小松崎茂
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小松崎 茂(こまつざき しげる、1915年2月14日 - 2001年12月7日)とは、戦前・戦後から挿絵、各種雑誌への戦記物・空想科学イラストグラビアページなどで活躍し、プラモデルのボックスアートまで幅広く手がけていた日本の代表的な画家、イラストレーターである。東京生まれ。
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[編集] 略歴
[編集] 挿絵から少年誌での活躍
戦前より講談の挿絵画家として活躍し、早くから小松崎の描くメカニックアートは注目され少年雑誌向けに軍艦、戦車、飛行機などのイラストを数多く発表する。戦後(1945年)も少年誌向けに表紙や挿絵、戦記物イラストなど数多くの雑誌に描き続け、1948年、SF冒険活劇物語『地球SOS』が少年画報社月刊誌「冒険活劇文庫」(後に少年画報へ改題)で連載(1948-1951)された。多数掲載された架空のメカニックイラストは、当時の少年達に大いなる想像力を描きたてる源となり人気を博した。
[編集] プラモデルの「箱絵」ヒットメーカー
小松崎の名声が後世も不動のものとなった要因として、プラモデルなどのボックスアート(箱絵・パッケージアートとも言われる)などに使用されるメカの模写やイラストを多く手がけたことが挙げられる。主に1960年代から1970年代にかけて、子供向け玩具のプラモデルが飛躍的に普及し始めた頃である。艦船・戦車を手がけるタミヤ、サンダーバードの今井科学、1/76戦車模型の日東科学、1970年代のロボットアニメのバンダイなど模型業界の各社から彼は依頼を受けた。描かれた作品は各メーカーの要望に合い、なおかつ迫力ある優れたものであった。そうして第一次プラモデルブームに貢献した第一人者となる。
1961年当時、タミヤが社運をかけ多額の金型開発費を投入して、「パンサータンク」モーターライズ戦車プラモデルを制作した。プラモデルを売る際の最大のアピールポイント・ボックスアートを小松崎に依頼した(彼は既に当時の少年誌などで活躍していて、メカニカルな近未来SF画、第二次世界大戦の戦記物の作品で売れっ子イラストレーターとなっていた)「パンサータンク」は硝煙やオイルの匂いが漂うような迫力溢れる箱絵で発売された。よく走る戦車プラモと当時の購買層の少年雑誌に人気があった小松崎のコラボレートは大成功となり、大ヒットを記録した。以後しばらくは、タミヤを中心としたボックスアートを描き続け(1961-1972)初期の「タミヤ」ブランドのイメージ作りに貢献した。その後キャラクタープラモデル作りに定評があった今井科学も「小松崎メカニカルアート」に着目した。当時のTV放映で話題になったサンダーバードのボックスアートを託すべく小松崎の弟子の高荷義之に仲介を依頼し、小松崎の了解を得て描かれた。基地から飛び立つ迫力ある箱絵は、1967年に発売された「サンダーバード2号」を空前の大ヒット・ブームをにする原動力となった。サンダーバードはシリーズ化され、殆どのボックスアートを小松崎が引き受けている。主役メカ以外のボックスアートにも必ず「サンダーバード2号」は描いて欲しいと今井科学の要望を受け入れ、すべての箱絵にそれが描き込まれた。当時の今井科学の1968年度売上げ目標20億を上回る26億円を達成するほどに人気を博した結果、他のメーカーからも依頼が殺到することとなった。
[編集] 箱絵の背景を消されたプラモデル
1970年以降、日本のプラモデル産業の成長に伴い、世界各国での需要がある戦車・飛行機・艦船模型輸出も活発に行われるようになった。それに伴い、精密さを増したボックスアートの背景に描かれた「箱に入っていない物」は輸出の障害となることが問題視される。輸出に力を入れ始めたタミヤでは、「背景には製品に含まれないアイテムは描かないこと」を、依頼先の画家・イラストレーターに厳命した。(主な輸出先のアメリカの消費者団体に配慮ということである)商品イメージを膨らませるダイナミックで「ドラマチックな背景・構図」小松崎路線から、「精密な資料性の高い箱絵」への転換が始まる。タミヤでのボックスアートは1971年、1/700ウォーターラインシリーズの駆逐艦が最後となった。以後、国内市場が主力の模型メーカー日東科学などの戦車AFVや、キャラクター・トイ向けのバンダイからの仕事が増え、アニメ・特撮物など小松崎の得意とする動きのある構図・背景を生かしたボックスアートを手がけた。
[編集] 生涯現役
晩年の小松崎は、筆を置くこともなくコンスタントに作品制作を続け、MIX-UP・CDジャケットやプレイステーション2のメタルギアソリッド2限定版付属冊子内イラスト(これが商業イラストとしては最後の作品となった)など多方面に活躍した。足腰こそ弱っていたが語り口は明瞭であり、インタビューを受けると2時間以上延々と喋り続けるというパワフルで人懐っこいキャラクタの持ち主だった。兵器イラストを数多く手掛けたため軍国主義的と批判されることもあったが、彼自身は兵器の機能美・造形美を愛しているだけである。何より戦争体験者として戦争を忌み嫌い、一貫して反戦と平和を訴え続けていた。
画家、そしてイラストレーターとして力を尽くし、昭和生まれの少年達に近未来やメカニック世界の素晴らしさの夢を伝えてきたが、2001年12月7日、心不全で死去した。享年86。
[編集] アニメ化された原作作品
近年の小松崎作品再評価の流れで、2006年7月小松崎作品の原点『地球SOS』がアニメ化された。『Project BLUE 地球SOS』の題名で、小松崎のメカデザイン・物語の世界観は現代風にリメイクされている。CS放送SKY PerfecTV!のAT-Xで6話放送され、DVDも発売された。更に翌年には地上波でも放送されている(この時は各話を前後編に分割して放送)。
[編集] 映画化された小松崎メカデザイン
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 伊藤秀明、柿沼秀樹共同編集『サンダーバード・プラモデル大全』 双葉社 ISBN 4-575-29893-X
- 田宮俊作『田宮模型の仕事』文庫本 文春ネスコ ISBN 4167257033
- 小松崎茂『地球SOS―超特作科学冒険物語』双葉社 ISBN 4575294845
- 根本圭助『異能の画家 小松崎茂―その人と画業のすべて』 光人社 ISBN 4769822766
- 平野克己編『小松崎茂 プラモデル・パッケージの世界』 大日本絵画刊 1999年5月発行 ISBN 4499226961
[編集] 外部リンク
- komatsuzaki.net:公式ページ
- 昭和ロマン館 小松崎茂の世界:資料常設展示館・千葉
- 「Project BLUE 地球SOS」公式サイト:小松崎茂原作のアニメ化
- mix-up小松崎CDジャケット
- 少年画報社公式HP 冒険活劇文庫→少年画報に改題、1948年-1971年までの創刊から休刊に至ったエピソード。
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