山本寛
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山本寛
- (やまもと ゆたか)は、アニメ演出家。本項で記述。
- (やまもと ひろし、1957年2月28日 - )は、青山学院大学の教授。青山学院大学による教員紹介ページ
- (やまもと ひろし、1947年5月10日 - )は、サンケイアトムズ(現・東京ヤクルトスワローズ)の投手。1965年に愛知高からドラフト2位で入団するも、2年で引退した。
- (やまもと ひろし、1937年3月5日 - )は、東京俳優生活協同組合所属の俳優。NHK大河ドラマ『草燃える』などに出演。公式プロフィール
山本 寛(やまもと ゆたか、1974年9月1日 - )はアニメーション演出家。アニメーションDo所属。大阪府出身。京都大学文学部卒。「ヤマカン」の愛称で知られる。
京都大学ではアニメーション同好会に所属し、自身でメガホンを取った自主制作映画『怨念戦隊ルサンチマン』を製作。細かな演出などで話題を集める。また大学の卒業論文の題材に『新世紀エヴァンゲリオン劇場版』『もののけ姫』を取り上げたアニメーション論を選び、卒業した。
卒業後は京都アニメーション本社に入社。デジタル映像開発室勤務を経て、同社の大阪スタジオであるアニメーションDoに移籍。『週刊ストーリーランド』の演出でデビューし、シンエイ動画のテレビシリーズで早くもその手腕が注目される。それ以降各話演出・脚本を主に手掛けるようになる。『ジャングルはいつもハレのちグゥ』を演出した際は独特の演出センスによって、監督の水島努から武本康弘と共に仮想敵扱いされ、「あいつらより面白いものを作らないと監督としての立場が危ない」と言わしめた。これにより、シリーズ完結までシンエイ側と京アニ側の対抗を繰り広げる形になった。その山本も、水島が演出し、大塚正実らが作画を担当した『ジャングルはいつもハレのちグゥ デラックス』のエンディングである「ファンファン&シャウト」に強い影響を受け、『涼宮ハルヒの憂鬱』のエンディングを作るキッカケを与えた。
アイドル好きでも知られており、自身が演出を手掛けた『涼宮ハルヒの憂鬱』エンディング『ハレ晴レユカイ』にもその影響が垣間見える。『涼宮ハルヒの憂鬱』でのアイドル研究部員「山根」(アニメオリジナルキャラ)は、京アニサイト制作日誌5月11日の発言および外観上の特徴から、彼がモデルと推定される。涼宮ハルヒの憂鬱TV第一話「朝比奈ミクルの冒険」で用いられた強烈な電波ソング『恋のミクル伝説』は彼が作詞を手掛けている。また、『涼宮ハルヒの憂鬱』の番組CMでは、電車の乗客役で出演している。
作曲家の神前暁(『涼宮ハルヒの憂鬱』音楽担当)は、高校・大学の同期生(ちなみに、京都アニメーションに所属するマネージャーの村元克彦(『涼宮ハルヒの憂鬱』第4・6話脚本)も大学の同期生で、前述の自主映画に参加している)。また、関西の映像サークル「スタジオ枯山水」にも所属しており、自主制作映画にも関わっているが、最近は本業が忙しいため、一歩引いている様子。同サークルのホームページには「妄想ノオト」という彼が持つコーナーがあり、そこでは歯に衣着せぬ映画評論を行なっている。
バンドでドラムを担当していたことがあり、これが『涼宮ハルヒの憂鬱』第12話ENOZ演奏シーンでのドラム演奏描写への異常なこだわりに繋がっている。高校時代は神前暁とともに吹奏楽部に所属しており「史上もっとも偉大なOB(C)鳥坂先輩」として君臨しているとの噂もある。クラシック音楽ファンであり『涼宮ハルヒの憂鬱』劇中でのクラシック音楽選曲には彼が一枚噛んでいる。
[編集] 作品リスト
- Dancing Blade かってに桃天使! デジタル制作・撮影
- ジャングルはいつもハレのちグゥ (TV&OVA:2001~2004年)演出
- あたしンち (2002年)演出
- フルメタル・パニック? ふもっふ (2003年)演出
- MUNTO ~時の壁を越えて (2005年)演出補佐
- AIR (2005年)演出
- フルメタル・パニック! The Second Raid (2005年)脚本・演出
- 涼宮ハルヒの憂鬱 (2006年)シリーズ演出・脚本・エンディング演出・劇中歌作詞
- Kanon (2006年)演出
- らき☆すた (2007年)監督
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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