東祥三
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東 祥三(あずま しょうぞう、昭和26年(1951年)5月1日 - )は、平成期の日本の男性政治家。元衆議院議員(4期)。東京都新宿区出身。
生年月日 | 昭和26年(1951年)5月1日 |
---|---|
出生地 | 東京都新宿区 |
出身校 | 創価大学卒業 |
学位・資格 | |
前職・院外役職(現在) | 国際機関職員 |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
- |
世襲の有無 | |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
東京15区 |
当選回数 | 4回 |
所属党派(現在) | (公明党→) (公明新党→) (新進党→) (自由党→) 民主党(小沢グループ) |
党役職(現在) | - |
会館部屋番号 | - |
ウェブサイト | あずま祥三ホームページ |
[編集] 略歴
- 1951年 東京都新宿区に生まれ板橋区で育つ。
- 1975年 創価大学経済学部第一期生としてを卒業。
- 創価大学大学院を経て、1980年から8年間国際連合工業開発機関の職員や国際連合難民高等弁務官事務所の職員として活動。
- 1990年2月 第39回衆議院議員総選挙(東京6区)公明党から出馬し初当選し、以後連続当選4回。市川雄一書記長の下で副書記長に就任。
- 1993年 宮沢内閣への内閣不信任決議案の可決がきっかけの衆議院解散による第40回衆議院議員総選挙で自由民主党が過半数割れで政権交代が実現。8月の細川内閣の発足で羽田孜外務大臣の下で外務政務次官に就任。
- 1994年12月 公明分党から新進党の結成に参加。
- 1995年12月 新進党党首選では、旧公明党の権藤恒夫、二見伸明等と小沢一郎幹事長を支持。
- 1996年10月 衆院選に比例代表東京ブロックに新進党から出馬(比例第2位)で再選(選挙期間中に東は、学会員でありながら『私の政治の師・小沢一郎である』と公言。これに現役の創価学会員から反発を受ける)。
- 1997年 小沢党首の自民党との保保連合路線を巡り、旧公明党出身内でも親小沢派と反小沢派(神崎武法、冬柴鉄三、坂口力、草川昭三、太田昭宏)に分裂し、袂を別つ。
- 1998年1月 小沢党首が結成した自由党に権藤、二見、西博義、久保哲司、佐藤茂樹、谷口隆義、石垣一夫等と参加するも11月公明党の復活で西、久保、佐藤、谷口、石垣の5人が復党した。
- 1999年1月 小沢党首が小渕恵三首相との自自連立政権に合意した。10月自自に公明党が加わっての自自公連立政権に合意し河野洋平外務大臣の下で外務総括政務次官に就任。
- 2000年4月 小渕首相との党首会談で自由党が連立政権から離脱すると、連立維持派は離党して保守党を結成。このときは自由党に残留し、小沢一郎、藤井裕久らの連立離脱派と行動を共にする。
- 2002年9月 小泉純一郎首相が朝鮮民主主義人民共和国を訪問し金正日国防委員長が北朝鮮による日本人拉致を認めた事で西村眞悟と共に拉致問題に取り組む。
- 2003年9月 自由党は、民主党に合流する。11月、第43回衆議院議員総選挙で東京都第15区から出馬するも、出身の公明党は自民党の木村勉(当選)を支援し、また反公明をアピ-ルする柿沢弘治に苦戦し落選する。
- 2005年9月 返り咲きを目指した、第44回衆議院議員総選挙で東京都第15区から民主党公認で出馬するも、自民党の木村勉(当選)に大敗する。