武蔵御嶽神社
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武蔵御嶽神社(むさし みたけ じんじゃ)は、東京都青梅市(武蔵国多磨郡)にある神社。武蔵御岳山の山上に鎮座する。櫛真智命などを祀る。中世以降、山岳信仰の霊場として発展し、武蔵・相模に渡る信仰圏を獲得した。式内大麻止乃豆天神社という説があり、旧府社である。現在は神社本庁に属していない単立神社である。
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[編集] 概要
[編集] 由緒
社伝によると、崇神天皇7年に創建されたとされる。
[編集] 社名
明治までは御嶽大権現として知られていたが、神仏分離によって、大麻止乃豆天神社に改称した。これは当社が延喜式に載せられている「大麻止乃豆天神社」に比定されたためであるが、同様に大麻止乃豆天神社であると比定される神社が他にもあったため(稲城市大丸の大麻止乃豆乃天神社)、御嶽神社と改称した。1952年(昭和27年)に現在の武蔵御嶽神社に改称した。
[編集] 祭神
現在の主祭神は櫛真智命(くしまちのみこと)であるが、明治の神仏分離まで蔵王権現を祀っていた。
[編集] 歴史
[編集] 構成神社
- 本社
- 拝殿は五間社入母屋造の大き目の社殿で、朱塗りで鮮やかに彩られており、唐破風の向拝には彫刻がある。現在の本殿は一間社神明造で1877年(明治10年)に造営されたものであるが、1511年(永正8年)以前に造営された旧本殿は東京都指定有形文化財に指定されており、現在の常磐堅磐社社殿がそれである。
- 八柱社(やつはしら しゃ)は本社玉垣内にあり、本社の向かって左側に鎮座している。
- 本社玉垣内にあり、本社の向かって左側に鎮座している。社殿は一間社流造である。
- 巨福社
- 祭神:埴山姫命
- 本社玉垣内にあり、本社の向かって左奥に鎮座している。流造の小さな社殿が覆殿に納められている。
- 本社玉垣内にあり、本社の後方に位置している。社殿は神明造である。
- 大口真神社
- 祭神:大口真神
- 大口真神社(おおくちまがみ しゃ)は本社玉垣内にあり、神明社の後方に瑞垣に囲まれて鎮座している。御嶽神社の眷属である狼を祀っている。古くは神饌を供える台のみであったが、江戸時代末期に社殿が建てられた。現在の社殿は1939年(昭和14年)に建てられた一間社流造の社殿で豪華な彫刻が全体に施されている。社殿後方は奥宮遥拝所となっている。
- 常磐堅磐社
- 祭神:
- 常磐堅磐社(ときわかきわ しゃ)は本社玉垣内にあり、本社の向かって右奥に位置している。祭神は境内案内によると、崇神天皇・景行天皇・安閑天皇・清和天皇と狭依比売神ほか96柱とあるが、神社頒布物によると、諸国一宮祭神となっている。前述の通り社殿は本社旧本殿で東京都指定有形文化財に指定されている。一間社流造で漆黒をベースに荘厳な装飾がほどこされている。
- 皇御孫命社
- 祭神:瓊々杵尊
- 皇御孫命社(すめみまのみこと しゃ)は本社玉垣内にあり、本社の向かって右側に位置している。瑞垣に囲まれており、社殿は一間社入母屋造で千鳥破風と唐破風がついていて、朱塗りが施されている。もともとは東照社の社殿であったため、葵の紋なども見られる。
- 本社玉垣内にあり、本社の向かって右側に位置している。現在の社殿は一間社流造の簡素なものであるが、もともとは現在の皇御孫命社の社殿が東照社であった。
- 奥宮
- 祭神:日本武尊
- 本社の南西の山奥の本社より徒歩40分のところにある。境内碑によると征夷高祖御社とある。
- 富士峰に鎮座している。安産・子育ての神として祀られている。拝殿が三間社流造で、本殿が一間社切妻妻入の社殿となっている。神木には性神が祀られている。
- 随身門のやや奥にある。
- 三柱社
- 随身門のやや奥にある。
- (神社)
- 随身門の傍らに流造の神社がある。
- (神社)
- 瀧本駅そばに神社がある。
- (神社)
- 瀧本駅そばの参道入り口に小祠がある。
[編集] 行事・祭礼
[編集] 境内施設
- 宝物館
- 国宝の赤糸縅大鎧などが見ることができる。
[編集] 文化財
- 国宝「赤糸威鎧 兜、大袖付」
- 国宝「円文螺鈿鏡鞍」
- 重要文化財「黒漆太刀銘宝寿」
- 重要文化財「紫裾濃甲冑」
- 重要文化財「鍍金長覆輪太刀」
- 東京都指定工芸品「鰐口」
- 東京都指定建造物「旧本殿」
- 東京都指定民俗芸能「太々神楽」
神社ではないが、東京都指定建造物「馬場家御師住宅」(個人宅)が御師集落にある。
[編集] 名所・旧跡
- 青梅市指定史跡「武蔵御嶽神社」
- 市指定天然記念物「参道の杉並木」
[編集] 交通
- 公共交通機関