川又米利
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川又 米利(かわまた よねとし、1960年8月4日 - )は、元プロ野球選手(一塁手、外野手)。左投左打。現在は野球解説者。東京都調布市出身。
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[編集] 来歴・人物
早稲田実業学校(王貞治は先輩)で通算4回甲子園大会に出場。1979年にドラフト外で中日に入団。1985年から1987年には右翼手のレギュラーを務めた。美しいバッティングフォームに定評があった。町田公二郎に次ぐ代打本塁打16本(大島康徳に並ぶ)のセ・リーグ記録を持つ。ナゴヤドームが完成した1997年に引退。
2002年から2004年に中日のコーチを務め、2005年から再び東海ラジオ放送、中京テレビ、中日スポーツの野球解説者。マスターズリーグ名古屋80D'sersの選手としても活躍している。
2007年、名古屋市で社会人野球のクラブチーム「NAGOYA23」を結成し、総監督に就任。
1988年のシーズンは星野仙一監督の二年目で何かと鉄拳制裁が話題になっていた当時だったが、ある試合で川又がチャンスでタイムリーヒットを打った時に、(相手の守備にエラーなどあり十分に2塁に進めるチャンスがあった筈だったが)1塁ベース上で味方のランナーのホームインに見とれてしまい、その走塁の怠慢さに星野がベンチで猛激怒し、ベンチ内の扇風機を叩き壊してしまい、その光景を1塁ベース上で見た川又は喜びから顔面蒼白になった。というシーンがよく珍プレーで出てきた。
現役時代の川又の応援歌は、現在は中日のチャンステーマになっている(歌詞は一部変更されている)。因みに初期の頃は「ウルトラマン」の曲を原曲としたもので、爆風スランプのヒット曲「Runner」を原曲としたものもあった。
[編集] 解説者時代のエピソード
1997年に引退後(2002年~2004年までのコーチ時代を除く)中京テレビと東海ラジオ放送の解説を務めているが、川又は長嶋茂雄の大ファンで日本テレビの長嶋引退記念特別番組に観客の一人として出演していたほど。(引退した1974年当時中学生だった。)その映像が引退後初のレギュラー番組ズームイン!!朝!で取り上げられると「う~ん、中日にも優勝してほしいが・・・長嶋さんのことを考えると巨人にも優勝してほしい・・・。」と発言。コンビを組んでいた中京テレビの佐藤啓アナが慌てて「何言ってるんですか!!中日が優勝でしょ!!」と突っ込まれた。その後もMCの福澤朗から「長嶋さんに優勝させたいですね!?」て突っ込まれ「う~ん」と優柔不断になってしまっていた。(もちろん、現役時代の当時の巨人監督は長嶋である。)優柔不断になるほどの長嶋ファンである。
[編集] その他のエピソード
自身の現役時代の応援歌は今もなお、ドラゴンズのチャンステーマとして使用されている。ちなみに昔は東京ドーム限定だったが、今は(神宮球場(太鼓が使えないため)を除き)どこの球場でも使われている。
井端弘和を研ナオコに紹介したのは、川又との事である(『榊原郁恵のおしゃべりパーク歌うリクエスト』最終回より)。
[編集] 通算成績
- 1415試合 打率.266(2897打数 771安打) 74本塁打 364打点 23盗塁
[編集] 現在の出演番組
- PRIDE&SPIRIT 日本プロ野球(巨人-中日戦中継時に登場するほか、巨人-中日戦が東京ドームで開催される際、トップナイターの解説者として出演することがある。)
- スポーツスタジアム
- 東海ラジオ ガッツナイター
- J SPORTS STADIUM(制作協力が東海テレビの場合のみ登場)