小笠原満男
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小笠原 満男(おがさわら みつお、1979年4月5日 - )は、日本のサッカー選手。ポジションはMF。日本代表にも頻繁に選出され、常に冷静沈着なプレーで攻撃を組み立てるキーマン。以前は常陽銀行(本店:水戸市)のイメージキャラクターを務めていた。2006年8月28日、Jリーグの鹿島アントラーズからイタリア セリエAのFCメッシーナにレンタル移籍。
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[編集] 経歴
1995年、岩手県立大船渡高等学校に入学。U-16(16歳以下)で日本代表に初招集される。
1997年、第76回高校サッカー選手権に大船渡高校の選手として出場し、ベスト16に駒を進める原動力となる活躍で大会優秀選手に選出され、注目を集める。日本代表(高校選抜)の選手として、第58回ベリンツォーナ国際ユース大会等に出場。
1998年、鹿島アントラーズに入団。4月15日、対ガンバ大阪戦でJリーグデビューを果たす。U-19日本代表に選出され、AFCユース選手権に出場し、準優勝。
1999年5月5日、対ジュビロ磐田戦でJリーグ初得点を記録。U-20日本代表として、FIFAワールドユース選手権に出場、準優勝。U-22オリンピック代表にも選出されるが、本番では落選した。
2000年のJリーグ、鹿島アントラーズが史上初の3冠を達成。この年のチャンピオンシップ(VS横浜F・マリノス)、天皇杯における活躍が評価され、MVPに選出されるなど、3冠達成の大きな原動力となった。
2001年元日の天皇杯決勝(VS清水エスパルス)では、先制ゴールと延長前半にVゴールを決めた。最終スコア3v-2。
この試合の先制ゴールは、清水ゴール前の直接FK。公式戦における21世紀最初の記念すべきゴールであったが、清水の選手が主審のプレー再開のサインを見逃していた為、DFの壁が完全に出来上がる前に蹴り込んでゴール。GKの真田は一歩も動かず、シュートを見送るのみ。清水の選手達は当然ゴールは無効だと思い込んでいた為、後に議論になったが、小笠原の判断は正しかったといえる(同様のプレーは欧州などでもよく見られるものである)。
2002年3月21日、対ウクライナ戦でA代表デビュー。22歳で日韓ワールドカップにも選出されたが、第3戦・対チュニジア戦へ6分間出場したのみに終わった。
2004年2月7日、キリンチャレンジカップ対マレーシア戦で、代表初ゴールを決める。
2005年のワールドカップアジア最終予選では、北朝鮮戦、バーレーン戦と貴重な得点をあげるなど、際立った活躍をした。
2006年2月18日、キリンチャレンジカップ対フィンランド戦に出場し、後半12分に日本陣内から約58m(滞空時間4秒)の超ロングシュートを決め、後世に残るスーパーゴールを記録した。2006年6月、26歳で自身2度目のワールドカップとなるドイツワールドカップ日本代表に選出された。背番号は8。グループリーグの第2戦、対クロアチア戦と、第3戦の対ブラジル戦に出場したが、2敗1分で決勝リーグ進出はならなかった。
2006年8月、イタリア セリエAのFCメッシーナへ10ヶ月(2007年6月まで)のレンタル移籍を発表。満を持しての海外挑戦となる。当初、背番号は16が用意されていたが、背番号8のマルコ・アンドレ・ゾロ・クポロの移籍により、背番号8でプレイすることが決まったが、開幕直前にマルコ・アンドレ・ゾロ・クポロの残留が決まり、結局背番号16のまま開幕を迎えた。
2006年9月20日、対レッジーナ戦の後半8分、セリエAデビューを果たした。同年10月21日のエンポリ戦でセリエA初ゴールを記録。
なお、余談ではあるがJリーグのベストイレブンを2001年から2005年まで5年連続で受賞していた小笠原は、まさにJリーグの代表とも言える選手であり、年齢としてもサッカー選手としては全盛期にあたる時期にいる。そのため、世界トップリーグの一つであるセリエAで活躍出来るか否かについては、Jリーグのレベルを確かめるという観点から見ても非常に注目され、活躍が期待されていた。しかし、2006-2007シーズン第7節に移籍後初ゴールを記録するも、その後出場のチャンスに恵まれることが少なくなり最近ではほとんどがベンチ外という苦行を強いられ、このシーズンでの退団が決定的となっており、現在代理人が移籍先を探している。
[編集] プレイスタイル
いわゆるトップ下のポジションを本職とする選手。身体は決して大きくないが、突出した足技と抜群のキープ力、そして視野の広さを武器に、切れ味鋭いスルーパスをFWの選手に供給する、ゲームメーカーである。怪我などでコンディションが思わしくないときはボランチに下がり、後ろからゲームを組み立てるいわゆるレジスタの役割を果たしている。Jリーグでは常にアシストランキングの上位にいた。また、正確なフリーキックも魅力。最近では曲げるボールより落とすボールに力をいれており、精度・威力ともにますます磨きがかかってきた。攻撃的な選手であるが、献身的な守備も持ち味のひとつ。以前は精神面で未熟さが見られたが、鹿島ではキャプテンを務め、チームでは絶対的な信頼を得ていた。
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会など
- AFCユース選手権
- FIFAワールドユース選手権
- 第58回ベリンツォーナ国際ユース大会
- ニューイヤーユース
- シドニーオリンピックアジア予選
- 2002年 FIFAワールドカップ KOREA/JAPAN
- 2003年 東アジアサッカー選手権
- 2003年 FIFAコンフェデレーションズカップ2003
- 2004年 アジアカップ
- 2005年 FIFAコンフェデレーションズカップ2005
- 2006年 FIFAワールドカップGERMANY2006
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 53試合 7得点(2002-2006)
年度 | 試合 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|---|
出場 | 得点 | ||
2002年 | (13) | 8 | 0 |
2003年 | (16) | 8 | 0 |
2004年 | (22) | 12 | 2 |
2005年 | (20) | 15 | 4 |
2006年 | (19) | 10 | 1 |
通算 | 53 | 7 |
[編集] 主な受賞歴
- 1998年 第76回 全国高等学校サッカー選手権大会 大会優秀選手
- 2001年 Jリーグ ベストイレブン、AFC1月月間最優秀ゴール賞
- 2002年 Jリーグ ベストイレブン、ナビスコカップMVP
- 2003年 Jリーグ ベストイレブン
- 2004年 Jリーグ ベストイレブン
- 2005年 Jリーグ ベストイレブン
[編集] 個人成績
年度 | チーム | リーグ | 背番号 | リーグ戦 | カップ戦 | 天皇杯 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1部 | 2部 | ||||||||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
1998年 | 鹿島 | J | 27 | 5 | 0 | - | 0 | 0 | 2 | 1 | |
1999年 | 鹿島 | J1 | 27 | 15 | 4 | - | 5 | 0 | 1 | 0 | |
2000年 | 鹿島 | J1 | 17 | 28 | 3 | - | 5 | 2 | 5 | 4 | |
2001年 | 鹿島 | J1 | 8 | 24 | 7 | - | 3 | 0 | 3 | 2 | |
2002年 | 鹿島 | J1 | 8 | 27 | 4 | - | 3 | 1 | 5 | 0 | |
2003年 | 鹿島 | J1 | 8 | 27 | 7 | - | 3 | 1 | 4 | 0 | |
2004年 | 鹿島 | J1 | 8 | 28 | 7 | - | 2 | 0 | 3 | 0 | |
2005年 | 鹿島 | J1 | 8 | 30 | 11 | - | 0 | 0 | 2 | 0 | |
2006年 | 鹿島 | J1 | 8 | 20 | 3 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |
2006/07年 | メッシーナ | セリエA | 16 | - | - | - | |||||
通算 | Jリーグ | 204 | 46 | - | 21 | 4 | 25 | 7 | |||
セリエA | - | - | - |
[編集] 関連項目
FCメッシーナ - 2006-2007 |
---|
3 ミネッティ | 5 デ・ヴェッツェ | 6 オロルンレケ | 7 ダ・シルバ | 8 ゾロ | 9 リガノ | 10 イリエフ | 11 ディ・ナポリ | 13 レア | 15 フェルラ | 16 小笠原 | 17 マジエッロ | 18 フロッカーリ | 19 パリージ | 20 コルドバ | 21 アルバレス | 24 コッポラ | 27 ザンキ | 31 モレッロ | 41 スッロ | 77 ラベッキア | 86 ゴムジ | 88 カリオーニ | 不明 ユリアーノ | 監督 ジョルダーノ | |
日本代表 - 2006 FIFAワールドカップ | ||
---|---|---|
1 楢崎正剛 | 2 茂庭照幸 | 3 駒野友一 | 4 遠藤保仁 | 5 宮本恒靖 | 6 中田浩二 | 7 中田英寿 | 8 小笠原満男 | 9 高原直泰 | 10 中村俊輔 | 11 巻誠一郎 | 12 土肥洋一 | 13 柳沢敦 | 14 三都主アレサンドロ | 15 福西崇史 | 16 大黒将志 | 17 稲本潤一 | 18 小野伸二 | 19 坪井慶介 | 20 玉田圭司 | 21 加地亮 | 22 中澤佑二 | 23 川口能活 | 監督 ジーコ |
日本代表 - 2002 FIFAワールドカップ | ||
---|---|---|
1 川口能活 | 2 秋田豊 | 3 松田直樹 | 4 森岡隆三 | 5 稲本潤一 | 6 服部年宏 | 7 中田英寿 | 8 森島寛晃 | 9 西澤明訓 | 10 中山雅史 | 11 鈴木隆行 | 12 楢崎正剛 | 13 柳沢敦 | 14 三都主アレサンドロ | 15 福西崇史 | 16 中田浩二 | 17 宮本恒靖 | 18 小野伸二 | 19 小笠原満男 | 20 明神智和 | 21 戸田和幸 | 22 市川大祐 | 23 曽ヶ端準 | 監督 トルシエ |
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