小島慶子
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小島 慶子(こじま けいこ、1972年7月27日- )は、オーストラリア連邦パース市出身のTBSアナウンサー。血液型はRh+B型。学習院女子高等科、学習院大学法学部卒業後、1995年TBS入社。(小川知子と堀井美香は同期)
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[編集] 人物・経歴
身長は172cmと女性アナウンサーとしては高い事から、後輩の小倉弘子と共に「TBSのツインタワー」と言われることがあった。ちなみに、小川知子、青木裕子両アナウンサーやTBSニュースバードの柴山延子キャスターも身長170cm以上の長身である。
既婚で2児の母親。音楽はキリンジが好み。乱視。オーストラリアで出生した後、親の仕事の都合で7歳の頃はシンガポールに、また8~9歳の頃は中国返還前の香港と海外で暮らす。なお、日本帰国後は東京都日野市に住んでいたとの説がある。
沖縄取材の際に、現地のヤシガニを突っついて遊んでいたところ、指を挟まれ、その後、労災を申請したというエピソードがある。
そんな彼女は新人の頃、写真週刊誌『FLASH』(1995年10月10日号)のインタビューで、「若いうちはバラエティーに、将来は報道を担当したい」と語っていた。しかし入社1年目の冬に、あるバラエティー番組の番組宣伝目的での取材で大きな失敗をしたことがひとつのきっかけとなり、バラエティ番組への出演機会は早々と減ってゆく。アナウンサーとして若干悶々とした状況が続いていた入社4年目・1998年の秋に彼女に対する一定の評価につながるラジオ番組が始まる。それが『BATTLE TALK RADIO アクセス』であった。
『アクセス』では、聴取者やトークパーソナリティーである著名人が繰り広げるさまざまな議論に、単なる聞き役だけでなく時には口を挟んで自分の考えを述べるなど、まさに「水を得た魚」のように活躍した。この番組のナビゲーターを務めた功績を称えられ、1999年に第36回ギャラクシー賞DJパーソナリティー部門賞を受賞している。最初の産休入りのために降板するまで、4年3ヶ月もの間いわばTBSラジオの夜の声であった。同時期、テレビでは『回復!スパスパ人間学』に出演、森本毅郎や爆笑問題らを相手に奮闘した。
最初の産休が明けた後、『ニュースフロント』『時事放談』と主に報道番組を担当する。そして2度目の産休が明けた後の2006年10月に、久々のラジオのレギュラー番組『久米宏 ラジオなんですけど』が始まる。かつて『アクセス』担当時に、その後の生放送番組『深夜の馬鹿力』での企画を何度も手伝ってもらった伊集院光は、「彼女がラジオに戻ってきたことがうれしい」との趣旨の発言をした。もっとも、4年近くのブランクや2児の母となっての心境の変化で、何か物足りなさを感じる聴取者もいるという。また同時期に始まった『ママアナのデジ@缶』では、世代がまったく違う後輩アナウンサー・山内あゆと出水麻衣と共演している。
[編集] 現在の出演番組
[編集] テレビ
[編集] ラジオ
- 久米宏 ラジオなんですけど (2006年10月7日~、アシスタント 同局の大先輩の久米宏とコンビを組む)
[編集] 過去の出演番組
[編集] テレビ
[編集] ラジオ
- BATTLE TALK RADIO アクセスナビゲーター(月曜-木曜、1998年10月5日スタート~2002年12月26日)
- 小島崇弘の全国カラオケベスト10
- ストリーム(2006年9月4日~9月8日までの一週間、松本ともこの代理で出演。)
- 伊集院光 深夜の馬鹿力」(不定期)
[編集] CM
- 日本司法支援センター 法テラス (2006年10月、ラジオCM)
[編集] 外部リンク
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