出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曽ヶ端準 |
名前 |
愛称 |
ソガハタ |
カタカナ |
ソガハタ ヒトシ |
ラテン文字表記 |
SOGAHATA Hitoshi |
基本情報 |
国籍 |
日本 |
誕生日 |
1979年8月2日 |
出身地 |
茨城県 |
身長 |
187cm |
体重 |
80kg |
血液型 |
B型 |
選手情報 |
在籍チーム |
鹿島アントラーズ |
ポジション |
GK |
背番号 |
21 |
利き足 |
右足 |
代表歴 |
キャップ |
4 |
得点/失点 |
0 |
|
■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
曽ヶ端準(そがはた ひとし、1979年8月2日 - )は茨城県出身のプロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。鹿島アントラーズ所属。元日本代表選手。
[編集] プレイスタイル
キーパーに要求される全ての要素において、水準以上の能力を持つ。楢崎正剛や川口能活をも上回る身体能力を持ち、また反応が素早いため、その守備には安定感がある。
[編集] 所属チーム
- 1986年 - 1991年 波野サッカー少年団
- 1992年 - 1994年 鹿島中学校
- 1995年 - 1997年 鹿島アントラーズユース(鹿島高校卒業)
- 1998年 − 現 在 鹿島アントラーズ
[編集] 経歴
ユース代表として、FIFAワールドユースU-17選手権(1995)とアジアユースU-19選手権(1998、タイ)に参加。
2000年からA代表としてプレーしている。国際Aマッチデビュー戦となったイタリア戦ではGK2名の怪我により出番が回ってきた格好となったが、落ち着いたプレーを披露し高い評価を得た。2002年日韓W杯ではメンバーとして選ばれるも控えに終わった。アテネオリンピックでは山本昌邦五輪監督から小野伸二(フェイエノールト)と共にオーバーエイジ枠で選出された(所属は当時のもの)。しかし、本番ではハイボールの処理などまずい守備を露呈し、決勝トーナメント進出は叶わなかった。
- リーグ戦デビュー 1999年5月8日 アビスパ福岡戦
- リーグ戦初完封試合 1999年5月8日 アビスパ福岡戦
- 国際Aマッチデビュー 2001年11月7日 イタリア戦
- 国際Aマッチ初完封試合 2002年4月29日 スロバキア戦
[編集] 個人タイトル
[編集] 個人成績
年度 |
チーム |
リーグ |
背番号 |
リーグ戦 |
カップ戦 |
天皇杯 |
J・J1 |
J2 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
1998年 |
鹿島 |
J |
29 |
0 |
0 |
- |
0 |
0 |
0 |
0 |
1999年 |
鹿島 |
J1 |
28 |
4 |
0 |
- |
0 |
0 |
0 |
0 |
2000年 |
鹿島 |
J1 |
28 |
2 |
0 |
- |
3 |
0 |
1 |
0 |
2001年 |
鹿島 |
J1 |
21 |
21 |
0 |
- |
6 |
0 |
2 |
0 |
2002年 |
鹿島 |
J1 |
21 |
30 |
0 |
- |
3 |
0 |
5 |
0 |
2003年 |
鹿島 |
J1 |
21 |
30 |
0 |
- |
5 |
0 |
4 |
0 |
2004年 |
鹿島 |
J1 |
21 |
27 |
0 |
- |
6 |
0 |
3 |
0 |
2005年 |
鹿島 |
J1 |
21 |
34 |
0 |
- |
4 |
0 |
3 |
0 |
2006年 |
鹿島 |
J1 |
21 |
22 |
0 |
- |
3 |
0 |
4 |
0 |
2007年 |
鹿島 |
J1 |
21 |
|
|
- |
|
|
|
|
通算 |
170 |
0 |
- |
30 |
0 |
22 |
0 |
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会など
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 4試合 0得点(2001-2003)
年度 |
試合 |
国際Aマッチ |
出場 |
得点 |
2001年 |
(13) |
1 |
0 |
2002年 |
(13) |
1 |
0 |
2003年 |
(16) |
2 |
0 |
通算 |
4 |
0 |
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク