江古田駅
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江古田駅(えこだえき)は、東京都練馬区旭丘1丁目にある西武鉄道池袋線の駅。
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[編集] 駅構造
当初は島式1面2線の小さな駅だったが、輸送力増強と列車の長編成化により島式2面4線に変更され、急行の追い越しにも使われるようになった。しかしながら、当駅での追い越しでは位置的な問題もあり電車のスピードアップが難しいため、隣の東長崎駅を駅舎建て替えと共に2面4線にして、2008年度に追い越し機能をそちらに移すことが決定している。追い越し機能が完全に移された際に現在の2面4線がどうなるかは今のところ発表されていない。
[編集] のりば
1 | ■池袋線 | 練馬・石神井公園・保谷・ひばりヶ丘・ 清瀬・所沢・小手指・飯能方面 |
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2 | ■池袋線 | 練馬・石神井公園・保谷・ひばりヶ丘・ 清瀬・所沢・小手指・飯能方面 |
3 | ■池袋線 | 池袋方面 |
4 | ■池袋線 | 池袋方面 |
改札口は狭いながら駅前広場を有する南口と、跨線橋上にある北口の二箇所。
なお、現在バリアフリー対応は全くなされていないが、東長崎駅が島式2面4線に改良され追い越し機能も移されることから、東長崎駅改良工事終了後に当駅のバリアフリー化も含めた改良工事が行われるものと思われる。
[編集] 駅周辺
- 駅前には大きな商店街を始め、北口側に武蔵野音楽大学や日本大学芸術学部(「日芸」と略称される)・都立豊島高等学校、南口側に武蔵大学・武蔵中学校・高等学校 などの大学・学校が立ち並び、東京の代表的な学生街の一つである。
- アクセスは西武池袋線の池袋から約7-8分、バスでは中野駅、新井薬師前駅などから関東バスの中41、12系統を使い平均20-25分ほど。
- 北西へ徒歩6-7分の場所に西武有楽町線新桜台駅が、北東へ12-13分の場所に東京メトロ小竹向原駅がある。
- 「中野区江古田(えごた)」とは少し離れているが、1960年以前は駅周辺の旭丘(一部を除く)が江古田(江古田町)だった。もともと、現在の中野区江古田、江原町などが江古田村であり、駅周辺はその新田(江古田新田)として開発された場所である。しかし、江古田村が多摩郡に属していたのに対し、後者は豊島郡であったため、明治以降の合併先が異なり、中野区と練馬区に別れた。なお、中野区江古田、江原町へは、都営地下鉄大江戸線の新江古田駅の方が近い。現在、江古田は中野区内では「えごた」が正式名称であり、練馬区内では「えこだ」と読む例が多い。
- 松屋の発祥の地。1966年6月、北口近くにあった中華飯店「松屋」(現在の松屋江古田店)を現在社長の瓦葺利夫が開業した事から歴史が始まっている。
[編集] バス
- 中12系統 中野駅行(新江古田駅・江原町中野通り・哲学堂・新井薬師駅経由)
- 中41系統 中野駅行(新江古田駅・江古田二丁目・丸山営業所・哲学堂・新井薬師駅経由)※丸山営業所行き入庫便あり
- 中41-1系統・深夜バス 中野駅行(武蔵大学・江古田二丁目・丸山営業所・哲学堂・新井薬師駅経由)※丸山営業所入庫便あり
都営バス(江古田二又停留所)
国際興業バス(江古田二又停留所)
[編集] 歴史
- 1922年11月1日 武蔵高等学校の設立に合わせて開業した。これは、武蔵高校の創立者根津嘉一郎が、西武池袋線の前身である武蔵野鉄道の株主だったことによる(その後、武蔵野鉄道は国土計画に買収される)。したがって、武蔵に通う生徒のための駅という性格を持ち、駅の場所も現在の稲荷神社あたりだったという。
[編集] 江古田駅関連の作品
- 歌 『江古田スケッチ』(1978年 竹内緑郎と旅行かばん・ビクター SF-6036)―江古田駅周辺での4年間の学生生活の思い出を歌った作品。近隣の喫茶店や大学が歌い込まれている。
- 映画 『Shall we ダンス?』(199年・周防正行監督・役所広司主演)―撮影地として使われた。役所が4番ホームからダンススクールを見やる場面など。
- テレビドラマ 『アフリカの夜』(1999年・フジテレビ系列)―撮影地として江古田駅の栄町本通り商店街が使われた。
- マンガ 『臨死!!江古田ちゃん』(2005年- 瀧波ユカリ・講談社「月刊アフタヌーン」連載・既刊1巻) ―江古田駅近くに住む主人公「江古田ちゃん」の生活を描いた作品。
[編集] 隣の駅
[編集] 利用状況
1日あたりの平均乗降客数
- 2004年度:36,628人
- 2005年度:36,169人(西武鉄道全92駅中24位、西武鉄道の各停のみの停車駅としては2位)