小川薫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小川 薫(おがわ かおる、1937年8月8日 - )は、日本の実業家。総会屋。「最後の総会屋」と呼ばれた。
[編集] 経歴
広島市の歓楽街・弥生町の入口、下柳町(現中区銀山町)生まれ。1945年、7歳国民学校二年の夏、爆心地から1.1キロの自宅で被爆。幸い家族はみな軽傷で済んだ。1946年、戦場から父親が復員。戦前から経営していた電器店を再開したが、父は博徒岡組(のちの共政会)組長・岡敏夫と親しく野球賭博を始め店を潰し、その後は食堂を営んだ。小川の兄と弟の三人は喧嘩が滅法強く「小川三兄弟」と恐れられたが、叔父がプロ野球選手で野球もうまく、みな野球強豪高校でレギュラーとなった。弟は広島の野球ファンなら誰でも名前を知っている著名高校野球指導者である。小川自身も入り直した広島工業で広島大会決勝まで進出した。卒業後1957年、三菱レーヨン大竹工場に勤務。2年で退職し芝浦工業大学に入学。田部武雄の弟で、また付き合いのあった田部輝雄が創部した野球部に入部するも、1学年100人以上の大所帯で選手は諦めマネージャーに。この頃から父親が身を滅ぼした野球賭博などのギャンブルを始め大学を中退。1961年、広島へ戻りガソリンスタンドで働く。この頃のちに論談同友会(現論談)を興す正木龍樹らと知り合った。
1963年、ギャンブルで店のお金を使い込み夜逃げし再び上京。親戚の電器店で集金人をする。知人から聞いた総会屋の話に興味を持ち独学で勉強。端株を購入し片っ端から株主総会に出席した。当時は今と違い総会は一年中開かれていた。また証券不況の時代で、株価は100円以下の会社が多くタバコ銭で株が買えた。久保祐三郎や糸山英太郎ら大物の芸を盗み、代議士上がりの栗田英男を師と仰いだ。また日経や会社四季報などを読み猛勉強。ハンデ師をやっていたので情報を覚える事は何ら苦にならなかったという。会社回りは最初は門前払いされる場合が多く、総会で発言する事がすべてだと痛感。発言するとその快感に酔い電器店は辞め総会屋業にのめり込んだ。新人が総会で発言出来るような状況では無かったものの、強引に発言を繰り返す事でやがて一目置かれる存在となった。小川が総会で荒い広島弁で捲くし立てるとどよめきがおこり、論談同友会らのグループと共に「広島グループ」と恐れられ「小川の恐ろしい広島弁を聞くと三日は眠れない」と言わしめ大企業をも震えさせた。やがて大企業の方から小川を尋ねてきて、穏便な総会(シャンシャン総会)をお願いしたい、と賛助金と称すものを置いていくようになった。しかし名前が有名になるにつれ暴力団からの脅しや、小川の名前を出して企業にお金を集るものが増えた。しかし小川自身「ずっと一匹狼でやってきて、嫌いな暴力団や他の誰かに助けを求めたり、バックに付けたりした事は一遍もない」と発言しているが、用心棒的存在として呉の三宅譲がいた。1970年前後には総会で発言した小川の意見が経営に取り入れられたり、企業トップと懇意となり総会を仕切ったりした。
1973年小川企業を設立、多くの部下を持った。この中に商法改正後最大の総会屋になった小池隆一がいる。1976年、まだデビュー前のピンクレディーの所属事務所が、資金繰りで苦境となり人を介して融資を頼まれオーナーとなる。新たに「T&C」と社名変更。ピンクレディーの売り出しに数億円をかけ、その後デビューしたピンクレディーは爆発的人気を得た。デビュー曲のB面で決定していた『ペッパー警部』を強引にA面にしたのは小川という。ピンクレディーは三年で1千億は稼いだといわれたが、その後のアメリカ進出、また天童よしみら、次のタレントの売り出しがうまくいかず、余りお金は残らなかったという。また国民的人気者と総会屋の接点があってはマズいと思われたか、警察から余罪で追求を受けやむなくオーナーは降りた。その後ピンクレディーの解散で事務所も倒産した。他に「カープファン」などの書籍も発行。1977年には当時世間を大いに騒わせた中ピ連の榎美沙子に嘆願され、日本航空の株主総会出席の手引きをした。小川が市場を膨らませたともいえる総会屋業は、いわゆる「広島グループ」と呼ばれる人数だけで数千人を超える規模となって風当りの強さが年々増した。1982年10月施行の商法改正で実質総会屋は締め出される事となった。これを機に小川も総会屋活動を中止した。小川自身は日本のラルフ・ネーダーになりたい、と自著で述べていた。しかしその後も見せしめに毎年総会シーズンになると微罪で検挙され、2003年恐喝未遂でまたも起訴、現在東京拘置所に服役中。ただしこれをデッチ上げとして獄中より訴訟を起こしている。
小川の半生を仮名で綴ったドキュメンタリー、大下英治著「最後の総会屋」は、2001年、竹内力主演でvシネマ化されている。
[編集] 書籍・参考文献
- 「実録総会屋」自著/ぴいぷる社 2003年
- 「最後の総会屋」大下英治著/桃園書房 1993年