熊本県立熊本工業高等学校
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熊本県立熊本工業高等学校 | |
過去の名称 | 熊本県工業学校 熊本県立工業学校 熊本県立工業高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 熊本県 |
併合学校 | なし |
創立 | 1898年 |
校訓 | 明朗真摯 創意工夫 友愛協調 |
教育方針 | 不明 |
創立記念日 | 不明 |
創立者 | 不明 |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 | 併設型連携型ともになし |
分校 | なし |
課程 | 全日制 定時制 |
単位制・学年制 | 学年制による教育 |
設置学科 | 専門学科 |
学科内専門コース | なし |
専攻科 | 機械科 電気科 電子科 工業化学科 繊維工業科 土木科 建築科 材料技術科 インテリア科 情報システム科 |
別科 | なし |
所在地 | 〒862-0953 |
熊本県熊本市上京塚町5番1号 | |
電話番号 | 096-383-2105 096-385-4482(FAX) |
外部リンク | 公式サイト |
熊本県立熊本工業高等学校(くまもとけんりつ くまもとこうぎょうこうとうがっこう)は、熊本市上京塚町にキャンパスを置く、1898年(明治31年)に創立された県立の工業高等学校。現在の名称となったのは戦後の昭和26年であり、それまでは数回の改称を経ている。略称は熊本工または熊工(くまこう)。
目次 |
[編集] 概要
- 全日制(3学年)
- 機械科
- 電気科
- 電子科
- 工業化学科
- 繊維工業科
- 土木科
- 建築科
- 材料技術科
- インテリア科
- 情報システム科の全10科3学年30クラスの規模を誇る。なお、科の数は全国で最も多い。
- 定時制(4学年)
- 機械科
- 電気科
- 建築科の全3科4学年12クラス。
全日制、定時制ともに1クラスあたりの定員は40名。熊本市内にある県立学校としては唯一の工業を専門とした高校で、これまでの卒業生は約40,000人に達する。工業高校で日本一の敷地面積を持つ。また文部科学省のIT人材育成プロジェクトの研究指定校となっている。本年度は、昨年度までの「未踏前進」加えて「工業人たる前に、まず良き人間たれ」を実践している。
[編集] 熊工野球部
熊工という名前を全国区に押し上げたものとして、吹奏楽部(特に全日本マーチングコンテストでは金賞4回、銀賞6回受賞)、陸上部、駅伝部、バレー部、卓球部などの全国クラスの実力を誇る部活動の存在は大きい。その中でも、やはり野球部が第一に挙げられる。
2007年現在でセンバツ20回、夏18回の計38回の甲子園出場を誇り、これは熊本県内の高校の中では、ダントツの甲子園出場回数となる。甲子園春夏通算勝敗は44勝38敗で、準優勝3回・ベスト4が4回。往年は「伝統の熊工打線」と言われる、凄まじい強力打線を売り物としていた感があったが、1996年の夏の甲子園準優勝(対松山商戦)を境にして、最近は打撃の方はやや非力な印象は否めない。
これまでプロ野球界へ輩出した数は61名にも達し、川上哲治、吉原正喜、後藤次男、山森雅文、伊東勤、井上真二、緒方耕一、前田智徳、塩崎真、田中秀太、荒木雅博をはじめ、数多くの名選手を生んでいる。
[編集] 甲子園の砂
敗退したチームの選手が涙を流しながら、甲子園の砂を持ち帰る姿が一つの風物詩のようになった昨今だが、実はこの砂を持ち帰る行為こそ、1937年の中京商業学校との夏の選手権大会決勝戦で敗れた熊本県立工業学校の当時のエース川上哲治が思い出にと、熊工のグラウンドに撒くために、甲子園の土を記念にポケットに入れた行為が起源と言われている。
[編集] 出身者
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