷の支配力は後退し、陸奥国岩手郡など北上平野の北部が放棄されていた。代わって、朝廷権力の後退を埋めるように俘囚安倍氏の支配が確立し、安倍頼良が現れると、衣川を越えて勢力を拡大するようになった。

永承5年(1050年)、陸奥守藤原登任秋田城介平繁成を説得し、安倍氏討伐に出向いたものの鳴子郡鬼切部の合戦で敗北し、国司を解任されて京都に召還される。1051年、後任の陸奥守として源頼義が関東の武士団を引き連れて着任した。

着任直後、朝廷は後冷泉天皇生母(藤原道長息女中宮藤原彰子)の病気祈願を理由に安倍氏への恩赦が出され、源頼義は矛を収めて安倍氏の支配を黙認せざるを得なかった。これを喜んだ安倍頼良は頼時と改名し、朝廷への帰順の意志を示した。

[編集] 戦いの発端

4年の休戦の後、頼義は陸奥守退任間近になると、頼時の次男貞任が源氏の御家人に夜襲をかけた(阿久利川事件)という嫌疑をかけ、貞任の引渡しを要求した。これに怒った安倍一党は衣川関を閉じ、戦端が開かれた。

この時、衣川の南にいた藤原経清は、伊具郡の豪族平永衡とともに、頼義に従っていたが、安倍頼時の娘を妻としており、同じく安倍氏の娘婿であった永衡が安倍方に内通していると疑われて斬処されると、経清は自身に累が及ぶことを恐れて安倍方に転じた。

[編集] 頼時の戦死と宗任・経清兄弟の奮戦

合戦は安倍氏の優位にすすみ、苦戦した頼義は気仙郡金為時に命じて糠部の酋長安倍富忠を誘い、富忠の攻撃により頼時は死亡した。ところが、安倍氏は安倍貞任安倍宗任兄弟の元で団結してかえって強大になった。天喜5年(1057年)の冬、頼義は河崎柵を攻めたが寒さと空腹になやまされ、大敗した。

安倍氏は宗任・経清が中心となって徴税を行い、さらに経清は国府の勢力下の南部諸郡に対し、食料調達のため「白符(経清の紙札)を用うべし赤符(国府の印のある紙札)用うべからず」と命令した。住民は経清に応じたが、国府はこれを制することが出来ず、また黒川五郡の郡司らが中立を維持して頼義に協力せず、住民も安倍氏に味方して頼義を苦しめた。

[編集] 清原軍の頼義への加勢

康平5年(1062年)に国司が更迭され源頼義から高階経重になったが赴任後なすすべなく都に帰ったため、頼義に再び征討を命じた。頼義は、出羽の俘囚清原光頼に援軍を求め、光頼の弟清原武則が大軍を率いて参戦した。

清原軍は源氏の軍勢の三倍を超える兵力を集め、事実上の指揮権は清原武則が握ったのではないかと推測されている。後の後三年の役を描いた各軍記物の記載には、この時頼義が清原氏に臣従したという清原方の証言がある。

[編集] 安倍氏の滅亡

清原軍が頼義軍とともに衣川関を破って攻め入ると形勢は逆転し、安倍氏は鳥海柵を放棄して厨川柵に篭城した。厨川柵を包囲すると清原軍と源軍は周りの集落を破壊して火攻めで安倍氏を追い詰めた。

安倍貞任・千代童子父子は討ち死にし、藤原経清は捕らえられた。頼義は経清を憎み、欠けた太刀の歯で鋸引きにして首を跳ねた。その妻は武則の子武貞の後室に入った。経清の遺児は母の継子として清原武貞に育てられ、清原姓を称してその一門となった。これが清原清衡、後の藤原清衡である。

[編集] 清原氏の隆盛

前九年の役の後の清原氏は安倍氏の旧領を併せ治めて勢力を伸ばし、清原武則は鎮守府将軍に上り、かつてない勢力を誇るに至った。この戦乱に勝利したのは、源氏でも中央政府でもなく、出羽の俘囚の長、清原氏の勢いが安倍氏を倒したことが特筆される。

なお、貞任の子高星丸が叔父の安倍則任とともに津軽に逃れ、安東氏をおこしてその後も繁栄したとの伝説がある。

[編集] 後三年の役

武則の跡を武貞が継ぎ、また武貞も早くに亡くなった為、武貞の嫡男 清原真衡が跡を継ぐと清原氏の棟梁として一門への専制を強めた。真衡は源頼義の一族にあたる陸奥守源頼俊の要請を受け、朝廷の支配に属さぬ、奥六郡の奥地、現在の岩手県本部から青森県全土にかけての地域に攻め入り、朝廷の支配下に置くなど朝廷支配の拡大に功績を挙げるに至る。これが、世にいう延久蝦夷合戦である。この戦いでの貢献で清原氏の朝廷からの信頼と現地での勢力基盤を確立していった。

しかし、専制を強め一門の不満が次第に高まる中、子のなかった真衡は出羽守平安貞の次男とも言われている海道次郎平成衡を養子とし、かつての陸奥守源頼義の娘をその嫁に迎えるなど、桓武・清和両天皇の血を汲む源氏平氏の血筋を迎えようとしたことで、清原の嫡流に清原氏の血筋が一滴も流れなくなることが波紋を呼び、真衡が清原の血を蔑み、一門を遠ざけていることに対して一門の不満が俄に高まる。

応徳2年(1085年)、清原氏一族の古老である吉彦秀武が挙兵し、清衡とその異父弟、清原家衡も吉彦勢に呼応して挙兵し、後三年の役が起きる。この内紛の最中、真衡が変死したが、陸奥守源義家が真衡の遺領のうち奥六郡の分割について清衡に有利な裁定を下し、家衡は藤原の連れ子に過ぎぬ兄に対する過分な温情に怨みを抱いたと伝えられている。数年後、家衡は清原氏嫡流として兄に対抗せんと兄清衡の館を襲い、清衡の妻子らを殺した。

清衡は陸奥守であり鎮守府将軍であった源義家を頼り、朝廷への年貢納入の務めを果たしている最中の兄を襲ったという口実の下、家衡討伐の軍勢を挙げる。家衡は出羽国の本領に落ち、天然の要害にて源義家・清原清衡連合軍を迎えて苦戦させた、義家の弟・源義光が兄への援軍を願ったが許可されぬので官を退いて奥州に下り兄に加勢した。義家が飛雁の乱れを見て伏兵のあるを知ったのは、この時の挿話である。寛治元年(1087年)12月金沢柵(秋田県仙北郡)が源氏の猛攻の前に破れ、家衡は捕らえられて斬首となった。源義家の助力を受けてこの内紛を制し、奥六郡を手中にすることで奥州での覇権を確立した清原清衡は実父の姓である藤原に復し、藤原清衡と名乗る。これが、奥州藤原氏のはじまりである。

[編集] 藤原氏の支配の成立

藤原清衡は、朝廷や藤原摂関家に砂金などの献上品や貢物を欠かさなかった。その為、朝廷は奥州藤原氏を信頼し、彼らの事実上の奥州支配を容認した。その後、朝廷内部で、源氏平氏の間で政争が起きたために奥州にかかわっている余裕が無かったと言う事情も有ったが、それより大きいのは当時の中央政府の地方支配原理にあわせた奥州支配を進めたことであろう。中央から来る国司を拒まず受け入れ、奥州第一の有力者としてそれに協力するという姿勢を崩さなかったことが中央政府からの介入がなかった理由であろう。

そのため、奥州は朝廷における政争と無縁な地帯になり、奥州藤原氏は奥州十七万騎と言われた強大な武力と政治的中立を背景に、源平合戦の最中も平穏の中で独自の政権と文化を確立する事になる。

また、基衡院の近臣陸奥守として下向してきた藤原基成と親交を結び、基成の娘を秀衡に嫁がせ、院へも影響を及ぼした。その後下向する国司は殆どが基成の近親者で、基成と基衡が院へ強い運動を仕掛けたことが推測される。

奥州藤原氏が築いた独自政権の仕組みは鎌倉幕府に影響を与えたとする解釈もある。

清衡は陸奥押領司に、基衡は奥六郡押領司、出羽押領司に、秀衡は鎮守府将軍に、泰衡は出羽、陸奥押領司であり、押領司を世襲することで軍事指揮権を公的に行使することが認められ、それが奥州藤原氏の支配原理となっていた。また、奥州の摂関家荘園の管理も奥州藤原氏に任されていたようである。奥州藤原氏滅亡時、平泉には陸奥、出羽の省帳、田文などの行政文書の写しが多数あったという。本来これらは国衙にあるもので、平泉が国衙に準ずる行政都市でもあったことがうかがえる。

一方で出羽国奥州合戦後も御家人として在地支配を許された豪族が多いことから、在地領主の家人化が進んだ陸奥国と押領司としての軍事指揮権に留まった出羽国の差を指摘する見解もある。特に出羽北部には荘園が存在せず、公領制一色の世界であったため、どの程度まで奥州藤原氏の支配が及んだかは疑問であるとする説がある。

その政権の基盤は奥州で豊富に産出された砂金北方貿易であり、北宋沿海州などとも独自の交易を行っていた様である。

[編集] 平泉文化

長治2年(1105年)に清衡は、本拠地の平泉に最初院(後の中尊寺)を建立した。

永久5年(1117年)に基衡が、毛越寺(もうつうじ)を再興した。その後基衡が造営を続け、壮大な伽藍と庭園の規模は京のそれを凌いだと言われている。毛越寺の本尊とするために薬師如来像を仏師雲慶に発注したところ、あまりにも見事なため、鳥羽上皇が横取りして自分が建立した寺院の本尊に使用せんとしたほどだったという。

天治元年(1124年)に、清衡によって中尊寺金色堂が建立された。屋根・内部の壁・柱などすべてを金で覆い奥州藤原氏の権力と財力の象徴とも言われる。

奥州藤原氏は、清衡基衡秀衡泰衡と4代100年に渡って繁栄を極め、平泉は平安京に次ぐ日本第二の都市となった。戦乱の続く京を尻目に平泉は発展を続けた。

[編集] 落日

秀衡は、平治の乱で敗れた源義朝の子源義経を匿い、文治元年(1185年)、源頼朝に追われた義経は秀衡に再び匿われた。

秀衡は頼朝からの引渡要求を拒んできたが、秀衡の死後、息子の藤原泰衡は頼朝の要求を拒みきれず、文治5年(1189年)閏4月義経を自殺に追い込み、義経の首を頼朝に引き渡す事で頼朝との和平を模索した。

しかし、関東の後背に独自の政権があることを恐れた源頼朝は、同年7月、義経を長らくかくまっていた事を罪として奥州に出兵。贄柵(秋田県鹿角)において家臣の造反により藤原泰衡は殺され、奥州藤原氏は滅んだ。

平家滅亡により源氏の勢力が強くなった事、奥州に深く関わっていた義経が頼朝と対立した事などにより中立を維持できなくなった事が滅亡の原因となった。

[編集] 一族

清衡の四男藤原清綱(亘理権十郎)は当初亘理郡中嶋舘に居城し以後平泉へ移りその子の代には紫波郡日詰の樋爪(比爪)館に居を構え樋爪氏を名乗り太郎俊衡と称している。奥州合戦では平泉陥落後、樋爪氏は居館に火を放ち地下に潜伏したが、当主樋爪俊衡らは陣ケ岡の頼朝の陣に出頭し降伏した。頼朝の尋問に対し法華経を一心に唱え一言も発せず命を差し出したので老齢のことでもありその態度を是とした頼朝は樋爪氏の所領を安堵したがその後、歴史の表舞台から消えた。子や弟も、相模国他へ配流された。

藤原秀衡の四男高衡も投降後相模国に流罪となり樋爪一族と行動をともにした。これにより奥州藤原氏のすべてが処分された。

一方、経清(亘理権大夫)以来代々の所領地曰理郷(亘理郡)も清綱(亘理権十郎)の没落とともに頼朝の幕僚千葉胤盛の支配する所となった。

清綱の息女の乙和子姫は、信夫荘司佐藤基治に嫁し佐藤継信佐藤忠信兄弟(源義経の臣)の母親として信夫郡大鳥城福島市飯坂温泉付近・現在舘の山公園)に居城した。全国佐藤姓のみなもとのひとつとなった。

[編集] 系譜

凡例 太線は実子。(養子はあえて記載せず。)   
     清衡
     ┣━━━┓
     惟常  基衡
             ┃
             秀衡
     ┏━━━╋━━━┳━━━┓
     国衡  泰衡  忠衡  高衡

[編集] 参考文献

  • 高橋富雄『奥州藤原氏四代』(吉川弘文館人物叢書、1987年) ISBN 4642050949
  • 七宮涬三 編『藤原四代のすべて』(新人物往来社、1993年) ISBN 4404020252
  • 高橋富雄『平泉の世紀 古代と中世の間』(日本放送出版協会、1999年) ISBN 4140018607
  • 入間田宣夫・本沢慎輔 編『平泉の世界』(高志書院奥羽史研究叢書、2002年) ISBN 4906641520
  • 高橋 崇『奥州藤原氏 平泉の栄華百年』(中公新書、2002年) ISBN 412101622X

[編集] 奥州藤原氏を題材とした作品

壱 北の埋み火 ISBN 4061857630、弐 燃える北天 ISBN 4061857649、参 空への炎 ISBN 4061859269、四 冥き稲妻 ISBN 4061859277、伍 光彩楽土 ISBN 4062631008
  • 今 東光『蒼き蝦夷の血 藤原四代』1~4(徳間文庫、1993年)
1 清衡の巻 ISBN 4195674697、2 基衡の巻 ISBN 4195674700、3 秀衡の巻 上 ISBN 4195674999、4 秀衡の巻 下 ISBN 4195675006
他の言語
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