単立
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単立(たんりつ)は、特定の宗派・教派に属さず、一個の寺院・神社・教会のみで一派を構成する宗教団体・施設のこと。
主に仏教、神道、キリスト教など何らかの宗派・教派・上位組織に属している事が暗黙に前提される伝統宗教の寺社教会に対して、その前提に立たない特例的存在であることを示す際に用いられ、新興宗教に対しては拠点が単独の宗教法人であってもそうは呼ばないのが一般的である。
一般に「単独で設立された宗教法人」の意味と理解されているが、一説に寺院の僧堂内にある各僧侶1人1人のスペースを「単」といい、そこから1寺院を単になぞらえ、宗派という集団から独立した状態を指すようになったともいう。
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[編集] 仏教宗派における歴史
奈良時代までは「宗派」の内実は教理よりも主に依拠する仏典や注釈書の違いによる”学派”的性格が強く、多くの僧が複数の宗派を兼修しており、寺院の所属は官寺・私寺の別、どの氏族の庇護下にあるかという点の方が重要であった。
天台宗、真言宗が成立すると旧仏教との教理論争、門派内の宗学論争がしばしば起こり、教理を中心とした宗派の性格づけが鮮明になった。さらに鎌倉仏教の祖師たちが兼修を否定してからは、僧と寺院の宗派への帰属意識が高まった。江戸時代に入り幕府の宗教政策の一貫として本寺末寺制度が整備されると、全ての寺院がいずれかの宗派に属するようになり、それぞれの宗派の統制を受けるようになった。
明治維新後、廃仏毀釈による寺院勢力の衰退、大教院の設置による本山の権限の制限などから、法隆寺や浅草寺など古くから存在していた寺院が独立・自活の道を求め、また、元々宗派に属していた寺院の中からも自力で採算の取れる寺院や宗派本部に反感を抱く寺院なども独立へ動き出し、中には同じ思想を持つ寺院と共に新宗派を形成する寺院も現れた。
第二次世界大戦中には思想統制の一環として新興宗教とみなされた教団への弾圧、一宗一派政策が取られ既存宗派への帰属が強化されたが、戦後、宗教法人法の施行によって個別の寺院の法的地位が確立すると、これへの反動もあり宗派の解体と寺院の独立はますます加速した。また、当初から既存宗派によらない仏教布教を目的として単立宗教法人を形成するものも現れるようになった。
[編集] 神社神道における歴史
第二次世界大戦以前において、神社神道は基本的に本社末社関係によって組織されていたが、仏教宗派のような教理にもとづく包括的な教団組織を持ったことはない。昭和21年(1946年)、神社行政を所管していた内務省神祇院が廃止されると、その事務を引き継ぐかたちで神社本庁が宗教法人として設立された。全国約8万の神社のほとんどは神社本庁の被包括法人とされ、仏教宗派の本山にあたる本宗は伊勢神宮である。被包括の神社の数は神社本庁ほど多くはないが、同様の包括宗教法人として神社本教、北海道神社協会、神社産土教などの団体がある。
靖国神社・伏見稲荷大社のように神社本庁などの包括宗教法人に参加しなかった神社や日光東照宮・明治神宮のように後に脱退する神社もあり、これらを単立神社と呼ぶことがある。また、非常に小規模な神社で、宗教法人という形をとらずに氏子崇敬者による任意団体が運営をしているものもあり、これらも扱い上は「単立」となる。
[編集] 著名な単立寺院
[編集] 著名な単立神社
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