支那
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支那(しな)は、中国または「中国の一部」をさして用いられる、王朝や政権の変遷を越えた、国号としても使用可能な、固有名詞の通時的な呼称。
本来、差別用語ではないが、差別語的に使用された時代があったため、差別語とみなされる場合もある。
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概要
用法
中国では、世界の中に中国を客観的に位置づける場合に「支那」の呼称が学者の間で広く永く使われていた。早くから異文化に学んだ仏教徒の間では特にその傾向が顕著である。また清の末期(19世紀末 - 1911年)の中で、漢人共和主義革命家たちが、自分たちの樹立する共和国の国号や、自分たちの国家に対する王朝や政権の変遷をこえた通時的な呼称を模索した際に、自称のひとつとして用いられた一時期がある。
日本では、伝統的に漢人の国家に対し「唐」や「漢」の文字を用いて「から、とう、もろこし」等と読んできた。明治政府が清朝と国交を結んでからは、国号を「清国」、その国民を「清国人」と呼称した。学術分野では、伝統的には「漢」の文字をもちいて「漢学」「漢文」等の呼称が用いられてきたが、明治中葉より、漢人の国家やその文化に対して「支那」が用いられるようになった。ただし「漢人」「漢民族」の定義は不確定であり、近代においては国民国家概念の普及とともに「漢字文化圏からベトナム人・朝鮮人・日本人を除いた人々」という方向に収斂しつつある。
辛亥革命によって成立した共和国が「中華民国」を国号として採用したのに対し、日本政府は「『中華』には自尊自大の気がある」としてこの国号を嫌い、中国政府と締結する条約の文面など、正式呼称を用いることが不可欠な場合を除き、この共和国に対する呼称を「支那共和国」と称することを定めた。以上の結果、日本における「支那」という呼称は、以下の二つの概念に対する呼称として使用されることになった。
2.の「中華民国」という国家に対する呼称としては、すでに第二次大戦中、汪精衛政権への配慮から「支那共和国」にかえて「中華民国」を用いるべきとされ、さらに1946年、あらためて外務省より「中華民国」を用いるよう通達がだされた。
一方、中国では、辛亥革命以前の共和主義運動のなかでは、漢人民族主義や、清朝の領土のうち漢人の土地の部分のみを領土とする国家を追求する主張もみられたが、1911年以降、実際に共和政権が樹立されるにあたっては、モンゴル、チベット、東トルキスタン、満州などを含む、清朝の遺領をそのまま枠組みとする領域が領土として主張され、また「中国」という多民族国家がこの領域を単位として古来から一貫して存在してきたという歴史認識が採用されることになった。その結果、この「中国」の一部分である漢民族の土地だけに対し、ことさら「王朝や政権の変遷をこえた国号としても使用可能な通時的な呼称」を別途つけることは行われなかった。すなわち、中国においては上記1, 2のうち、1.の用法でもちいられる「支那」と置換可能な呼称も概念もつくられることなく現在にいたっている。
言葉の由来と歴史
支那という言葉は、インドの仏教が中国に伝来するときに、経典の中にある中国を表す梵語「チーナ・スターナ」を当時の中国人の訳経僧が「支那」と漢字で音写したことによる。「支那」のほか、「震旦」「真丹」「振丹」「至那」「脂那」「支英」等がある。
チーナとは中原初の統一王朝秦(拼音: Qín, 梵語: Thin・Chin, ギリシャ語・ラテン語:Sinae)に由来するとされるが、諸説ある。
日本においては、江戸時代初期より、世界の中に中国を位置づける場合に「支那」の呼称が学者の間で広く使われていた。これは中国における古来の「支那」用法と全く差がない。江戸後期には「支那」と同じく梵語から取ったChinaなどの訳語としても定着した。特に明治期以降、歴代の王朝名(例:漢、唐、清)とは別に、地域的呼称、通時代・王朝的汎称としての中国大陸の名称を定めることが必要であるという考えかたが一般的となり、従来「漢」「唐」などで称していたものを「支那」と言い換えることが行われた(例:「漢文学」→「支那文学」)。
日本人が中国人の事を支那人と呼ぶようになったのは江戸時代中期以降、それまで「唐人」などと呼んでいた清国人を「支那人」と呼ぶべきとする主張が起こり、清国人自身も自らのことを「支那人」と称した事に因む。また、日清戦争辺りから以降は中国に対する敵愾心が煽られ、他の蔑称と共に支那人との呼称が一般化していき、日本人にとってはそれらのもののうちではましなものという意識を持つものが現れるまでに至った。
当時は、日本が「支那」と呼んでいた国家や地域の固有名詞として中国と呼ぶという認識が普及しておらず、中国人と自称することは原義通り自尊自大の表現であったから、不都合が生じ、自分の出自を対等の立場で理解してもらう為に自ずと支那人や支那という言葉を使用したわけである。
戦前・戦中は中国人を日本人より下等な存在とみなすような意識もあり、「支那」が差別的ニュアンスで使用される場合もあったが、「支那」自体が差別語であったわけではない。しかし、戦後、中国人・台湾人が差別的ニュアンスで使われることもあったこの語への反撥を表明するようになってからは、差別語であるという認識が生じ、現代では、学術用語等や日本の一部の「嫌中」派が好んで用いる他は一般社会で使われることのない死語と化している。一部の「嫌中」派が「中国」を嫌い「支那」を使うのは、尊称である「中国」を使わないことで中国政府に対する嫌悪感を表明しようとする意図であると思われるが、ネット右翼などの場合はそれに止まらず、差別語・侮蔑語的に使われる場合も多い。いずれにせよ、現代日本では中華人民共和国は「中国」と呼ぶのが社会通念となっており、「中国」ではなく「支那」と呼んでいるのは主に一部の「嫌中」派や、下に示されるような学術界などだけである。
学術界における使用例
日本の歴史学は明治時代に産声を上げたが、「支那」は、中国のうちの華北、華中、華南を主たる国土とする漢民族の、王朝や政権の変遷を越えた、通時的な国号として使用された。東京大学や京都大学にもうけられた支那史専攻は、この漢人国家の歴史を研究対象とする専攻である。
日本の東洋史学界では、北アジアの遊牧民や中央アジア、西アジアは「塞外」というカテゴリーにくくられ、支那史とは別範疇に属していた。
清朝を打倒して成立した中華民国は、「シナ」だけでなく、その周辺のモンゴル、チベット、東トルキスタン等もその領土として主張したため、厳密にいえば、支那(シナ)と中国は、領域も住人も、その範囲には著しい相違がある。中国では、シナとその周辺の諸地域、諸民族が古くから一体の「中国」を形成してきた、という歴史認識を採用したため、シナの部分だけを指す、王朝や政権の変遷を越えた、通時的な国号を別途にもうけることはしなかった。
故に日本の東洋史学界では、第二次大戦以後、中華民国に対して理屈は抜きにして「支那」という呼称を使うべきでないという外務省通達がでたのちも、ながらく「支那」(シナ)という呼称が使用されつづけている人もいた。東京大学の榎木一雄は、その晩年にいたるまで、一貫して自身の用語としては「支那」の用語を用い続けた。1992年に朝日新聞社から刊行された地域からの世界史シリーズの第6冊、『内陸アジア』では、モンゴル史の専門家中見立夫が、上述の漢人国家と中国概念のズレについて考察したのち、
近代世界におけるモンゴル民族やチベット民族の歩みを跡づけると、「中国」という概念の問題がうかびあがる。これらの民族には、すくなくとも清朝崩壊の段階では、漢人が居住する地域といった意味での「中国」という言葉はあった。誤解をおそれずに書くならば、「シナ」(この場合、おおむねモンゴルやチベットはふくまれない)という地域概念はあった。しかし、漢人たちがいだくような、多民族の共同体、歴史的な存在としての「中国」という概念は欠如していた。
という文脈で「シナ」という語を使用している(「モンゴルとチベット」, p.156)。
しかし現在の中国研究に関する著作、歴史・文学・哲学いずれの分野においても「支那」ということばを使用することはほとんどない。史料中にあれば原文のまま引用することはあるけれども、研究者自身の文章にはほとんど全く使われないことに留意すべきである。
また、言語学界でも、中国という呼称は、「シナとその周辺の諸地域からなる多民族国家の呼称」であって、漢民族だけの固有の土地、言語等に冠することはできない、英語の「チャイナ」、ドイツ語の「ヒネーゼ」に対応する日本語の呼称は「支那(シナ)」であるという立場から、いわゆる中国語に対してシナ語と呼称する研究者もみられる。
このように、学術界における「支那(シナ)」の使用は、第一に、概念と用語に厳密であろうという学術的態度と、第二に、シナの部分だけを指す王朝や政権の変遷を越えた国号としても使用可能な固有名詞の呼称が存在しないこと等に起因するものであり、使用者たちの政治的立場と関連性があるわけではない。学術用語としての「支那(シナ)」は、代替語が生まれない限りは今後も使われていくであろう。
一般的なメディアに登場する言論人などで、これらの意見を述べ、実際に支那を使用することも多い人物に呉智英、高島俊男、小谷野敦、浅羽通明、石原慎太郎らがいる。
呼称への賛否
支那とチャイナ
支那はChina(チャイナ)と同じく単なる外国から中国を呼ぶときの呼称であって、江戸時代初期から1946年の外務省次官の通達まで日常的に使われてきており、中華民国との戦争当時に限って使われた呼称ではない。
中国自体、この呼称を忌避している。日本では、連合国軍占領下の(中華民国含む)1946年の外務省の次官の通達により、放送・出版物においては中国のことを支那とは呼ばないようにしている。ただし、この通達の適用範囲は「正式文書における国家としての「中華民国」への呼称」に限られており、中華人民共和国がその継承国家であるにせよ適応するのは問題があるし、国家名以外の歴史用語・地理用語、さらに公的文書以外の使用について適用させるのは明らかに拡大解釈である。また、通達文の中に「理屈は抜きにして」という、論理的な説得力が無いことを自ら認めるような表現があることも知られている。
「欧米がchinaと使っているのだから、日本もシナと言っていいはず」という主張への反論としては、言葉は文脈によってその意味を全く違えるのであって、日本語における支那と欧米の言語におけるchinaは全く意味が異なるという意見もある。ただし逆に言えば日本語の文脈上で支那を尊敬すべき呼称として使用されている例もある。
戦争当時
戦争当時の中国人の蔑称は「チャンコロ」や「ニーヤン」であり、「支那人」ではない。
ただし、支那という言葉は、日本が日清戦争や日中戦争時、中国(中華民国)を占領下に置いていた時代にも使っていた呼称であること、中国政府や中国人を非難・侮蔑するときにたびたびセットで使われたこと(「膺懲支那」「逃げるはシナ兵、山まで蹴っ飛ばせ」)、また日の丸・君が代・竹島・尖閣諸島などと共に、中国に対し否定的見解をもっている「嫌中」派が好んで用いるため、差別的な概念と考えられる。
「日中戦争以前からシナは使われており、言葉自体は差別的でなく、無色中立である」という主張への反論は、「言葉は時代とともに変化していくものであり、かつては中立であったものも、時代が変われば差別的になりうる」という反論がある。たとえば、座頭、つんぼ、めくら、キチガイなど。
中国
中国の「中」は自国の自尊の称である。日本書紀の中で、日本自身のことを「中国」と呼称しているのはそれゆえである。自国を尊称で呼ぶのはおこがましいと主張する人(一部の「嫌中」派)も日本にいるが、自分たちの土地・民族を尊称で呼ぶのは世界中共通したもの(大日本帝国、大韓民国、イギリス、イラン、スラブなど)である。もっとも、現代の日本人は中国を単に「中華人民共和国」の略称としてしか意識していない場合がほとんどであり、尊称であることを知らない人も多い。なお台湾に存在する中華民国も「中国」という通称も用いているが、中国といえば「中華人民共和国」を意味するのが今日の日本の通例である。
差別用語とされた背景
第二次世界大戦の日本の敗戦後は戦勝国中華民国政府からの呼称をめぐる圧力がかかり、1946年に日本の外務省の通達により日本の公務員、公的な出版物に「支那」呼称は禁止となるが、その理由は明らかにされていない。そしてその代わりに「中国」の呼称が一般化されるようになる。
日本での事例
現代の日本で「中華人民共和国」を指しての「支那」、「支那人」という言葉は半ば死語と化しており、一般的には中国、中国人という呼称に取って代わられている。「支那」という呼称は「嫌中」派の一部が使用しているため、中国に対し否定的見解を持っている者が使う言葉と認識されている。このような「嫌中」派の人たちは中国における漢民族を加害者、その他の少数民族を被害者とする認識から、「支那人」を漢民族に限定して使用することが多い。 学術用語や「支那そば(「中華そば」という言い換え語がすでに一般化している。また、「沖縄そば」を支那そばと呼称していた時期もあるが、これも今日ではほとんど使われない)」「東シナ海」等の、国家のことではなく地域のことを指す場合は用いられている場合もある。
中国人自身による事例
明治期に中国との国交が樹立された際、中国は清朝の統治下にあり、明治日本はこの国を清国と称し、その国民を清国人と呼んだ。19世紀の再末期より、共和主義運動がひろまるにつれ、中国人共和主義者たちの間で、清国、清国人という呼称は「満清の臣下」を意味するという理解から、清にかわる、いまだ存在しない自分たちの共和国の呼称についての模索が開始された。
そのような時、王朝や政権の変遷を越えた、国号としても使用可能な固有名詞の呼称のひとつとして古典の中から「支那」という呼称が見いだされ、一時期ひろく使用された。
たとえばもっとも早期から反清蜂起を繰り返してきた共和主義革命家孫文の前半生を紹介した宮崎滔天の『三十三年之夢』に孫文がよせた前書きでは、中国の呼称として、いくつかの名称とならんで支那の呼称が使用されている。
戦前は魯迅などの日本へ来る中国人留学生たちは、日本語の「支那」に拒否しなかったが、戦後、一般的には「満洲」などの用語同様にほとんど利用されることは無い。
その他
- Microsoft Windowsに使用されているMS-IMEや、ATOKなど一部の日本語入力システム(ことえり2は除く)では、出荷時に「支那」という単語が辞書登録されておらず、各自登録をしないと「しな」を「支那」に漢字変換出来ない。これについて、何らかの抗議があった、あるいは国際問題に巻き込まれるのを危惧した、などの噂がある。最近の携帯電話やパソコンの漢字変換辞書等では、最初から辞書登録がされているため、一部で行われているだけのようである。
- この他、戦後、中国からの輸入品の中にも支那を記した物が多い。これらは日本で記した物ではなく中国に於いて記され出荷された物で、シナチクなどが有名である。
- 一部の旅行会社や中核派等の政治勢力ではインドシナを「インドチャイナ」と呼ぶなど、読み替えを進めている。
関連項目
- 東シナ海
- 南シナ海
- 支那学 - かつてはこのような学術分野があった(シノロジー;de:Sinologie / pt:Sinologia / en:Sinology / eo:Ĉinologo / fi:Sinologia / zh:漢學)。現在は、中国学と称されるのが一般的である。
- シナントロプス・ペキネンシス - 北京原人 - 古人類学の呼称変更により、この学名は死語と化した
- シノワズリー
- ラーメン - かつてひろく「支那そば」と呼ばれ、現在でも支那そば屋というチェーンや、「支那そば」を商号に用いるラーメン店がある。
- 支那人
- 支那畜
- 中華思想
外部リンク