津島神社
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津島神社 | |
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所在地 | 愛知県津島市神明町1 |
主祭神 | 建速須佐之男命 |
社格等 | 国幣小社・別表神社 |
創建 | 欽明天皇元年(540年) |
本殿の様式 | 尾張造 |
例祭 | 6月15日 |
主な神事 | 津島天王祭(7月第4土曜日) |
津島神社(つしまじんじゃ)は、愛知県津島市にある神社である。社格は国幣小社で、現在は神社本庁包括の別表神社。
建速須佐之男命を主祭神とし、大穴牟遅命(大国主)を相殿に祀る。当社は東海地方を中心に全国に約3千社ある津島神社・天王社の総本社であり、その信仰を津島信仰という。
中世・近世を通じて「津島牛頭天王社」(津島天王社)と称し、牛頭天王を祭神としていた。
目次 |
[編集] 歴史
社伝によれば、建速須佐之男命が韓国から日本に渡ったときに荒魂は出雲国に鎮まったが、和魂は孝霊天皇45年(紀元前245年)に一旦対馬(旧称 津島)に鎮まった後、欽明天皇元年(540年)旧暦6月1日、現在地近くに移り鎮まったと伝える。弘仁9年(810年)に現在地に遷座し、嵯峨天皇より正一位の神階と日本総社の称号を贈られ、正暦年間(990年~994年)には一条天皇より「天王社」の号を贈られたと伝えられる。しかし、延喜式神名帳には記載されておらず、国史にも現れない。年代が明確な史料では、承安5年(1175年)の名古屋七寺蔵・大般若経奥書に名前が見えるのが最初であり、実際には藤原摂関時代の創建と見られる。
東海地方を拠点とした織田氏は当社を氏神として崇敬し、社殿の造営などに尽力した。織田氏の家紋の木瓜紋は当社の神紋と同じである。豊臣氏も社領を寄進し社殿を修造するなど、当社を厚く保護した。江戸時代には尾張藩主より1293石の神領を認められ、後に幕府公認の朱印地となった。厄除けの神とされる牛頭天王を祀ることから、東海地方や東日本を中心に信仰を集め、各地に分社が作られた。
明治の神仏分離の際、建物・祭事などにおけるあらゆる仏教的な要素は廃され、祭神を建速須佐之男命とし、社名から牛頭天王の名を外して津島神社とした。明治6年(1873年)に県社に列格し、大正15年(1926年)に国幣小社に昇格した。
[編集] 主な年中行事
[編集] 境内外社
[編集] 境内摂社
- 彌五郎殿社(國玉神社)
- 八柱社(八王子社)
- 祭神:五男三女御子神
- 荒御魂社(蛇毒神社)
- 祭神:建速須佐之男命荒御魂
- 柏樹社(柏宮、柏社)
- 祭神:建速須佐之男命奇御魂
- 和御魂社(蘇民社)
- 祭神:建速須佐之男命和御魂
- 居森社
- 祭神:建速須佐之男命幸御魂
[編集] 境内末社
- 稲荷社
- 祭神:宇迦之御魂神
- 多賀社
- 祭神:伊邪那岐命
- 塵社
- 祭神:聖神
- 熊野社
- 祭神:伊邪那美命
- 久斯社
- 祭神:少名毘古那神
- 庭津日社
- 祭神:庭津日神
- 龍田社
- 祭神:支那津比古命
- 忍穂耳社(星宮)
- 祭神:正哉吾勝々速日天忍穂耳命
- 戸隠社
- 祭神:手力雄命
- 内宮
- 祭神:天照大神
- 多度社
- 祭神:羽山戸神
- 船付社
- 祭神:庭高津日神
- 外宮
- 祭神:豊宇気比売命
- 大社
- 祭神:大山咋命
- 児之社
- 祭神:若年神
- 米之社
- 祭神:宇迦之御魂神
- 熱田社
- 祭神:日本建命
- 大歳社
- 祭神:大年神
- 愛宕社
- 祭神:迦具土神
- 橋守社(橋姫社)
- 祭神:猿田彦命
- 秋津比咩社
- 祭神:速秋津比売命
- 滝之社
- 祭神:弥豆麻岐神
- 大屋津姫社
- 祭神:大屋津比売命
- 若宮社
- 祭神:尹良親王
- 大国玉社
- 祭神:宇都志国玉命
- 稲田社
- 祭神:櫛名田比売命
- 照魂社
- 祭神:護国の英霊
- 菅原社
- 祭神:菅原道真公
- 疹社
- 祭神:建速須佐之男命和御魂
- 大日霎社
- 祭神:大日霎貴命
[編集] 境外末社
- 竈社(三寶荒神社)
- 祭神:天知流迦流美豆比売命、奥津比売神、奥津比古神
- 山祇社
- 祭神:大山津見命
- 八剣社
- 祭神:須佐之男命荒御魂
- 大土社
- 祭神:大土御祖神
- 本社末社:石神社
- 本社末社:琴平社
- 祭神:大物主命
- 堤下社(金燈篭社)
- 祭神:須佐之男命奇御魂
- 市神社
- 祭神:大市比売命、大歳神、宇迦之御魂神