登別温泉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
登別温泉(のぼりべつおんせん)は、北海道胆振支庁管内登別市(旧蝦夷地、明治以降の旧胆振国)にある温泉で、北海道屈指の温泉地である。江戸時代から存在を知られており、明治時代に温泉宿が設けられてから、保養地、観光地となった。
目次 |
[編集] アクセス
[編集] 泉質
- 食塩泉
- 硫黄泉
- 重曹泉
- 酸性泉
- 明礬泉
- 緑礬泉
- 放射能泉
- 苦味泉
- 石膏泉
- 芒硝泉
- 鉄泉
11の泉質からなる世界的にも珍しい温泉。湧き出る湯量は豊富で1日1万トン。
[編集] 温泉街
JR北海道登別駅の北北西に直線で約6km、クスリサンベツ川の谷に温泉街がある。駅前から北海道道2号洞爺湖登別線で通じる。湯が湧き出る地獄谷から、北の大湯沼に遊歩道が整備されている。
温泉街から、東にある四方嶺(クマ山)にロープウェイが通じる。山上にはのぼりべつクマ牧場があり、東に倶多楽湖を見下ろす。
登別温泉より西に直線で約1kmの位置に「新登別温泉」がある。
登別温泉より北西に直線で約4kmの位置に「カルルス温泉」がある。
[編集] 歴史
大昔はアイヌの人々が温泉を薬湯として重宝していたといわれる。江戸時代には、最上徳内が『蝦夷草紙』でその存在を記し、弘化2年(1845年)に松浦武四郎が訪れ、温泉の魅力を綴った。安政4年(1857年)には近江商人の岡田半兵衛が道路を開削した。安政5年(1858年)には滝本金蔵が温泉宿(今の第一滝本館)を建て、新たに道(現在の道筋)を整備した。その後、日露戦争の傷病兵の保養地に指定され、全国に知られるようになった。大正初めから昭和の初めまでは、登別温泉軌道という馬車鉄道~路面電車も敷設されていた。