東京方言
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東京方言(とうきょうほうげん)は、東京で話されてきた方言のこと。東京の山の手言葉を指す。
なお、江戸言葉(江戸弁、下町言葉)は東京の下町の言葉である。現在の東京では首都圏方言(新東京方言)が優勢で東京方言や江戸言葉は主に東京の古い住民に残っている。
東京方言は江戸時代に江戸の発展に伴い、西関東方言を基盤に、上方方言(関西方言)・中京方言{三河弁(三河国は征夷大将軍の徳川氏発祥の地)や名古屋弁(徳川御三家筆頭の地)}の要素が混合して成立したとされる。
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[編集] 特徴
他の東日本の方言に比べ、静岡方言、中京方言以西の西日本方言にある特徴を示す。
- 西関東方言・東関東方言・東北方言では意思・推量の語尾は「べ・べえ」だが、東京弁では意思を表す語尾が「う・よう」、推量を表す場合が「だろう」となり、「う・よう」は関西方言と共通し、「だろう」は関西方言の「やろう・やろ」が関東化したものと考えられる。例えば、西関東方言で「どこさ行くべ」と言うところが、東京弁では「どこへ行こう」「どこへ行くだろう」となる。
- 同意を表わす語尾でも、西関東方言では「べ・べえ」が使われ、「これだべ?」となるが、東京弁では「だろう・だろ」で、「これだろ?」となり、静岡弁の「ずら」・三河弁の「だら」・関西弁の「やろ・やろう」に類似する。
方向を示す格助詞が「へ」であるのも関西方言・中京方言などと共通で、西関東方言・東関東方言・東北方言の「さ」とは異なる。
一方、動詞の否定は「未然形+ない」が一般的で、「未然形+ん」が使われることはなく、これは東日本の他の方言と共通する。この形が使われるのは東海道で言うと静岡弁も含めそれ以西の方言である。
- 準備(じゅんび)、美術(びじゅつ)等を「じんび、びじつ」と発音する。これは北関東地域と共通すると思われる。従って「新宿」は「しんじく」であり、「党首討論会」が「闘士討論会」と聞こえる。
- 「ひ」と「し」の発音が混同して、潮干狩りを「ひおしがり」等と発音する。「羊」と「執事」、「熾烈」と「卑劣」が入れ替わってしまう事も(「ひ」が「し」になる傾向が強い。)。
- [ai](アイ)が[ɛ:](エー)になる。(例)「あまい」→「あめえ」、「よくない」→「よくねえ」
- [oi](オイ)も[ɛ:](エー)になる。(例)「おそい」→「おせえ」、「ふとい」→「ふてえ」
- 「してしまう」が「しちゃう」になる。
[編集] 山の手言葉
明治維新以降、当時の山の手地区で使われていたことば。標準語の規範とはなるが、敬語が非常に発達しているなどの特徴を持つ(例: 標準語「赤いです」=山の手言葉「赤うございます」)。
[編集] 下町言葉
江戸言葉を参照。
[編集] 現状
現在、共通語・標準語と呼ばれている言葉の大部分(全てではない)は東京方言をもとにしているとされる。
また、各地方から東京へ人が集まるため、学校で教育された共通語・標準語によって東京方言自体もかなりの影響を受けている他、むしろ標準語をもとに形成された首都圏方言が優勢にあるといえよう。たとえば、山の手言葉では形容詞の連用形にウ音便(例:痛う、危のう)が使われ、これに続く形容詞の丁寧形にも「ございます」が常用されるが(例: 痛うございます、危のうございます)、岡崎市(愛知県)(三河国)の言葉にもその傾向は見られる。江戸城の征夷大将軍が岡崎城主の徳川家康公を先祖とするためであるかもしれない。これらの用法は21世紀初頭現在マスメディアではそれほど使われず、現代の東京でも「痛いです」「危ないです」という標準語的な表現がよく使われるようになっている。