東洋史
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東洋史(とうようし)は東洋を広く扱った歴史であり東洋学の歴史分野のことである。ヨーロッパ語の「東洋史」(たとえば英語の「Oriental History」)の訳語であり、現在の日本語の慣例ではおおむねマグリブから日本にかけての北アフリカ、ユーラシア大陸および周辺諸島の歴史を扱う。
[編集] 日本における東洋史
日本における東洋史の成立は明治時代である。ヨーロッパにならった高等教育機関の設置の際、歴史学の分野は国史、東洋史、西洋史の三部門に分けられた。日本では漢学の中で中国、朝鮮など東アジア世界の歴史研究が行われており、これが近代的大学制度に包含されるときに東洋史に分類された。ここに日本における東洋史の複雑な性格が生まれることになる。すなわちヨーロッパ的意味合いをもつ「東洋史」と従来の日本の中国史を中心とする東アジア史の複合する歴史分野となったのである(ただし古代オリエントは古代ギリシア史の前史的扱いとなって、日本の東洋史の枠組みには入らず考古学や西洋史の枠組みに入ることが多い)。もちろん日本においては東アジア史研究の蓄積と人材が圧倒的に分厚く、インドや中央アジア、西アジア、北アフリカについては第二次世界大戦前までほとんど顧みられることなく、わずかにヨーロッパにおける研究が移入されるなど細々とおこなわれた過ぎなかった。結果的に東洋史とは中国史を中心とする非西洋、非日本の歴史分野全般を扱うものとなったのである。東京大学と京都大学及び、戦前の東方文化学院の東西2ヵ所の研究所の流れをくむ東京大学東洋文化研究所と京都大学人文科学研究所が研究の中心となってきた。代表的研究者に内藤湖南や白鳥庫吉、桑原隲蔵、羽田亨、宮崎市定などがいる。資料収集という面では世界最大規模の東洋学関連資料をもつ東洋文庫や京都大学人文科学研究所附属漢字情報研究センター(旧称・同 東洋学文献センター)が代表的である。
エドワード・サイードによるオリエンタリズム論の登場以降、「東洋」という枠組みが問題とされるに従って、日本でも「東洋史」は自明の存在とはみなされなくなった。従来「東洋史」として一括された歴史は東アジア史、東南アジア史、中央アジア史、西アジア史、北アフリカ史などの地理的地域史やイスラーム世界史、インド洋世界史、中央ユーラシア史のような概念的地域史の枠組みへと移行しつつある。もはや「東洋史」は学問的枠組みというより、大学における講座や学会名などで伝統的に引き継がれている名称となりつつあるといってよい。
しかしながらオリエンタリズム的問題点はあるが、日本での東洋史という広い枠組みは、各国史や狭い意味での地域研究へ集中しがちな研究者に広い視野を与えたことは積極的に評価できる。中国史を中心とする東洋史研究の訓練を受けつつ、西アジア・中央アジア方面に目を広げた前嶋信次、護雅夫らは、日本の中央アジア史やイスラーム研究の祖ともいえるべき存在となっている。このように日本の東洋史という枠組みは各国史に留まらない大きなスケールの歴史像の形成に貢献してきた。現在、日本が世界レベルの研究水準をもつ中央アジア史やモンゴル帝国史は、漢文史料と同時にペルシア語やアラビア語史料を用いる必要があるが、これらの史料を同時に扱える研究者が輩出されたのも日本における東洋史の複合性が関与していることは明かである。
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