托鉢
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托鉢(たくはつ、Skt : pindapata)とは、仏教やジャイナ教を含む古代インド宗教の出家者の修行形態の1つで、信者の家々を巡り、生活に必要な最低限の食糧などを乞い、信者に功徳を積ませる修行。乞食行(こつじきぎょう)、頭陀行(ずだぎょう)、行乞(ぎょうこつ)とも。
目次 |
[編集] 概要
古代インドの宗教では、出家者は一般に所有欲を否定するために、三衣一鉢の最低限の生活必需品しか所有しないほか、修行に専念するために農業などの生産活動には従事しない。従って、出家者が生存するためには身体を維持させるために最低限の食料を出家者以外から調達する必要があり、そうした状況下から、普段、山地や森林で修行し、その他の人々とは関わることが少ない出家者と、町村で生活している信者との間に托鉢による交流関係が発生した。
仏教やその他古代インド宗教の修行者への呼称の1つである阿羅漢(あらかん)はサンスクリット語のArhatの音写語であるが、その意味は漢訳の「応供」(おうぐ)が示す通り、「供養を受けるにふさわしい人」であるほか、比丘(びく)もサンスクリット語のbhiksuの音写語であり、その意味は「乞う人」である。
しかしながら、その一方で「食物を乞うだけの人」(pindola)は、在家の人々から卑俗な人々として見られていた。従って、同一の行動形態であっても、出家者としての風格を備えていない者は、在家信者から供養されなかった。
[編集] 仏教での托鉢
古代インド宗教の1つである仏教でも、托鉢は取り入れられ、東南アジアの上座部仏教では、2006年現在も托鉢を行っている。現在では、托鉢は毎朝行われ、教団に持ち帰ったそれらの食物は、担当者によって全員に平等に分配される。
『法句経』にはバラモンが托鉢に来た釈迦に論戦を挑んで逆に感化され、在家信者となった逸話が収録されている。
[編集] 日本での托鉢
日本へも托鉢は中国(・朝鮮半島)から仏教の伝来と共に伝わった。奈良時代には行基などによって河川の堤防やため池、井戸などの社会インフラの整備や大仏建立のための勧進という、チャリティとしての意味合いでも托鉢は行われるようになった。
こうした場合の托鉢には資金集めのほかに広報的な意味合いも含まれていたため、自己の周辺地域だけではなく、遠隔地に至るまで行われるようになった。
このような遠隔地に及ぶ托鉢は、やがて平安時代末期の空也などの聖(ひじり)と呼ばれる遊行者による浄土教の布教活動に繋がっていった。
現在の托鉢には集団で自派の檀家の家々(近隣に限らない)を訪問する形態と、個人で寺院の門前や往来の激しい交差点に直立して移動せずに喜捨を乞う形態がある。
托鉢では、道路交通法に基づく警察署の道路使用許可は不要というのが通説となっている。
このような日本の仏教における托鉢が本来の目的から外れるようになったのは、日本を含む東アジアに広まった大乗仏教では上座部仏教とは異なり、物品の所有を禁止しておらず、その結果として寺院が寄進された荘園等を運営し、その小作料等で寺院を維持する事が可能となったため、維持を目的とした托鉢を行う必要がなくなった事による。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
[編集] 参考文献
- pindolagaと古代インドの托鉢観(河崎豊、印度学仏教学研究51-1、2002年)
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