松岡英孝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松岡 英孝(まつおか ひでたか、1937年10月14日 - )は、大阪・北陽高等学校野球部元監督で、元朝日放送高校野球解説者。高知県出身。
城東高等学校(現・高知高等学校)で1955年の夏の甲子園大会に出場しベスト8。卒業後は近畿大学を経て1960年に北陽高等学校に赴任、同時に野球部監督に就任。「高校野球は技術より精神力。闘志と忍耐無き者は去れ。」をモットーに、1990年に勇退するまで夏4回、春6回、計10回甲子園出場を果たし、1970年の春の甲子園大会ではチームを準優勝へ導く。
また「来る者は拒まず。」の方針で監督在任中は例年部員を200人以上抱えていたが、新1年生の顔写真をポケットアルバムに入れて顔と名前を覚えたり、選手一人一人と交換日記を行なうなどの細かい配慮のおかげか、不祥事らしい不祥事は起こさなかったそうである。他には武闘派の一面があったらしく、あの前田日明(北陽高卒業生)も恐れ慄いた武勇伝があるとかないとか。
1992年に松井秀喜の5打席連続敬遠が社会問題まで発展したが、松岡はその試合の解説をしていた。ちなみに、その試合の実況は植草貞夫であった。
[編集] 甲子園での成績
[編集] 関連項目
- 尾藤公(1979年の箕島高甲子園春夏連覇の影響で翌春、部員が急増したため、大所帯での指導法を松岡に教わった)
- 岡田彰布
- 和歌山県立箕島高等学校
- 愛知工業大学名電高等学校