有田芳生
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有田 芳生(ありた よしふ、1952年2月20日 - )は、京都府出身のジャーナリスト、タレント。血液型A型。京都府立乙訓高等学校、立命館大学経済学部卒業。
父は日本共産党京都府委員会副委員長であった 有田光雄で、その父から、 ヨシフ・スターリンに因んで芳生(よしふ)と名づけられる。
大学時代から日本共産党の熱心な活動家であった。上田耕一郎に兄事。1977年に日本共産党系の新日本出版社に入社し、雑誌『文化評論』などの編集者となる。市民運動と前衛党との広範な連帯を目指す立場から、小田実の東京都知事選挙擁立に奔走、これを機に党外に多くの人脈を持つようになる。その後日本共産党への好意的な立場からの批判として『日本共産党への手紙』の編集に携わる。この『日本共産党への手紙』が宮本顕治 - 不破哲三ラインから「利敵行為である」と批判されて査問を受け、除名にまでは至らぬものの1990年に除籍処分を受ける。
その後、フリージャーナリストとして『噂の真相』などで活動した後、『朝日ジャーナル』の霊感商法批判キャンペーンに参加。『週刊文春』での原理運動(「統一教会」)批判から新興宗教・カルト問題を扱うようになる。統一教会問題では“統一教会に詳しいジャーナリスト”の肩書きでしばしば出演し、批判本も多数書いて来た。「オウム真理教」問題では、江川紹子のピンチヒッターとしてテレビに出たところ、「オウム真理教」側から取材拒否をされたのをきっかけに、統一教会・オウム真理教に限らず、カルト問題全般の専門家とされるようになる。
「左」・リベラルの立場を取りながらも、一方で北朝鮮による日本人拉致問題に関わり保守系の人士とも繋がりがあるなど柔軟な姿勢を持つ。いたずらにメディアに露出することを避け、地道な取材活動を続けている。[1]。また、都はるみやテレサ・テンに関する長年の取材、著書があるなど芸能にも造詣が深い[2]。
趣味は水泳。酒豪としても有名である。
京都に行った際、同じコメンテーターの勝谷誠彦と間違えられた事がある。
[編集] 著書
- 日本共産党への手紙 (松岡英夫との共著 教育史料出版会 1990年6月 ISBN:9784876521869)
- 霊感商法の見分け方 (晩声社 1988年 2月 ISBN 9784891881719)
- 「神の国」の崩壊―統一教会報道全記録 (教育史料出版会1997年ISBN 4876523177
- 「幸福の科学」を科学する―大川隆法の宗教? (天山出版/大陸書房|1991年 10月 ISBN 9784803329063)
- 歌屋 都はるみ (講談社1994年 ISBN 9784062061575)
- 「コメント力」を鍛える (日本放送出版協会 2002年 11月発売 ISBN 9784140880470)
- 私の家は山の向こう―テレサ・テン十年目の真実 (文藝春秋2005年 3月 ISBN 9784163668406)
[編集] 註
[編集] 外部リンク
- 有田芳生の今夜もほろ酔い (公式サイト)
- 有田芳生の『酔醒漫録』 (公式ブログ)
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