浪共闘
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浪共闘(ろうきょうとう、全国浪人共闘会議)とは、1969年に、東京と大阪の浪人生が軸となって形成された浪人生の学生運動組織であり、1969年、70年当時 全国各地に存在していた。
その中からエポック・メーキングな人物には、以下の人物がいる。
大阪の浪共闘(全大阪浪人共闘会議)は、ブント系の中央派、解放派系のエスエル派、アナキスト系のエスエル左派(エスエルとはロシア革命期の社会革命党にちなんだもの)を主要三派とし、他に毛沢東主義派、第四インター派などがあった。
中央派は、ブント系の大阪府高連と結びつき、北野高校や高津高校の卒業者が多く、エスエル派は反帝高評と結びつき、大手前高校卒業者が中軸となり、エスエル左派は清水谷高校のアナ高連と結びつき、天王寺高校や上宮高校の卒業生で占められており、エスエル左派のリーダー格に千坂恭二がいた。
中央派は都心の中之島図書館と近隣の中之島界隈を溜まり場とし、エスエル派とエスエル左派は天王寺区の大阪教育大学の全学バリケード封鎖中の学生会館を活動拠点にしていた。
浪共闘の活動は予備校生を巻き込んだ集会やデモなどであり(各予備校の授業妨害になった)、また大学の学園闘争の「外人部隊」としてだったが、活動については、学生運動に同情的だった1969年の時点においても「大学に入る前に大学を破壊してどうする」と世間から揶揄されることもしばしばだったらしい。
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